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シンシナティ動物園のゴリラが射殺された事件に関して

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アメリカの動物園でゴリラの放飼場に幼児が入り込み、最終的にゴリラが射殺された事件に関してコメントします。詳細情報がわからない状態で発言するのを控えていましたが、マスメディアによる報道には独りよがりな解釈のものもあるようなので。

今から行うコメントは、独自の取材や情報に基づくものではありません。Youtubeにアップされた映像のみを観ての、私の個人的な見解です。所属学会や所属大学の公式見解ではありません。

まず、「射殺ではなく、他にやりようがあったのでは?」ということについて。動画には子どもの侵入から射殺までの一部始終が収められていません。射殺に至る前に「他のやりよう」を試してみたのかどうかわからないので、答えられません。

次に、ゴリラの行動について。映像を見る限り、子どもに対する明確な敵意や攻撃の意図は見いだせません。本当に子どもを痛めつけ、傷つけたいのなら、嚙みつくはずです。

かといって、子どもを可愛がり遊ぼうとしているようにも見えません。動画の中で子どもを立たせて服をめくるような場面がありますが、そこに「親愛の情」や「好奇心」を見出すのは深読みしすぎだと思います。

では、一体なぜあのように子どもを引きずりまわして突進したのか。はっきり言って、わかりません。ただ、私には、動画のオスゴリラはとても「困りきっている」ように見えます。

オスゴリラが突進するのは、動物行動学でいう「ディスプレイ」です。野生では、群れのゴリラ同士が喧嘩をしたり、別の群れが接近したり、あるいは観察者が無遠慮に接近しすぎたりした時などにしばしば行います。

動物園では、お客さんや飼育スタッフに自分をアピールしたい時にも突進することがあります。そんな時は心なしか楽しそうです。逆に何かイライラした時も突進します。突進ディスプレイは多義的な行動です。

今回の事件では、子どもの侵入、お客さんの大騒ぎ、そしておそらく飼育スタッフも動揺して非日常的な振る舞いをたくさんしたと思います。ゴリラはそうしたことによって緊張し、動揺した結果、子どもを握って突進ディスプレイを繰り返したのではないかと考えます。

しかし、ゴリラの突進ディスプレイで木の枝などを引きずることはあまりありません(チンパンジーはディスプレイとして「枝引きずり」をよくしますが)。だから、なぜ子どもを離さず引きずりまわしたのか、私には少し不可解です。

ただ、少なくとも「子どもを枝引きずりの枝の代わりに道具的に用いた」という解釈は無理があると思います。ゴリラには子どもと枝の区別はつきます。

子どもを引きずり回すのはひどく乱暴な行為に見えます。確かに、穏やかな遊びとはまるで異なります。しかし、どのくらい子どもを痛めつけてやろうと思っていたかというと、それほどでもなかったと思います。あれがゴリラの子どもだったら大事には至らないでしょう。

だから、子どもに乱暴するつもりで引きずったのではないと思います。突然自分の部屋に人間の子どもが侵入してきて泣き叫んで、周囲ではお客さんが大騒ぎして、飼育スタッフもパニックになって、そんな状況で、困り果てた挙句に「思わず子どもを握って突進ディスプレイしてしまった」というように見えます。

全体として、映像の中で「ゴリラがこんなことをするなんて信じられない」と感じるような場面はほぼ皆無でした。ところどころ「ん?」な点はありましたが。

以上が映像から読み取った私の見解です。以下、やや補足的に、私の感じたことを述べたいと思います。

まず、「観客騒ぐなよ」です。あの状況ではゴリラを落ち着かせることが最重要でした。映像には映っていませんが、多くの人が叫んだり指差したりしながら、ゴリラの動きに合わせて右に左に動いていたはずです。それがゴリラの動揺を高めたのは間違いありません。

次に「射殺」についてです。ゴリラが死んだことが問題視されていますが、私は人間の子どもがいるのに実弾を撃ったことの方に驚きました。子どもに当たったらどうするつもりだったんでしょう?日本だったらそれを理由に思いとどまっていたのではないかと思います。

第三に、「過去の類似事例との差異」です。過去にもゴリラの飼育施設に赤ん坊や子どもが落ちてしまった事例があります。90年代に、シカゴの動物園に子どもが落下した際、ビンティというメスがその子を抱き上げて飼育員に渡したというエピソードがあります。

なぜ今回はそのような美談にならなかったのか。テレビの人にも聞かれましたが、まあ、わかりません。ただ、個体の生育歴や飼育スタッフとの関係性が影響した可能性はあるのかなと思います。

昔は、動物園の動物は飼育スタッフと濃密な関わりを持って生きていました。人間が様々な場面に介在、介入していたのです。しかし、近年はなるべくその動物の自然の生活に近い環境を整えることがより良いあり方とされるようになりました。

例えば、母親が子供を育てる、というようなことも、昔は当たり前ではありませんでした。何かあればすぐ人工保育に切り替えられていました。今は、できる限り自然保育をしようという考えが主流です。

話を戻すと、昔と今とでは、動物園のゴリラにとって「人間の子ども」に対する慣れの度合いが違っているのではないかと思います。もっとも、これが過去の類似事例と今回の事例の違いの決定的な要因だとは言い切れません。個体差かもしれませんし、状況による差異かもしれません。

今回のゴリラのことを理解しようと思ったら、自分自身に引きつけて考えてみてはどうでしょうか。射殺されたオスは17歳でした。だから、17歳の男子高校生になったつもりで、今から書くことを想像してみてください。

部屋に突然チンパンジーの赤ちゃんが入ってきました。そして泣き叫びました。外を見ると、たくさんのチンパンジーが壁に殺到して大騒ぎしています。動揺しますよね。困りますよね。緊張しますよね。

で、チンパンジーの赤ちゃん。怖くないですか?自分の方が大きいって言ったって、ケモノですよ?ゴリラにとって人間の子どもって、怖いですよ、きっと。だって飼育員とか獣医って、怖い存在だもの。それの子どもですよ。

そんな状況で、冷静に、後から専門家が説明できるくらい合理的に振舞うなんてできませんよ。赤ちゃん捕まえたら、離したくないですよ。噛まれるかもしれないもん。あっち行けよ!って怒鳴って小突いたりしたくなりますよ。

いきなり部屋に異種の生物を放り込まれて、パニックになった挙句に射殺されたゴリラは本当に気の毒です。ゴリラに罪がないことだけは間違いありません。

しかし、ゴリラが射殺されるべきだったかどうかは、ゴリラに罪があるかないかとは無関係です。射殺以外に子どもを救う方法がなかったかどうかを検討しなくてはなりません。殺さない方法があったのでは?という気持ちはありますが、それを判断するだけの情報がないので、現時点では私には判断しかねます。