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小出宗昭さん「企業が活性化すれば地方も元気に」 銀行員の出向から起業支援家に転じたカリスマ

2015年01月02日 21時25分 JST | 更新 2015年01月06日 00時18分 JST

muneaki koide

富士山を背にポーズをとる静岡県富士市産業支援センターの小出宗昭さん=12月18日、静岡県富士市

悩める中小企業の相談に応じ、売り上げ増などの成果をあげているのが、静岡県富士市産業支援センター(f-Biz)。人口26万人の地方都市・富士市で、年間に延べ約3千件の相談を無料で受け、「産業支援が町おこしにつながる」と提唱、地域活性化に結びつけている。

f-Bizセンター長の小出宗昭さん(55)は、創業・事業・産業支援のカリスマとも呼ばれる。もともとは地銀大手の静岡銀行の銀行員だったが、2001年1月に突然、翌月から静岡県や静岡市が開設する創業支援施設「SOHOしずおか」へ出向するよう命じられた。その後、浜松市の創業支援施設への異動を経て、2008年に故郷の富士市に口説かれてf-Bizセンター長に就任。同時に銀行を退職して株式会社「イドム」を立ち上げて、f-Bizの運営を受託した。

小出さんに2014年12月、支援にかける熱い思いを聞いた。

――f-Bizは2008年にオープンしてから順調に成長しています。

開設のときから強いメッセージを出しています。どんな企業にも光るもの、活かされるべきセールスポイントがあり、それを活かして小さなイノベーション(新機軸)を起こそうということです。そして、その数が増えれば地域が元気になるよと。開設以来、加速度的に相談件数が増えてきました。口コミの力が大きいです。

――開設からこれまで、相談件数は延べ何社、何人になりますか。また相談の結果、どの位の割合がうまくいくようになったと言えるのですか。

相談を受けたのは2000社以上になります。相談を受けたうちの7割は、売り上げがアップしています。一方、売り上げ向上につながらなかったものに共通しているのは、今の消費者ニーズをつかめなかったということです。膨大な人員と膨大なコストをかけて、新商品を開発するのは簡単ではありません。相当に練りに練って、それでも外れることはあります。

――長い目で見たら、しばらくしてから結果が出ることもありますよね。

ええ。ただ、我々がすごくこだわっているのは、お金をかけないということです。つまり、新たな設備投資は基本的にしないっていうことが前提です。小規模事業者って、大きな投資をしてもその事業がお金にならないと、要は借り入れだけ残っちゃう。大企業と違って、これが数年に渡るダメージにつながっちゃうんです。それは極めてリスクが高い。

確かに、経営の流れを変えるには相当高度なコンサル力が必要です。とにかく知恵を出さなきゃいけない。我々は複数のスタッフでアドバイスをするケースが多いです。医療で言うとチーム診療のようなもの。整形外科医と内科医が同席しながら一つの患者を診ているみたいな、それは特色かもしれません。

――相談を受けるスタッフは、具体的にどういう人たちですか?

まず副センター長は現役のコピーライターで、ブランディングのプロです。プロジェクトマネージャーは現役の税理士で、22年間松坂屋静岡店にいた販売のプロ。クリエイティブディレクターや、建材メーカー、デパートのバイヤー出身者、女性マーケッターがいます。

――支援がうまくいった最近の例を教えていただけますか。

ハヤブサという地元の作業服・作業用品店があります。売り上げが低迷していて、差別化を図りたいと相談に来ました。大手量販店がブランド作業靴を扱い始めたからです。そこで、デパートの靴売り場のように靴選びの専門家「シューフィッター」を置くことを提案しました。店内レイアウトやPOP(販売広告)戦略の見直しなども進め、1年で売り上げが前年比で3割増になりましたよ。

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相談に乗る小出さん=12月18日、静岡県富士市

■女性の起業相談、最近増えてきた

――相談に来るのは、ほとんど地元の企業や個人ですか。

地元の富士市からは75%で、あとはその他県内からです。業種で言えば製造業から、農業にいたるまで様々です。周りから、「ここ行ってみな」ってf-Bizに来るのを勧められているみたい。だから9割が口コミです。男女比では、起業に限るともう半々なんです。全体の相談の中では女性が4割ちょっとになります。

そんな中で最近、目についてきたのは、お子さんを連れてくる女性。乳幼児なんてよそには預けられないけれど、自分は起業したい、あるいは自分の事業を起こしたいという人達です。だから、f-Bizは1月からはキッズスペースを用意しようと思っています。これは時代のニーズでしょうね。おそらく全国の中小企業支援センターの中で、キッズスペースを中に持っているところって無いと思います。

――起業に女性が絡んでくるというのは、最近の変化でしょうかね。

30代の経営者の意識って、男性側から変わってきているんじゃないかなと思うんです。自分1人で勝手にやっているんじゃなくて、家族ぐるみでと。奥さんの方も積極的に参画するという意識が強くなっている。ちょっと前までだったら、何で子供なんか連れて来るんだよって感覚だと思うんです。そんなの非常識だということで。

――女性だけで相談に来るのも結構あるんですか。

ありますね。ここのところすごく目についたのが、この半年くらい、シングルマザーの起業が多くなったということです。美容師であれば自分の店を持つと言うこと。子供も面倒を見られるし。

――そのほかのf-Bizの特色を教えて下さい。

起業家の人達ってみな経験もあり、腕もあるんだけれども、決定的に欠けている部分があって、それはマネージメントの経験がないことです。自分の店の状態がどのくらい良いのか、どのくらい悪いのかの判断が遅れるんです。だから我々は、起業家に対して積極的に声かけようっていう戦略です。月に1回は来てもらい、電話をかけて様子を聞きます。

――全体としては、特に30代など若手からの起業相談が多いというわけじゃなくて、老舗のお店なんかからも多いのですか。

今日朝一に来てくれたのは、創業50年くらいの紙関係の仕事をしている人たちでした。「今年、社長交代した」という息子が来て、新事業の相談です。親父の代からやっていたことをベースにしながら、さらにこうしたいんだっていう話でした。

――東京と、富士市のような地方とでは、状況の差はないんですか。

僕は全国各地で相談会をやっています。企業の相談内容はどこでもそんなに大きな差はない。ただし富士市はまだましな方で、九州や沖縄の都市や、先週末行った北海道の釧路辺りでは厳しい。マーケットがもう遠すぎるから。

――いただいた資料では、2013年8月からの1年間に、41組が創業し、112人の雇用が生まれたと書かれています。創業は前年の12組から急増しました。

起業家を育む都市型インキュベート施設「egg」が、f-Bizの中に2013年8月に生まれました。それまで、創業したい気持ちはあったんだけど、一体どこに行って良いのかわからないという声が多かった。これまでf-Bizは、中小企業支援センターだと思われていたんです。創業支援も積極的にやりますというメッセージでもあります。

――f-Bizでの業務には、銀行時代の経験が生きていますか。

いや、銀行時代はお客さんとは話はしていますが、目線が全然違うところにある。いまは、探り当てていった目線、ありとあらゆる人達の話を聞いてきた目線です。やっぱり経験が大事。ただし、銀行では特にM&A(合併・買収)を7年半もやっていたから、ありとあらゆる業界の業界分析していました。だから、相談を受けてもどんな感じかというイメージつくんです。

■銀行から突然の出向命令、「なんとか結果を出してやる」

――県や静岡市が開設する創業支援施設「SOHOしずおか」へ、静岡銀行から出向することになりました。異動は、突然言われたのですか。

そうです。2001年の1月25日だったかに突然、人事の副部長、今の頭取の中西(勝則)さんに言われました。異動の日は2月1日で、1週間を切っちゃっている。もう、NOもなにも言えませんよ。その場で僕が聞いたのは、「一体誰が言っているんですか」ということ。そうしたら「上だよ」って言うから、「上って誰ですか」ってさらに聞くと、「(銀行の)会長だ」って。これは「特命」だって思いました。

――断れないですよね。

断れないし、結果を出さないとまずいと思ったんです。

――一般的なイメージで、それこそ(銀行が舞台で2013年にドラマ化されてヒットした)半沢直樹じゃないですけど、銀行員が出向って言われたら、なかなか厳しい状況ですよね。

左遷みたいなイメージでしょう?周りはそう思っていたんでしょうね。そのとき41歳でした。次のステップは管理職なわけですよ。当時僕は課長補佐みたいな立場で、そこからの(出向の)2年ってとても重要な分かれ目なんですよ。出向っていうとラインからもろに外れちゃうわけで、周りも「こいつ気の毒だな」って目で見ていて、送別会なんて水盃(みずさかずき)みたいな感じでした。でも、特殊ミッションで、戦力外で出されるわけじゃないと理解していました。

――創業支援の仕事をしたいと、銀行で希望したのですか。

まさか、出向なんて。そのころ、僕は希望して新会社を作るプロジェクトをやらせてもらっていて、M&Aで徹底的に儲かる会社を作るっていうようなことをやっていました。起業や中小企業支援には全く興味なかった。将来は、銀行で出世の階段を普通に上がっていくと思っていましたよ。

――銀行員の時はどんな感じで働いていたのですか。

結構クールにやっていました。仕事はゲームだと思って、それなら勝たなきゃと思っていた。だから、人よりも早く到達点に達したいと思っていました。

――SOHOしずおかへの異動でも、自分でそういうふうに悟り、そんなには落胆・失望したわけじゃなかったということでしょうか。

いや、もう最初はどうしようかって感じですよ、特に最初の3ヶ月は。自分自身でアイデアを考えて、企画立案して実行に結びつけて、成果に結びつけるっていう一連の作業を自分でやんなきゃなんない立場になった。

失敗は出来ないと思っていました。「絶対なんとかしてやる。結果を出してやる」と強い気持ちでいました。それなら、中小企業を巻き込むためにどうするかって考えたんです。中小企業なんてみな困っているから、中小企業の相談場所にしちゃえと思いました。そうすると、場合によっては起業家とのコラボレーションを促して、そこから活性化を促すみたいな事をやれば、起業家にも仕事がくるし中小企業も活性化する、と考えました。このモデルがSOHOしずおかだったんです。

――出向したとき、初めは2年っていう約束で行って、結局何年いらっしゃったんですか?

7年半です。SOHOしずおかに6年半も出向して、そしたら銀行の幹部から呼ばれて、今度は浜松でやってもらいたいって。浜松市の「はままつ産業創造センター」です。

――7年半、起業家支援をやってきて、「何で銀行に戻れないんだ」ということはなかったですか?

それは無かった。やってみて、公の支援セクターがあまり上手くいってないことに気づいた。つまり、相談に来る人もいないし、成果もあんまりない。どういうのが成功モデルかわかんないけれども、民間セクターだったら、あるいは静岡銀行だったらこういうことやると、きちんと提示しようと思った。

2002年のころに創業専門誌から取材を受けたんです。全国の成功モデルとして僕は東日本代表に選ばれた。まだ1年しかやってないのに。当時の取り組みって、とてもユニークに映っていたんでしょう。とにかく地域を巻き込んだから。

2005年には、ジャパン・ベンチャーアワードという、中小企業庁がやってたベンチャーアイデアを評価するものの支援部門で、僕がナンバーワンの賞をもらっちゃった。経済産業大臣賞です。そんなことをやっていたら、新たなセクターにおける創業支援の圧倒的な成功モデルを作っちゃおうと思うようになった。とても面白くなってきた。

銀行では入った瞬間から就業規則が渡され、マニュアルも渡されて、目標も設定されて、その目標をクリアすることが仕事だと言われてたきたけれど、その当時の創業支援の仕事は自分でアイデアを出して企画立案し、実行に移し、一連の作業を全部自分でやんなきゃならない。これはまさに擬似起業なんです。ここで上手く回り始めていたから、モチベーションが高くなっていたわけです。クールに仕事をやっていた銀行内の自分と、起業家支援をする当時の自分というのが全然別物になっちゃっていた。しかもそれが成果にも結びつくから、より楽しくなっちゃうし、まだ先があるんじゃないかというふうに思ってた。

――出向したときは、2年で成果を出して帰ると意気込んでたわけですが、それが変わったんですね。

とにかく、皆が認めるような圧倒的な成果を出して、凱

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