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慰安婦問題、日韓の歴史「認識」はなぜ対立する? 木村幹・神戸大教授に聞く

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安倍晋三首相と韓国の朴槿恵大統領の間では初めてとなる日韓首脳会談が、11月2日にソウルで開かれることになった。

ここ数年、第2次世界大戦中の旧日本軍の従軍慰安婦問題など、主に1945年以前の歴史を巡る認識(歴史認識)での対立が目立つが、そもそも歴史「認識」問題とは何なのか。両国の認識の違いが表面化した背景には何があり、今後、隣国との関係はどうなっていくのか。前回に続き、木村幹・神戸大大学院教授を招き、大学生向けに講義してもらった。

初回の「日韓が対立する歴史「認識」問題って何?」では、50年間の両国がたどってきた経済力や国際関係からみた日韓関係を整理し、80年代の教科書問題を例にとって考えた。今回は、90年代以降、日韓間で特に大きな問題となってきた、旧日本軍の従軍慰安婦問題に焦点を当てる。

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きむら・かん 1966年大阪府生まれ。神戸大学大学院国際協力研究科教授。専門は比較政治学、朝鮮半島地域研究。著書に『朝鮮半島をどう見るか』、『韓国における「権威主義的」体制の成立』(サントリー学芸賞)、『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識』(アジア・太平洋賞)、『徹底検証 韓国論の通説・俗説』(共著)、『日韓歴史認識問題とは何か』(吉野作造賞)など。

■戦後補償問題、そして女性問題としての慰安婦問題

では次のケーススタディーとして慰安婦問題を考えます。これも最近ではよく知られていますが、2つの性格があります。

1つは戦後補償問題です。これに対し、日韓ですごく温度差があるんですけど、そうではなく女性の人権問題だという視点が特に韓国にはあります。これが2つ目です。韓国の慰安婦の支援運動の1つの中心となっているのは、女性問題団体、フェミニストの人なんです。これも、ちょうど冷戦が終わっていく時期に突き当たります。

僕が韓国へ行き来し始めた時はまだ、ソウルに行く飛行機に乗ると脂ぎった親父だらけだった時代でした。「キーセン観光」と当時呼ばれたんですけど、要するに買春観光だったんですよ。ホテルに男性が一人で泊まると必ず「寂しくないですか」という、とても怪しい電話がかかってくるような時代でした。女性からすると、そもそも売買春自体が問題ですし、日本人が金で韓国の女性の人権を踏みにじっていることになる。それって従軍慰安婦と同じじゃないのという話になります。

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さて、戦後補償問題としての慰安婦問題は90年代になって本格的に登場します。とはいえ、80年代以前、慰安婦問題は韓国人の誰にも知られていなかったか、といえばそうではありません。例えばこれは1965年の『サルビン河に夕日が落ちる』という映画ですが、第2次世界大戦中の朝鮮人軍人と慰安婦の人たちが恋に落ちるお話になっています。当時の人たちは戦場を描く時、そこに慰安婦がいた、というのをある程度当然のこととして話していました。特に戦場で韓国語が通じる人は慰安婦しかいなかったから、むしろ彼らには強く記憶に残っている。

ではなぜ大問題にならなかったかというと、他の問題とは別の独立した問題だと考えられていなかったからです。戦時中に日本の戦争に動員された人はたくさん種類がありましたから、慰安婦も「その中の一つ」という程度の理解だった。でも80年代になると海外で元慰安婦の韓国人のカミングアウトが起こり、韓国内でも少しずつ、慰安婦問題が注目されていきます。そしてここでこの動きが民主化とつながります。韓国の民主化は1987年。運動の中でいろんな市民団体が出てくる中で、女性運動団体が慰安婦問題を他から独立した問題として取り上げます。こうして、1990年には挺身隊対策協議会、いわゆる挺対協ができます。

とはいえこの段階ではまだ今とは状況は全く違っていました。なぜなら、1965年の日韓基本条約で日韓間の全ての問題を解決した、という理解を日韓両国政府が共有していたからです。背景には民主化以前の韓国では、政府に自らの要求をつきつけること自体が難しかった、ということがありました。でも韓国が民主化されると、そもそも「自分たちはまともな補償を受けていない」と主張する人たちが増えていきます。ちなみに当初の運動で中心になったのは、元慰安婦の人たちではなく、日本軍の軍人・軍属として動員された人やその遺族の人たちでした。

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それでも韓国政府はまだ動きませんでした。状況が変わるきっかけとなったのは、朝日新聞の報道でした。といっても、最近話題の「吉田証言」にかかわるものではありません。圧倒的にインパクトがあったのは、吉見義明・中央大学教授へのインタビューに基づいて行われた「慰安婦 軍関与示す資料」と題する報道です。1992年1月11日のことでした。

背景には当時の日本政府が、慰安婦問題に日本政府の関与が「全くなかった」と言い続けていたことでした。しかしそれが違ったということになり、日本政府は首相自らの謝罪に追い込まれます。韓国政府も「日韓基本条約で解決済み」という立場でしたので、日本側はどんなに謝っても韓国から賠償請求されることはないと思っていたことが、簡単に謝罪に踏み切れた理由です。石原信雄・官房副長官(当時)の言葉を借りれば「ざっくりと謝っておきましょう」ということになります。つまり、この報道の直後に日韓首脳会談があり、1月15日から17日の3日間、宮沢喜一首相(当時)は少なくとも13回も(これは毎日新聞に出ている謝罪の数を合計したものなのですが) 謝りました。「遺憾の意」「大変申し訳ない」「心が痛む」という言葉を連発します。

そもそも本来、この首脳会談では慰安婦問題はメインの議題ではありませんでした。当時まだ韓国は日本経済に依存する部分が大きく、ものすごい対日赤字を抱えていました。だからこの問題をとにかく「なんとかしてください」というのが韓国政府や世論の最大の関心事でした。日本はそこに飛び火しないように「ざっくり」謝って、問題を解決しようとしたわけです。

ですが、日本の総理大臣がひたすら謝り続けたこともあり、運動はこれまでにない注目をあびることになりました。こうして韓国も何もしないわけにいかなくなりました。1992年1月21日に突然「法的補償を求める」と方針転換することになります。しかもこの後の韓国政府は「問題は日本にあるので、日本側がまず解決案を作るべきだ」「その解決案にイエスかノーを決める権利は韓国側にある」という外交を展開します。

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1993年8月4日、慰安婦問題について談話を発表する河野洋平・官房長官


「真相を究明してください」と要求された日本側が出したのが、有名な1993年の河野談話でした。この時点で、韓国では盧泰愚(ノ・テウ)政権が金泳三(キム・ヨンサム)政権に変わっていました。金泳三政権は、最初「物理的補償は要求しない」という言葉を使うんです。要するにお金を一切要求しない、真相究明だけしてくださいと言うわけです。そしてその真相究明の最大のポイントは「『強制連行』を認めろ」ということでした。宮沢政権と金泳三政権は、ここでこの問題については、お互いの政権の間に解決しよう、と約束します。でも、今度は日本の宮沢政権が崩壊に向かいます。

さて、この宮沢政権下で慰安婦問題に取り組んだ河野さんや石原さんはなんとかこの政権で問題を解決しようとしたし、またできると思っていた。この背後には、この後韓国政府が期待するような慰安婦の強制連行を示す資料がたくさん出てくるはずだ、という予想がありました。でも、実際にはこれがいくら調べても出てこない。ここで日本政府は困ってしまいます。韓国側ではもう「強制連行された」という証言が出ていましたから、「そんなはずがない、日本政府は隠してるんでしょう」という話になるわけです。そこで突如、この部分を補うために宮沢政権が崩壊する直前に元慰安婦へのヒアリング調査を実施します。この結果、河野談話が出るわけです。因みに河野談話を発表する時の記者会見は、同時に河野さんの官房長官として最後の記者会見でした。いかに当時の政府が無理を押してこの談話を出したかがわかります。

ちなみに余談ですが、安倍首相や彼に近い人たちが、河野談話に非常に批判的な理由の1つがこの経緯なんですよね。自民党の一番リベラルな派閥「宏池会」が、党内の右側の人たちから全く合意を取らずに突っ走った、「宏池会」と対立する人たちはそう考えた。結局、こうして河野談話は自民党内でしこりを残すことにもなりました。でも、ここまで無理した理由もまた明確でした。「これさえやったら慰安婦問題は終わる」と韓国政府は約束していた。だから宮沢政権は無理をした。だけど、交渉相手だった金泳三政権は後に態度を変えてしまいます。

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1995年6月23日、沖縄戦集結50年式典で挨拶する村山富市首相

このあと細川、羽田の両首相を挟んで、社会党の委員長を擁立した村山富市政権ができます。自民党・社会党・さきがけの3党連立政権です、村山首相は安全保障など様々な面で自民党に譲ったんですけど、アジアに対する謝罪の問題で「ここだけは通したい」というのを自分の所信として持っていたんですね。慰安婦問題では補償に準じる措置として、有名な「アジア女性基金」を作ります。ポイントは、韓国側の依頼によって作ったわけではないということ。日本側は河野談話でいったん終わらせたはずでした。でも村山さんが非常に積極的だったので、自ら案を出します。当初は韓国の金泳三政府もこれを歓迎する雰囲気でした。自分が要求を放棄した物理的補償に近いものを、日本側が進んで出す、というのですから当然です。

ともあれこうして韓国内でも日本国内でも議論が始まります。連立政権で社会党は少数党ですが突っ走ります。すると、先ほどの河野談話と同じで、自民党内で反発が起こります。渡辺美智雄・元外相が「日韓併合条約は円満につくられた国際的条約で、法律的には『植民地支配』にあたらない」と言ったり(1995年6月)、のちに首相になる橋本龍太郎さんが「戦争の目的、性格を特定するのは容易ではなく断定的に言うのは困難だ」と答弁(1996年1月)したりして、韓国で「妄言」と問題視されます。日本の政治家の発言が韓国で問題視された「妄言事件」が圧倒的に多いのは、実は歴史認識問題に最も積極的だった村山政権です。

村山首相自身も1995年10月、「韓国併合は合法なのか」と国会で質問され「日韓併合条約は法的に有効に締結された」と発言をします。これに対して韓国で猛反発が起こります。すると金泳三大統領も「アジア女性基金のお金を受け取れません」と発言し、従来の立場を翻してこの問題で法的賠償を要求するようになります。日本からすると、裏切られた形になりました。こうなってしまう一つの理由は、慰安婦問題では常に日本側だけが解決案を作り、韓国政府がこれにイエス、ノーを言う権利がある、という状況で議論が進んでいくことにあります。たとえば両方が一緒に案を作っていけばいいのですが、河野談話でもアジア女性基金でもそうなりませんでした。

さて、ここでお気づきでしょうか。ここまで実は日本における右側からの動きはあまり出てきませんでした。なぜなら80年代以降90年代半ばまでの歴史認識の動きは、どちらかといえばリベラル勢力がこの問題に積極的に対応し、でもこれが上手く処理できないことが一因だったからです。彼らは彼らなりに善意で一生懸命やっているんだけど韓国側と上手くかみ合わず、かえって議論が混乱するという状態が続いていました。

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2006年8月15日、靖国神社に参拝する小泉純一郎首相

しかし、ここから日本側からも「韓国に対して積極的に意見を言うべきだ」という動きが出てきます。最初は1996年、一部の研究者やこの問題に関心を持つ人々を中心に「新しい教科書をつくる会」ができます。学界でも言論界でも財界でもメインストリームでなく、当時の自民党を中心とするシステムに入っていない人たちから始まりました。だけどそれが力を持っていくと、政治家がこれを受け入れます。たとえば、小泉純一郎さんは本当は靖国神社にあまり関心がなかったと言われています。でも靖国神社に対する世論の関心が高まる中、靖国参拝するわけです。メインストリームの外側にいる右側の人たちの運動で何かしらがはじまり、それが大きく成功すると、「しめた」とばかりに自民党政権が取り入れる。これが小泉政権から今まで続いている一つの流れです。

そこには、右側の人たちの、韓国や中国に対する反発から始まり、その韓国や中国に協力しているように「(彼らには)見える」村山政権や宮沢政権、さらには自民党内部で「保守本流」とまで言われた党内主流派への批判がありました。それは自民党システムから排除された右側の人々による自民党主流派批判、エリート批判でもあったことになります。だけど、やがて自民党が政権に復帰し、彼らのメッセージを政府が取り込んでいくと、右側からの動きの中に自民党批判やエリート批判の部分が影を潜めていく。中国や韓国への批判だけが残り、むしろそれが政権維持のロジックにさえ使われるようになる。

こうして見ると時々の世論も重要だ、ということがわかります。例えば、軍事政権時代には韓国政府の対日姿勢は安定していました。その一つの理由は軍事政権は、世論を気にする必要がないからです。だけど、民主化すると世論を気にするようになり、その中で慰安婦問題への関心が高まってくると、約束を翻してしまう。ただ、考えたら日本政府にも似たところがないわけじゃありません。「つくる会」のグループの発言力がどんどん強くなって、小渕恵三首相が1998年に日韓首脳会談で交わしたような「日韓で協力を深めよう」という誓約は省みられなくなって、世論に近い、強硬な方向にシフトしていくことになります。

まとめると、とても難しいんだけどこんな感じになります。単に交流が増えるだけでは解決しない。民主主義だから、国民の感情は政策に影響を与えるのは当たり前で、それ自身も決して悪いことじゃない。しかもグローバル化でお互いの重要性は落ちているから、相手の批判はしやすくなっている。「日韓関係は重要です」と言っても「なんで重要なの?」という質問が返ってくる。そして、その答えは意外に難しい。「インドや東南アジアでビジネスができれば、韓国なんてどうでもいい」という人が多くなり、財界で汗をかいてくれる人もいない。「中国はさすがに重要だけど、韓国は別にいいんじゃないの」という話でいいのか、それをどうするのか、考えていかないといけない気がします。

ミニ講義後、木村教授は学生の質問に答えた。

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■大きく影を落とす「1965年の問題」

――日韓基本条約で締結されたことがひっくり返ってるということだと思うんですけど、その日韓基本条約自体の結び方も、なんでお互い齟齬がある状況で結んでしまったんでしょうか。

1965年の韓国は、一番大きな問題は貿易赤字なんですよ。1950年代年代のある時期なんか、輸入が輸出の10倍あるんですからね。貿易赤字どころか、いつ破綻してもおかしくない状態。それをアメリカの援助で支えてたんだけど、1964~65年はベトナム戦争が激化していく時期。アメリカは韓国からベトナムにどんどんお金を移していた。だから今すぐお金がほしいというのが朴正熙政権当時の状態。アメリカも「日本にもらえ」と後押ししたんですね。さらに朴正熙政権は軍事政権で正統性がなかった。1963年に大統領選挙をするんだけど、僅差でギリギリ勝つ選挙だったんですよ。なんとか経済復興させたくて、日本に譲ったわけね。この時代は冷戦で、経済力は北朝鮮のほうが韓国より若干上回っている状態。韓国政府も日本政府も危機感があったんですね。

ドイツは分断されて、フランスや周辺国に認めてもらえないと国連にもEUにもNATOにも加盟できない状態だった。だからドイツは譲るべき理由があったし、仕方ないとみんな思った。でも日本の場合、45年と65年の間に20年もあって、戦争に負けた国がもう復興している。いつの間にか勝者と敗者が入れ替わったような感じになりました。今の日朝の問題でも、もし今、条約を結ぶなら拉致や援助の問題がメインになって、過去の問題はうやむやになるでしょう。同じことです。結局、人間には「過去」より「現在」の方が重要ですからね。

右側の人たちはよく、日本の外交はいつも屈辱的で譲歩ばかりしてると言うけど、対アジア外交に関して言うと、少なくとも法律的には中国には賠償金を払ってないし、韓国に払ったお金も「経済協力金」という名目でした。植民地支配していた側が金を出して「経済協力だ」と言われたら、屈辱的ですよね。でも、韓国はそれに反発できない状態だったんです。そんな思いが韓国人にあるので、日韓基本条約はいずれ改正されないといけないと思っている。韓国が力をつけてきて、日本が重要でなくなってくると、言いたいことが皆言えるようになってくる。

実は、過去の問題の出発点は、1945年の問題と別に、1965年の解決の仕方でやはり不満を残した。実は本当に大きいのは45年以前じゃなくて、65年なんです。だから結局、日韓基本条約の解釈の問題に全部集中するわけです。徴用工の問題もそう。

――お話を伺ってると、慰安婦問題などで、市民運動の考え方を政治家が受け入れる風潮もあるみたいですけど、国民とか市民の受け止め方にはマスコミが作用していて、それを変える必要があると思うんですが。

市民運動の側でも、韓国と何ができるのかという話をちょっと真面目に考えないといけないですよね。たとえばドイツが原発をやめられるのはフランスから電気が来るからで、隣の国としかできないことはやっぱりある。いろんな知恵を出さないと、ネットでいっぱい出ている「韓国なんか重要じゃない」という議論に対して誰もちゃんと答えられない。ある意味、日韓関係を改善したい人にとってはすごく深刻だと思いますよ。

――世論が変わっていっても、政権側は「解決済み」という態度じゃないですか。日本としてのプライドを守ろうとしている部分があると思うんですよ。そういう部分は世論が変わっていくことで変えられるものなんですか。

それは変えられるんじゃないですかね。条約の例外を執行しているケースはいくつかあるんですよ。例えば、ほとんど知られていないけど、在日韓国・朝鮮人の軍人と軍属。日韓基本条約の交渉当時も当然議論したけど、韓国籍でない朝鮮籍の人に払っていないのは不公平だからと、2001年から在日永住外国人、つまり、在日韓国・朝鮮人や台湾人の元日本人軍人・軍属に戦没者遺族へ260万円、戦傷者本人へは見舞金・老後生活設計支援特別給付金として400万円を支払っています。でも、慰安婦問題は、みんなが過度に注目しているから役所も表だって動けない。日本政府は、一旦崩すと例外が際限なく出てくるんじゃないかと恐れている。文化財の問題も、どこかで線を引かないと延々と議論が続いて、日韓関係が悪化すると考えているんですね。

実は日本と韓国の関係は世界的にも興味深いケースです。昔の植民地と宗主国の間で、宗主国が有利な条約はたくさんあるけど、韓国が先進国になり、第2次世界大戦以前の旧宗主国と旧植民地の関係がほぼ平行になった最初の事例になりました。だからこそ韓国との問題は中国にも、インドネシア、フィリピンにも波及する。日韓基本条約のような、古い時代に作られた条約やそれに支えられた国際秩序を巡るかつての植民地諸国の不満をどう解決するか。実はこれ世界の誰もまだ深刻に直面したことのない問題なんですね。

comfort women korea

もう一つ、運動団体でなく、本当の被害者は何を求めているのかも大事です。たとえば僕は最近、韓国の元軍人・軍属の遺族に聞き取り調査しているんだけど、「結局何がほしいんですか」と聞くと、「とにかくうちのお父さんが死んだ場所がどこなのか教えてほしい」とか「うちのお父さんがこうして死んだという記念のものを残してほしい」という話なんかが出てきたりする。「遺骨を捜してくれ」なんていうのもよくある答え。確かに太平洋戦争中に死んだ朝鮮人軍人・軍属を祈念した施設は靖国神社にも千鳥ヶ淵にもない。靖国神社に行け、という人もいるかも知れませんが、神道を信じていない彼らに神社に行け、というのはやはり無理があります。ここはもう法律や条約の問題じゃない。でも、例えば祈念碑一つ作るだけで、だいぶ状況は変わるんじゃないかと思うんですよね。

慰安婦の人たちも同じところがあって、どうやって相手の尊厳に配慮するのか。市民運動団体にフィルターされて、個人の意見が見えにくくなっている部分もあるけど、個々の元慰安婦の人たちはそれぞれ立場も違うし、意見も違う。

――当事者の人たちでもあと数十年とかで亡くなってしまうじゃないですか。そしたら、このままだんだん見えなくなってよくわからない状態になってくる。

そうだよね。だから死んだら解決するという人もいるけど、実際には「日本が謝らなかった」という事実だけが残るだけで、永遠に解決しないということになるだろうと思います。ただ、逆に言えば、当事者がいる間こそ、当事者全員に話を聞いて、こまめに対応することもできる。実は、アジア女性基金の解散した今でも、日本政府は元慰安婦へのフォローアップ事業をずっとやっている。あれを拡大するのも一案かも知れません。

――イギリスとフランスは歴史的にずっと戦争してて、でも今なんだかんだでまあお互い仲悪いよね、ぐらいな間柄になってるわけじゃないですか。この先100年、200年を考えたら、日韓もこのままうやむやにすることってできないんですかね。

そこはなんとも言いがたいですよね。ただ、歴史認識問題で「台湾と韓国は違う」とか、「サイパンの人はあまり日本に敵対的な感情を持ってない」と言われますけど、台湾は日本が出て行った後に外省人(中国大陸出身者)の支配を受けていたり、サイパンはアメリカの植民地にもう1回戻ったりしている。イギリスとフランスは2回、世界大戦で協力して戦争したのが大きい。日韓はやっぱり、どうしても第2次世界大戦を起点に語らざるを得ない。今の状態で盛り上がってる以上、うやむやにはならないですよ。だからうやむやにするにしても、被害者の人たちにどうするのかという問題と、日韓関係を維持するためにどうクールダウンするかが、重要だし両者は分けて考えたほうがいいかもしれない。冷静に議論できないと解決方法も見つかりませんからね。

そもそも25年間、歴史認識問題はずっと火が消えていない。領土問題はともかく、歴史的な問題はもっとアカデミックに議論できるはずなんだけど、もはやそれさえできなくなっていること自体が問題だと思います。

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――韓国は政権が代わるたびに、最初は日本に対して「未来志向で」と言っておきながら、後半に入ると手のひらを返して日本批判を強める傾向がある。5年の任期の後半に支持率が大きく下がる構造的な問題でもあると思うんですが、朴槿恵政権と金大中(キム・デジュン)政権はそれがなかったように思います。なぜですか?

それは簡単で、政権が保守的なのか進歩的なのかが大きいですよ。特に慰安婦問題をやってる人たちは、もともと民主化運動から出てきた人たちなので、彼女らの運動は日本批判だけではなくて、政権批判の要素をかなり含んでいるんです。だから保守系政権の時のほうが政権への攻撃が強くなるんですよ。盧泰愚、金泳三、李明博政権のときは、ものすごく強い攻撃がかかって、政権は結果として屈服する。李明博政権では訴訟まで起こされて、「慰安婦問題で政府が動かないのは憲法違反である」という判決が確定した。それに対して、特に金大中さんと進歩系の団体は近いので、運動団体は味方を攻めにくいし、内側から政府を動かすこともできた。ただ、同じ進歩系の盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の時には、盧武鉉さんの個性と、小泉首相とうまくいかなかったこと、そして島根県が制定した「竹島の日」条例が大きかった。

基本的に保守の朴槿恵政権は、最初から日本に対して強硬策を取っているので、支持率が落ちてもこれ以上の日本叩きは難しい。なんで最初からそうなったのかは、やっぱり最高裁判所の判決が出たからでしょうね。2012年以降、韓国の最高裁と憲法裁判所が戦後補償問題について「日韓基本条約で解決済みでない」という見解を出しているから、行政府は司法に逆らえないんだよね。歴史認識が違うという公式見解が政府ではなく裁判所から出ている。実は本当にややこしいのはここかもしれないね。

――少し気になったんですけど、その理屈でいくと、今後の韓国の大統領は全部反日姿勢を頭から取ってくるってことになりませんか。

その可能性が高いでしょうね、何もしなければ。ここ25年で、日韓基本条約に関する公式見解が日韓で分かれてしまった。するとどうなるか。もう日韓両国だけで議論することは難しい。日韓基本条約の付属協定には「もめた時には仲裁委員会を作る」と書いてある。ただ、両国から仲裁委員が出て、その2人の仲裁委員が第3国から3人目の仲裁委員を同意の上で選ぶ手続きですけど、一致するはずがないので選べない。それに、万が一負けるとえらいことだから、役所は絶対そのリスクは取らない。領土問題で韓国が国際司法裁判所(ICJ)に行かない理由もそこなんです。

ではどうするか。セカンドトラックとして、擬似仲裁委員会や擬似ICJを作る。僕は似たようなものに関わった経験があるんです。「韓国併合は合法か違法か」という議論で、実は2000年から2001年に韓国政府がお金を出して、世界の国際法学者と歴史学者を集めて共同シンポジウムを3回やりました。結果的にその議論は韓国政府にとって不利な形で終わり、その後韓国政府はこの問題をあまり取り上げないようになりました。日韓基本条約の解釈も、どういう妥協策があり得るのか、ゴールが見えなくなっている状態です。いずれにせよ最終的には国際社会の中で決着をつけるしかない。国際法の権威の人をアメリカやヨーロッパから呼んで、専門的に議論したらいいんですよ。

――この前「日米韓でエネルギー問題を考える」というフォーラムに参加してきたんですけど、日米韓でエネルギー問題を解決するとき、日韓の歴史問題がネックになると思うんですよ。歴史問題を解決して、そのエネルギー問題に100%協力できるかどうかというところに、アメリカが入ることで解消されるということもありうるんですか。

それは両方でしょうね。歴史認識問題と違うイシューで、日韓の意見が実は一致してるけど、歴史認識問題があるから外交的に動けない時がある。そんな時には後ろから背中を押してもらうかたちで他国が入ってもらうのはすごく意味がある。だけど、日韓の利益が対立している時にアメリカが間に入ると、逆にアメリカをそこに巻き込むだけの効果しか持たない。日韓はエネルギーの輸入国で、同じシーレーンに依存していている。だからこそ、協力することによって得られる利益はものすごくあるんですね。ただ現状は、歴史認識問題で、アメリカを戦場にしてしまっている。そうするとアメリカにも世論があるので、アメリカ国内で嫌気がさしてしまいます。安全保障に関しても、中国に関する考え方が日本とアメリカと韓国で全然違うから、アメリカが間に入るとむしろ混乱するかな、と思う時があります。

――安保法案が通った時に、近隣諸国の中で韓国と中国だけが反対を表明したじゃないですか。韓国はなんで反対するんですかね。

中国はターゲットだから当然わかりますよね。だけど同じ同盟にあるはずの韓国がなぜ反対するかというと、イメージとして朝鮮半島に自衛隊がやってくることへの拒否感なんですよね。朝鮮半島有事が起こった時に自衛隊が救出作戦をするのは、国民感情的に嫌なんですよ。日中韓で協力できることとしてよく挙げられるのが災害救援活動だけど、韓国人は、中国人民解放軍と自衛隊が韓国に上陸するところも絶対見たくないと思っている。

もう一つは、韓国は中国と軍事的に対抗したくないので、日中の対立に巻き込まれたくないと思っているんですよ。韓国の政府や世論は、アメリカと中国が基本的に協調関係にあると思ってます。日本人は尖閣問題があるからアメリカにもっと頑張ってほしいと思ってるでしょう? そういう日本は韓国から見ると、米中対立を煽っていると見えるんですよ。

――以前、韓国人の特派員を3人呼んで座談会をしたんですけど、彼らは朝鮮戦争でアメリカと組んで中国や北朝鮮と戦ったし、ベトナム戦争でアメリカ軍と南ベトナムを支援するという集団安全保障もやっている。だけど、やっぱり豊臣秀吉だったり、1910年代の記憶が怖いと言いました。

米韓関係を重要視する韓国の政策担当者は、その世論が刺激されることが嫌なんだよね。アメリカと韓国の関係はスムーズなのに、日本が入ってくるとややこしくなるという考え。もう一つは、正しいかどうかはともかく、長い目で見れば日本も韓国にとって脅威ですから、いろんな理屈をつけて防ぎたい思いもあります。それは別に不思議なことでもないと思います。とにかく自衛隊、日本軍は嫌という気持ちはわかりますね。日本人だってアメリカ軍はいいけど中国軍は嫌だっていう人、いるわけだし。

学生は氏田あずさ(慶応義塾大学)、小室翔子、吉野友梨(以上、東京学芸大学)、鶴賀慎太郎(成蹊大学)が出席しました。

【従軍慰安婦と河野談話をめぐるABC 】
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