加藤一二三九段が引退 「将棋界のレジェンド」は62年10カ月間、こう戦った

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加藤一二三九段(撮影日:2016年12月24日) | 時事通信社
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「将棋界のレジェンド」として知られる現役最年長棋士の加藤一二三(ひふみ)九段(77)が6月20日、「第30期竜王戦」6組の対局で高野智史四段(23)に敗れた。この瞬間、加藤九段は引退。62年10カ月にわたる現役生活に終止符を打った。

現役最後となった対局、加藤九段は指し慣れた「矢倉」で闘志みなぎる指し手を見せたが、安定して巧みに攻めた高野四段に力及ばなかった。

加藤九段は名人への挑戦権を争う順位戦の最上位クラス「A級」に通算36期在籍。還暦後もA級棋士だったが、2002年に「B級」へ陥落して以降、近年は成績不振に。1月19日、順位戦の最下級(C級2組)からの降級が確定。定年規定で今期限りでの引退が決まっていた

予定される全ての対局が終わるまでは「現役扱い」となっていたが、残された公式戦は「竜王戦」6組の対局のみ。一つ格上の「5組」に昇格する棋士を決めるトーナメントのため、敗れた時点で「現役引退」となっていた。


「神武以来の天才」「将棋界のレジェンド」加藤一二三九段とは

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高校2年の加藤一二三・九段。当時は七段だった(朝日新聞 1957年6月7日夕刊・東京本社版)


加藤九段は1940年、福岡県稲築村(現・嘉麻市)生まれ。1954年、当時の史上最年少記録(14歳7カ月)でプロ棋士(史上初の中学生棋士)となった。

「神武以来の天才」「1分将棋の神様」「将棋界の異端児」などの異名があり、故・大山康晴十五世名人は「早指しの大家」と評した。「将棋は芸術」が持論で、「モーツァルトの曲のように、将棋もしっかりした解説があれば感動を与えられる」という。

1982年、中原誠・十六世名人との「名人戦」は、10局目までもつれ込んだ末、劇的な1分将棋で勝利。名人位を獲得した。最終局で詰みを発見した時には「ヒョーッ」と奇声をあげたと言われる。中原・十六世名人は20日、ニコニコ生放送の対局中継に特別ゲストとして登場し、「私も加藤さんとの思い出といったらそれですね。本当は負けたの思い出したくないんだけれども。えらい大変な対局だった」と、当時を懐かしんだ。

タイトル保持期間は名人・王位・棋王など通算8期を誇る。2001年には通算1200勝を達成。日本将棋連盟によると、これまでの勝数は歴代3位の1324勝。対局数(2505局)と敗戦数(1180敗)は、ともに歴代最多だ。

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名人になった加藤九段を紹介する記事(朝日新聞1982年8月20日朝刊・東京本社版)


朝の食事はパン派。好きな駒は「銀将」で、戦術も「棒銀」(棒のように銀将を前線に突き進める戦術)を得意とする。力強く「バシン!」と駒音を響かせる指し方でも知られる。

猫好きとして知られるが、自宅付近の野良猫への餌やりで近隣住民から「悪臭などが迷惑だ」と訴えられ、2010年5月に東京地裁立川支部から餌やり中止と慰謝料204万円の支払いを命じられた。

2016年12月には、自らの最年少記録を抜いて14歳2カ月でプロ棋士となった藤井聡太四段との対戦が話題に。19世紀生まれから21世紀生まれまで、3世紀にわたる棋士との対戦を実現した棋士となった。

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記録が残る公式戦で、最も年齢の離れた62歳差の対局を終え、感想戦をする藤井聡太四段(右)と加藤一二三・九段

「長すぎるネクタイ」「昼も夜もうな重」など数々の逸話も


数々の名勝負もさることながら、加藤九段といえば「ネクタイをかなり長く結ぶ」「旅館の人工滝の音が気になったので止めさせた」「相手の側から盤面を眺める」(通称「ひふみんアイ」)など、個性的な「伝説」でも知られる。

特に、「対局時の食事は、昼も夜もうな重」は加藤伝説の代名詞だ。現役最後の対局でも、加藤九段は昼食に「うな重」を注文。日本将棋連盟の広報担当者によると、加藤九段が注文したのは将棋会館近くにある鰻店「ふじもと」の「うな重・竹」だという。

同連盟の広報担当者はハフポスト日本版の取材に対し、「こちらは棋士の皆さんがよく利用されます。加藤九段が注文した『うな重・竹』は3100円になります。そのほか『うな重・松』は4100円、『うな重・梅』は2600円になっています」と話した。


うな重にこだわる理由について、加藤九段はこう語っている。

若い頃はラーメンが多かったです。鍋焼きうどんも好きなのですが、熱いので、冷めるまで待っていると15分ぐらいかかる。まさか水をかけるわけにはいきませんからね。うなぎは温かいし、腹持ちもするのでこれに落ち着きました。

対局中に迷いたくないので、決めておいた方がいいんです。でも、時には考えることが面白くて、食べるのを忘れることもあります。後でおなかがすいてきて、「食べておけば良かった」と思うのですが。
(朝日新聞 2016年11月21日夕刊(東京本社版)より)

近年では「ひふみん」の愛称で若いファンからも親しまれ、将棋界のアイドル(もしくはマスコット)的存在に。ニコニコ動画では「ニコ動最年長アイドル」として人気だ。


一方で加藤九段は、敬虔なカトリック教徒としての顔を持つ。1986年にはバチカン(ローマ教皇庁)から「聖シルベストロ騎士勲章」を贈呈された。故・米長邦雄永世棋聖など、親しい棋士仲間からは「パウロ先生」とも。2007年8月には朝日新聞のインタビューで、「私にとって宗教は努力の限界を突破させてくれるものです」と語っている。

「勝つために努力し、今日まで来た。この気持ちはこれからも変わらない」

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現役引退が確定後初の対局となった1月20日、加藤九段はテレビ朝日系「報道ステーション」のインタビューに応じ、心境を語っている。

引退について加藤九段は「刀折れ、矢尽きての引退ではなくて、刀も矢も持ったままで、まだ十分これからの対局にも情熱を込めて熱闘する意欲は十分持っている」「『元棋士』ではなく『棋士』なんですね」と述べた。

また、「将棋は芸術」が持論の加藤九段。将棋の魅力については「モーツァルトとかベートーベン、大天才の作品は今も世界中に喜びを与えている」と説明。自身がこれまで残した棋譜についても、「私の指した名局というものは棋士として、はっきり言って、大変な高いレベルの将棋を指してきた。生きる楽しみ、喜びを与えていると思っています」と語った。

ただ、公式戦の対局ができなくなることについては「はっきり言って、それは寂しいですよ。今まで情熱を込めて戦ってきましたからね」と、心情を吐露する場面もあった。

一方で、77歳を迎えた今もなお、将棋に対する熱量は高い。勝負に対する姿勢について、加藤九段はこう語った。

私はすごく立派な将棋を指し、私も感動する立派な将棋を指してきた。「今日は別に負けてもいいよと」思ったことは一回もないんです。すべて勝つために努力して、今日まで来た。この気持ちには、これからも変わりはないんです

夢は「123歳を迎えるまでは将棋文化の普及発展に最大限の尽力そして貢献をすること」という加藤九段、コンピューターとの対決にも意欲を見せる。

人間として精魂込めて、芸術の領域まで高めた将棋を指してきた人間としては、心血注いだ棋士の能力がコンピュータに劣ると思われるのが、極めて心外なんですよ。私がコンピュータと戦えば、私が先行逃げ切りで勝てるという自負がある

この世に生まれたのは「将棋棋士になるため」という加藤九段。最後の対局では、劣勢にあっても闘志あふれる指し方を続け、対局室に駒音を響かせていた。

高野四段の攻めで加藤九段の玉が詰み筋に入った19時51分、加藤九段は席を立った。しばらく離席した後、午後8時10分、加藤九段が投了を宣言。前人未到の62年10ヶ月に及ぶ現役生活に、老棋士はピリオドを打った。

観戦記者がいる対局ながら感想戦はおこなわれなかった。朝日新聞の村瀬信也記者のTwitterによると、加藤九段は対局終了後、一目散に将棋会館を出てタクシーに乗り込んだという。



感想戦がなく、加藤九段から引退を受けてのコメントもなかったことから、報道陣が連盟理事に「今夜中にコメントをもらえないか」と詰め寄る場面もあった。連盟理事も、あっという間に対局室を去った加藤九段に戸惑っていたようだった。

一方でTwitter上では、加藤九段の対応に賛否はあったものの、「感想戦なしってほんとに悔しくて辛かったんだな」「貪欲に勝ちを求め負けたら腹の底から悔しがる。だからこそ63年勝負師を続けられたのだ」など、加藤九段に理解を示す声が多くあがった。

【UPDATE】(2017/06/21 0:34)

対局終了から2時間ほどたった午後10時頃、加藤九段は自身のTwitterで「幸せな棋士人生をありがとうございました」などと、ファンに感謝の気持ちを伝えるメッセージを投稿した(*詳細はこちら)。

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