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表現の自由はどこまで許されるのか

2014年05月26日 16時16分 JST | 更新 2014年07月25日 18時12分 JST

シドニーから3大会連続で五輪に出場した元陸上選手と、一緒に考え、議論を深めます。議論は週刊誌AERAの連載で紹介します。いただいたコメントを抜粋・要約することもありますがご了承ください。

ネットが盛んになってきて、誰もが意見を発信する文化ができつつあるように見えます。そうした中で「表現の自由」はどこまで許されるのかという議論が最近盛んになっているように思います。

誰もが自由に表現していい。そういうものが表現の自由にあたるのだと思いますが、それをどんどん進めていくとどこかで相手に実害をもたらす局面がきます。幾つか事例を挙げてみたいと思います。

  1. ブロガーがあの店はまずい、絶対いくべきではないとブログに書いて、お客さんが激減した
  2. ブロガーがあの店は健康上問題があるものを出していると書いて、お客さんが激減した(真意はわからず)
  3. あの店はまずいとブログに書き、さらにその情報を広げてくれと他のブロガーに頼み、他のブロガーも一斉にそう書いて、お客さんが激減した
  4. ブロガーがあのお店はまずい、絶対いくべきではないとブログに書いて、お店が潰れ、店主が自殺した

皆さんは、このうちいくつを表現の自由として許せるでしょうか。1は主観型です。自分の主観を書いています。比較的よくあるパターンでしょう。

2は主観的根拠提示型。見方によってはどうとでも言えるというものを、あるデータを元に自分の見方で書いたというパターンです。厄介なのは時々データ自体のねつ造等や恣意的な見方をする場合があることです。

3はスクラム型です。周囲を巻き込んでキャンペーンを張るパターンです。比較的大きな社会問題の時にある形に思います。またいじめもこの形を取ることが多いです。

4は行き過ぎ型です。1の主観型と同じですが、影響力が強すぎて想像以上な結果をもたらしてしまったパターンです。

表現の自由がなくなった社会など僕はとても耐えきれないほど息苦しくて嫌ですが、表現の自由が完全に許された世界は、声が大きい人に、声の小さく気が優しくいつも遠慮をするような人たちが押しのけられていく世界でもあります。表現をできる、主張ができるという時点である種の強者でもあるからです。

表現の自由として許されるのは何番と何番なのか。ぜひ皆さんのご意見を理由とともにお聞かせください。