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空白の時間

2017年06月23日 14時30分 JST

発酵と熟成は、成長においてとても大切な要素だということに気がつく。

これを上手くコントロールできれば、きっともっと発展的な成長ができるのではないか?

いつからか、このような法則が世の中にも働いているのではないのかと気がついていた。

それに気づいてもう30年ほど経つが、いまだに上手くコントロールできているとはいえないのだが。

私は子供の頃そこそこ足が速く、小学生の頃クラスでは一番だった。

父親は戦前生まれだったが、中学生の頃100メートル走で、大阪府での記録を持っていたと聞いたことがある。

そんな私の小学生の頃、大して徒競走が速くないが、まじめに陸上をやっている友達がいた。

その友達はある出来事を境に急激に足が速くなり、あっという間に私も抜き去り、学年で一番の俊足となった。

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また高校生の頃には、陸上部の短距離走で活躍しているクラスメイトがいた。

この友達も同じように、中学生の頃、ある出来事を境に急激に足が速くなったそうだ。

そのようなことを何度か知るにつけ、俊足だったという父親にそんな経験がないか聞いてみた。

すると同じような友人はいたと話してくれた。そしてその友人もある出来事を経験していた。

そのある出来事とは何であったか?

それは風邪で学校を休み、運動ができないという時間を数日持った経験だった。

中学生や高校生の頃、テスト期間を経て再び部活動に参加したときに、動きが大きく進歩した経験のある人は結構いるのではないだろうか?

ある科目をがんばって勉強しているにも関わらずなかなか成績が伸びなかったが、しばらく他の科目に集中してやりこみ、数日して再びその科目に取り組んでみたら、理解度が数日前と明らかに違い進歩した経験を持った人も、多分、たくさんいるはずだ。

テニスをはじめて、毎日練習してもなかなかサーブが形にならず、あるいは自分が打ち返したボールがなかなか相手のコートに返らなかったのに、ある日を境に、いきなり相手のコートにバンバンとボールが戻り始めたりすることがある。

感覚的には、次元が変わったという感じだ。

坂道を上がるように直線的に進歩したのではなく、ある時、段差のある2つの坂をぴょんと飛び越えた感じ。

これは、進歩というのではなく進化と呼ぶほうが適切な表現かもしれない。

自分の人生の、連続性のない次元の違う2点間を繋ぐために必要なのが"空白の時間"だと考えている。

この"空白の時間"に起こっている出来事が、発酵と熟成という変化だ。

米をつき、かき混ぜる。

私たちの日常でいう所のこれは、努力というやつだ。

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この後、発酵して自然の力すなわち、何らかの法則が働き、米はまったく次元の違う、お酒に姿を変えはじめる。

そして熟成をさせることでその深みが増していくのは、人生も同じかもしれない。

このほとんど何もしない発酵の時間に、その次元を変化させる秘密がある。

何がどうなってそういうことが起こっているかは、別に知らなくていい。

ただ、そういう時間を持つことが大切だということだ。

ただしどのくらいの長さの時間が適切かは、経験に頼るしかない。

そこは酒造りと同じで、トライ&エラーを繰り返して最適な解を求めるしかない

手術のような技術の習得も同じだと理解している。

毎日休まずにずっと手術をやり続けていたら、きっと進歩の角度は緩やかになる。

よって投入している労力に対して、結果は大きくないと思っている。

ところが、集中的にやりこんだ後に時々、"空白の時間"を作ってあげると、その間に次元上昇がおこり、技術は飛躍的に進歩するのではないか?

緊張と弛緩を、バランスの良い組み合わせとして持つ必要がある。

もちろん緊張はかなりの努力を必要とする。それは米をかき混ぜるのがかなりの重労働であるのと同じだ。

ここなくしてはお酒は生まれない。

しかし、良質のお酒を造れるかどうかはこの後にかかっている。

すなわち弛緩のあり方である。

特に私が重要だと感じるのは、弛緩の後半。

病気の期間でいうと、熱が出て寝込み、辛い期間(緊張期)を経てから、熱が下がり体が回復期に入り、体の中に力がみなぎりはじめたときではないだろうか?

ここで一気に、自分のその対象での経験が、その他すべての自分の過去のものと脳内で攪拌され、結合し、新しい価値を生み出していく。

自己の人生に関する限り、これは脳の機能によるものだというのが今の自分の仮説だけれども、世の中で起こる場合はどう呼ぶのだろうか?

しかし、そのような法則性はきっとあると思う。

弛緩の前半は、まだ攪拌だけが行われている段階だと思う。

本格的な結合はこの後半の時期に行われるのではないか。

ここで一気に成果を形作る必要がある。

そのためにはこの時期に、陸上の選手ならば、その動きをできる範囲で再現しはじめなければならない。

外科医ならば、手術書を開き、頭の中で手術のシュミレーションの繰り返しを集中的にやらねばならない。

視点を未来に向け一気に駆け上がる。

ところでそういういわゆる"空白の時間"を、人為的に意図的に自分の人生に投入できれば、人は何度もワープしたような成長ができるのではないだろうか?と考えている。

では、どのタイミングでその"空白の時間"を持つか?

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たとえば、手術ならばやりすぎて飽きはじめたとき。すなわち、気持ちやモチベーションが上手く回転してくれなくなったとき。

勉強ならば、やりすぎて頭が回転しなくなったとき。

もっと大きく、人生ならば、一生懸命生きているのに何をやっても上手くいかないと自覚があるとき。

こういうときはあえて一旦、"空白の時間"を入れてみるのだ。

その後、手術やりたいな~、とか

あの勉強に関する本を読みたくなってきた、とか

日々、じっとしていられなくなって何かをやり始めたい衝動に駆られたり、体を動かしたくなってきたり。

そういう、感覚になってきたら弛緩の後半に差しかかっている。だから一気に、その方向に加速していく。

上手くいくこともそうでないこともあるかもしれないが、一度、試してみる価値はあるでしょ?