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「生理休暇」という名前、考え直しません?「痛みは我慢すべき」「生理痛は陣痛の練習」は呪いの言葉です

2017年06月09日 01時52分 JST

厚生労働省が昨年7月に発表した「雇用均等基本調査」によれば、女性労働者がいる事業所のうち、平成26年4月1日から平成27年3月31 日までの間に生理休暇の請求者がいた事業所の割合は2.2%に過ぎず、女性労働者のうち生理休暇を請求した人の割合はわずか0.9%だった

鎮痛薬や低用量ピル、快適な生理用品の普及によって生理休暇を必要としない女性が増えたということもあるが、生理休暇として申請しなくなったというのが、取得者減少の最大の理由だろう。

世界初の生理休暇が日本で生まれてから、今年でちょうど70年。

その誕生までの過程を辿りつつ、今日の生理休暇の在り方について考えてみたい。

最初に「月経時の保護」の必要性が叫ばれるようになったのは、今から100年ほど前。中心となったのは、女性教員たちだった。

1922(大正11)年には、文部省による「産前産後の休養に関する文部省訓令」の細則に、月経時妊娠時の女性教員たちには、体操、運動会、遠足など「体の異状を起し易き職務」の軽減あるいは免除の方法を講じるようにと記された。

1927年には、評議会婦人部が「婦人部当面の任務」として、「日常的要求」10項目を掲げ、そのなかに「月経時における特別保護の獲得」を盛り込んだ。

こうした背景には、女性労働者たちの過酷な労働条件、劣悪な労働環境に加え、トイレなどの衛生環境の不備や、現在のように安全で有効な鎮痛薬、便利な生理用品が普及していないという状況があった。

1931年には、千壽食品研究所が日本で初めて生理休暇を公休として認め、翌1932年には万工商会が生理休暇3日支給を認めた。

その後も戦争によって中断されるまで、生理休暇は切実に求め続けられ、1937年には『婦人公論』誌上で「職業婦人に生理休暇を!」の特集が組まれた。

この特集では、バス車掌や看護婦(当時の呼称)といった女性労働者や、作家や政治家など著名人の声が紹介されている。

バス車掌の女性は、乗車中はトイレに行くことができず不衛生な上、立ちっぱなしで冷えるため「婦人病」を発症しやすいと語り、「看護婦」や小学校教員は、月経時は頭がぼんやりしてミスを犯したり、苛々したりすると告白している。

このように、生理休暇獲得運動の過程で「婦人病を発症する」「ミスを犯す」「苛々する」といった〝月経の病理化言説〟が援用されたことについては、田口亜紗著『生理休暇の誕生』(青弓社)に詳しいが、月経時の不調を強調するため、〝犯罪における月経要因説〟も利用された。

『婦人公論』の特集でも、のちの首相片山哲(当時社会大衆党書記長)が、月経時の女性は精神的な障害を受けやすいため、犯罪や過失を犯しやすく、仕事の能率も悪いから、かえって休ませた方が事業経営者にとって得策だと述べている。

まるで、月経時の女性はどんなミスを犯すかわからないから、生理休暇を与えるべきだと、企業や行政を脅しているようにも聞こえるが、あくまで女性労働者を保護する立場から発せられた意見だった。

この数ヶ月後に日中戦争が勃発し、1940年には労働組合が解散させられ、産業報国会が結成された。

戦中は「産めよ増やせよ」の国策のもと、「母性保護」を重視する声も聞かれるが、実際には目先の労働力不足を前に、女性労働者に対する保護規定は徐々に緩和されていった。

敗戦後、GHQの指令に従って労働保護立法の準備が進められ、労働基準法草案のなかに生理休暇も盛り込まれた。労働運動が盛り上がりを見せ、各労働組合が相次いで生理休暇を獲得するという社会的背景もあった。

しかしGHQ側は、〝男女平等の原則に従えば独自の女性施策はないのが当然〟という論理で生理休暇に消極的だった。

また、労働基準法の立案責任者だった厚生省の寺本廣作は、「そんな汚いものまで書くのですかね」と語り、生理休暇の規定を入れることによって労働基準法そのものが「悪口を言われる」ことを懸念していた(1)。

寺本のような見方にも配慮し、「月経」という〝あからさま〟な言葉ではなく、「生理」という言葉が採用され、「生理休暇」になったといわれているが、「生理休暇」という言葉は、その要求が始まった当初から使用されており、すでに馴染んでいたので採用されたと考える方が自然である。

生理休暇の是非を問う公聴会では、東京女子医科大学創設者の吉岡弥生が、「生理休暇で休まなければならないような状態は病気だ。それは全体の5%しかない。他の95%はなんでもないんだ。こんな規定を作るなら、朝から晩まではいずり回っている家庭の主婦や農家の婦人はどうしてくれる」(2)と不要論を唱えた。

このように反対意見も多かったが、戦前の女工たちの劣悪な労働環境を知っていた谷野せつ(当時労政局労働課員)や、赤松常子(当時総同盟婦人部長)らは頑として譲らず、政府やGHQの担当官を粘り強く説得した。

当時の日本では、トイレのない職場、あっても男女同一という職場が多く、脱脂綿等の生理用品も手に入らなかったのである(生理用ナプキンの発売は1961年)。

かくして1947年、「使用者は、生理日の就業が著しく困難な女子または生理に有害な業務に従事する女子が生理休暇を請求したときは、その者を就業させてはならない」という世界初の「生理休暇」規定が盛り込まれた労働基準法が成立した。

しかし、生理休暇は制定直後から廃止論に晒され、労働環境の改善や生理用品の充実によって必要としない女性が増えるにつれて徐々に形骸化した。そして、1985年の男女雇用機会均等法制定に伴う労働基準法改正の際に「生理休暇」という名称はなくなり、「生理日の就業が著しく困難な女性に対する措置」に改められた。

「保護」より「平等」を求める流れのなかで生理休暇が存在感を失っていったことは当然の成りゆきだった。

しかし、現在では想像も及ばないような劣悪な労働環境、過酷な労働条件に加え、満足のいく生理用品や、安全で効果的な鎮痛薬が手に入らなかった状況に生きていた過去の女性たちが、切実に生理休暇を求めたこともやはり当然だった。

さて現在。女性労働者を取り巻く環境は大きく変化したが、重篤な月経痛や月経前症候群(PMS)に悩む女性たちは大勢いる。特に10代の女性では、対処法がわからずひたすら耐えているというケースも少なくない。

まずは、市販の鎮痛薬が効かない場合でも、婦人科へ行けばより適切な鎮痛薬を処方してくれる、あるいは低用量ピルが月経痛や月経前症候群に有効である、そもそも婦人科へ行くことは恥ずかしいことではないということを、初経教育の際にでも生徒たちに伝えるべきである。

初経教育の質が、女性の人生を左右するといっても過言ではなく、間違っても「痛みはできるだけ我慢すべき」とか「生理痛は陣痛の練習」などといった〝呪いの言葉〟を掛けてはならない。

そして、通院しても不調が軽減されず、「生理日の就業が著しく困難な」場合は、休暇を取得できるということも周知されなければならない。

ただ、「生理休暇」という呼称については一考の余地がある。なぜなら、「生理」を理由に休むことが恥ずかしいという女性もいまだに多く(恥ずかしいことではないと伝えることは簡単だが、羞恥心にも個人差があり強要することはできない)、女性の不調には、つわりや更年期障害もあること、さらには男性にも更年期障害に苦しむ人がいること、そもそも心身の不調に枠などないことを考えると、月経による不調だけを対象とした休暇は現実に即していないからである。

不調の際には誰もが休暇を取れるよう「保証する」ことが重要であり、すでにそういう事業所が増えていることが、冒頭の「2.2%」「0.9%」という数字に表れているのだと思いたい。

(文中、敬称略)

(1) (2) 松本岩吉『労働基準法が世に出るまで』労務行政研究所、1981年

田中ひかるウェブサイト」より転載

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