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特定秘密保護法案:医師に情報回答義務はあるのか(小松秀樹)

2013年12月05日 15時14分 JST | 更新 2014年02月03日 19時12分 JST

2013年12月3日の毎日新聞は、「特定秘密を取り扱う公務員らに対する適正評価について、行政機関から照会を受けた病院は回答義務が生じるとの見解」を政府が示したと報じました。

「内閣官房の鈴木良之内閣審議官が参院国家安全保障特別委員会での法案審議で『照会を受けた団体は回答義務がある』と述べた。共産党の仁比聡平氏が『病院 に調査があったときに回答を拒むことはできるか』とただしたことへの答弁。仁比氏は『患者は主治医を信頼して話せなくなる』と指摘した。法案の12条4項 は、特定秘密を扱う公務員らが適任者か判断するため、『公私の団体に照会して必要な事項の報告を求めることができる』と規定しているが、病院などの団体側については義務規定がない。鈴木氏の答弁は、政府がこの条文を事実上の『義務規定』とみなし、医師らに情報提供を強要する可能性があることを認めたものだ。」

●ジュネーブ宣言

第二次世界大戦中、医師が、国家の命令で戦争犯罪に加担したことがあります。ドイツではこのような医師たちの行為は法律に則っていましたが、ニュルンベル グ継続裁判で起訴され、23人中、16人が有罪になり、7人が処刑されました。断わっておきますが、この裁判自体、戦勝国が正義を敗戦国に押し付けたもの で、手続き上、公平なものではありませんでした。新しく作成した規範に従って、過去の行為を裁くもので、大陸法の原則に反していました。

第二次大戦後、医療倫理についてさまざまな議論が積み重ねられ、医療における正しさを、国家が決めるべきでないという合意が世界に広まりました。国家に脅迫されても患者を害するなというのが、ニュルンベルグ綱領やジュネーブ宣言の命ずるところです。これは行政上の常識にもなっているはずです。ナチス・ドイツでは、国の暴走に医師が加わることで、犠牲者数が膨大になりました。医療における正しさの判断を、国ではなく、個々の医師に委ねなければ、悲劇の再発は防げません。これは日本の医師の間でも広く認識されています。例えば、虎の門病院で2003年に制定された『医師のための入院診療基本指針』の第1項目では、「医師の医療上の判断は命令や強制ではなく、自らの知識と良心に基づく。したがって、医師の医療における言葉と行動には常に個人的責任を伴う。」と定められています。

下に示すジュネーブ宣言は、世界医師会の医の倫理に関する規定です。臨床試験についての規範を定めたヘルシンキ宣言などとともに、日本を含む多くの国で、 実質的に国内法の上位規範として機能しています。ジュネーブ宣言は、医師に徹底して患者の側に立つことを求めます。その責任主体は、主語が示すように、 「私」です。政府の求めるままに個人情報を報告すれば、患者個人の自由が奪われます。

ジュネーブ宣言(2006年版全文。翻訳はウィキペディアより引用)

・私は、人類への貢献に自らの人生を捧げることを厳粛に誓う。

・私は、私の恩師たちへ、彼らが当然受くべき尊敬と感謝の念を捧げる。

・私は、良心と尊厳とをもって、自らの職務を実践する。

・私は患者の健康を、私の第一の関心事項とする。

・私は、例え患者が亡くなった後であろうと、信頼され打ち明けられた秘密を尊重する。

・私は、全身全霊をかけて、医療専門職の名誉と高貴なる伝統を堅持する。

・私の同僚たちを、私の兄弟姉妹とする。

・私は、年齢、疾患や障害、信条、民族的起源、性別、国籍、所属政治団体、人種、性的指向、社会的地位、その他いかなる他の要因の斟酌であっても、私の職務と私の患者との間に干渉することを許さない。

・私は、人命を最大限尊重し続ける。

・私は、たとえ脅迫の下であっても、人権や市民の自由を侵害するために私の医学的知識を使用しない。

・私は、自由意思のもと私の名誉をかけて、厳粛にこれらのことを誓約する。

ジュネーブ宣言は歴史的経験に基づいています。「たとえ脅迫の下にあっても」という文言の脅迫する側には、国家も当然含まれます。

●立憲主義

法律案は憲法に抵触する可能性があります。憲法は、神棚に飾っておくものではなく、健全な政治を維持するための実用的な道具です。日本国憲法の基本価値は 「個人の尊厳」であり、立憲主義によってこれを実現します。立憲主義とは、憲法によって国家権力を制限し、個人の自由を守ることを意味します。権力は自ら の権力を大きくしたがり、放置すれば個人を押しつぶすことになるというのが立憲主義の前提です。国家を縛るものがなければ、個人の自由を守ることはできま せん。憲法が国家を縛り、法律が国民を縛るというのが、近代国家の基本的な形です。

トーマス・ジェファーソンは、アメリカ合衆国の独立宣言の起草者であり、第3代大統領です。近代立憲主義の生みの親の一人です。J. F. ケネディ大統領が、最も尊敬した先輩大統領として知られています。ジェファーソンは、「信頼はいつも専制の親である。自由な政府は信頼ではなく、猜疑にも とづいて建設せられる。われわれが権力を信託するを要する人々を、制限政体によって拘束するのは、信頼ではなく猜疑に由来するのである。わが連邦憲法は、したがって、われわれの信頼の限界を確定したものにすぎない」(清宮四郎『法律学全集3 憲法1 第3版』有斐閣)と憲法の意義を要約しました。

個人の自由を制限できるのは、別の個人の自由と衝突した場合だけだというのが、近代以後の世界的合意です。

第二次大戦中の1942年、ウェストバージニア州教育委員会は、国旗敬礼、宣誓を公立学校の正規の教育課程の一部とし、すべての教師・生徒に敬礼儀式に参加することを義務付ける決議を採択しました。「エホバの証人」の信者であるバーネット家の姉妹は、敬礼を拒否したため退学処分になりました。

1943年、連邦最高裁判所は、教育委員会の処分が、憲法が定めた権限を超えるものであるとしました。これは、合衆国史上最も有名な判決として知られています。

判決の第一の理由は、国旗敬礼を拒否する自由は、他のいかなる個人の権利とも衝突せず、唯一の衝突は行政権力と個人の権利との間にあることでした。

国家の安全のために秘密にすべきものがあるのは当然だと思います。しかし、行政から独立したチェックがないまま、行政が特定秘密を指定すれば、行政の都合の悪いものが秘密とされ、個人の自由と衝突するものが、別の個人の自由というより、むしろ、行政権力になってしまいます。

日本国憲法は、人権制限の根拠として、「公共の福祉」という言葉を使っています。高橋和之氏は、「憲法が個人の尊厳を基本原理とする以上、公共の福祉を全 体主義的な思想を基礎にした『全体の利益』という意味に解することが許されないのは言うまでもない」「『公共の福祉』とは、すべての個人に等しく人権を保障するために必要な措置を意味する」(『立憲主義と日本国憲法』東大出版会)としています。

法律で照会できると規定されていても、漫然と回答することが許されるわけではありません。弁護士法23条の2は、弁護士会が弁護士の求めに応じて、「公務所又は公私の団体に照会して必要な事項の報告を求めることができる」としています。犯罪歴を報告したことが、最高裁で、過失による違法な公権力の行使にあ たると判断された事件がありました。解雇事件を会社側から受任した弁護士の求めに応じて、弁護士会が「中央労働委員会、京都地方裁判所に提出するため」として、京都市の区長に係争相手の前歴を照会しました。区長が前科を報告したところ、会社側が前科を公表し、経歴詐称を理由に予備的解雇としました。犯罪歴 は個人のプライバシーでも最も重要なものであり、みだりに公開すべきものではありません。報告することが必ずしも必要だったわけではないとして、違法とされました。

法案が成立した場合、司法はどのように関与できるでしょうか。医師が回答を拒否した場合、罰則があれば、司法に持ち込まれる契機になりますが、罰則はついていません。あいまいな強制力で争点を生じさせないようにすれば、司法の場に持ち込まれにくくなります。適正評価の対象となっている個人が、医師や医療機関を訴えることは考えられません。勝訴することが、本人のメリットにつながらないからです。

三権分立は権力の暴走を防ぐための仕組みであり、健全な国家運営に必要なものです。照会・回答は、人権に関わる問題であり、司法による判断が重要な領域です。司法をできるだけ排除しようという意図があるとすれば、危険だと言わざるをえません。

前記、毎日新聞の記事によると、国連のピレイ人権高等弁務官が秘密保護法案について「『秘密』の定義が十分明確ではなく、政府が不都合な情報を秘密扱いする可能性がある」と懸念を表明しました。「ピレイ氏は『日本の憲法や国際人権法が定める情報へのアクセス権や表現の自由に対する適切な保護規定を設けず に、法整備を急ぐべきではない』と指摘」しました。この内政干渉ともいえる異例の発言は、この法律案が近代憲法を支える世界共通の合理性と矛盾する可能性 があるからだと想像します。

国際的な拡がりのある疑念を押し切って法案を成立させれば、特殊な国家とみなされ、国益を損ねかねません。慎重に審議を尽くして、適切な修正を加え、疑念を払拭する必要があると思います。

(※この記事は2013年12月4日発行のMRIC by 医療ガバナンス学会 Vol.296 「特定秘密保護法案:医師に情報回答義務はあるのか」より転載しました)