アイデンティティ

 

なぜヨーロッパの国には「そこにしかない」ものがあるのか

早いものでロンドンに引っ越してきてから丸3年以上経ちました。 来るときは「5年はいるかなー?」と言っていたのに、ロンドン生活が楽しいのでもうちょっといることになりそうです。2年ほど前、当時ケンブリッジMBA留学中の人に「ようこさんがキャリアを決めるポイントは何ですか?」と聞かれたとき、「場所」と答えたら彼は絶句してました(もっとかっこいい理由を期待してたのかしらん?)。
足成

ネットで「承認欲求」が使われるようになっていった歴史

この記事では、インターネットやメディア上で承認欲求という言葉が使われるようになっていった経緯について、個人的にまとめてみる。現在、承認欲求という言葉はネットスラングのように用いられている。と同時に、著明な学者さんが「承認」という言葉を使ったり、承認欲求をメインテーマにした本が売られたりもしている。だが、こうした風景が昔からあったわけではない。
足成

私達はどのように承認欲求と向き合うべきか

ここまで、承認欲求について連載してきた。それらを踏まえ、どのように承認欲求と向き合うべきかについて私見をまとめ、結びとする。最初に述べたように、認められたい・褒められたい・いっぱし扱いされたいといった社会的欲求は、ヒトに生得的に具わったものと思われ、ほとんどの人間に具わっているものと思われる。だから、承認欲求という言葉で表される心理的性向そのものを否定するのは色々な意味で筋が悪い。
足成

承認欲求がバカにされる社会と、そこでつくられる精神性について

先日の記事では、承認欲求が社会化されていくプロセス、熟練度がアップしていくプロセスについてまとめた。今回は、承認欲求、とりわけ思春期前半の逸脱しやすい承認欲求が罵倒されたり排除されたりしやすい社会情況と、その問題について振れてみる。昨今、思春期前半の承認欲求が馬鹿にされたり、批判に曝されたりする機会が増えたように思う。
足成

承認欲求の社会化レベルが問われている

前回示したように、承認欲求そのものを叩くことに意義は無い。だが、承認欲求の充たし方、承認欲求にモチベートされて行う行動には、是非や可否が伴う。つまり、承認欲求をモチベーションにすること自体はオーケーとしても、社会的に妥当な充たし方かどうか、年齢相応の水準で充たしたがっているかどうかは常に問題になる。 承認欲求の社会化レベルが問われているのである。
足成

承認欲求そのものを叩いている人は「残念」

「承認欲求や自己愛は人間の基本的な心理的欲求」であり、それそのものをバッシングするのは人間の基本的性質をバッシングするに等しい。ところが今日のインターネットでは、承認欲求という言葉が罵倒語としてしばしば用いられている。どうして、承認欲求(笑)として叩かれてしまうのか?
Win McNamee via Getty Images

「きっと何者にもなれない時代」の平凡と「あらかじめ何者かが強制された時代」の平凡

以前、深夜アニメで「きっと何者にもなれないお前達に告げる」という台詞が出てきて、ちょっとした人気を博していた。「きっと何者にもなれないお前達」という台詞がインパクトをもって受け止められたということは、多くの視聴者が「何者かになりたい」自意識を抱えていたのだろう。それとも「何者かにならなければならない」けれども「何者にもなれそうにない」と思っていたか。