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非常識な常識からの転換を~こびりついた想念を削ぎ落す

2017年04月13日 00時22分 JST

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先日一応の完結をみた「働き方改革実現会議」は全体で九つのテーマを設定するという大変欲張りな会議であった。委員の一人であるとともに連合の立場を代弁することとなった私としては、とりわけ同一労働同一賃金と長時間労働是正の問題についてこだわりをもって対応してきた。

紙幅の関係もあり、また随分と話題にもなったことから、ここでは長時間労働是正のテーマに絞って、事の顛末を含めてその意義を述べておきたい。

男社会の悪しき常識に引きずり込まれた30年間

働き方改革の諸問題を通じて大きなポイントとなってくるのは、女性の働き方の問題であると考える。

今回、労働基準法70年の歴史のなかで、初めて時間外労働の上限規制が法律に書き込まれるわけであるが、これはしかし、正確に言うならば、「男女ともに」上限規制がかかるのは史上初めてということなのである。

歴史の流れのなかでほとんど忘れ去られそうな事実であるが、かつて女性には厳しい時間外労働の上限規制が定められていた。

「年間150時間・週6時間・一日2時間」と言うものである。そういえばそうだったなと記憶がよみがえる年配者ももちろんおられようが、大半の方々、特に若い方々には信じられないような話ではなかろうか?

一つの節目があった。今からおよそ30年前のことである。

1986年に雇用機会均等法がスタートした。そのことと軌を一にして、この女性の時間外労働の上限規制が段階的に緩和されていったのである。

そしてついには、1999年に男性と同じ条件になったのである。

連合は、均等法の考え方自体は積極的に推進する一方で、時間外労働については一定の段階での男女共通規制の導入を主張していたが、流れをとどめるには至らなかった。

長時間労働の是正というテーマ自体は長きにわたって認識され続けてきた問題だ。しかし、かの前川レポートが外圧を発端としたものであること自体が象徴するように、企業社会において、自らの差し迫ったニーズとして主体的に改革をするという気運がふくらんだわけではない。

社会全体で流れが変わるようなことにはならなかった。男社会の悪しき常識を背負ったこの70年間、長時間労働の問題は、多少の波はあったにせよ、本質が大きく動くことはなかったのだ。そしてその波の中で女性の世界には存在した上限規制は、遠い昔の話になってしまった。

全くもって皮肉な話だが、これだけ女性の社会参加が叫ばれているなかで、この30年の歴史は、結果的に女性の進出を阻み、道を閉ざすような労働時間慣行をつくってきてしまったのだ。

今度の時間外労働上限規制は罰則付きで史上初めて男にも女にも適用されるものである。今度は女も男も共通の新しい常識を確立していかなければならない。

マッチだけでなくポンプも責任をもって

今回、長時間労働是正の実行計画策定に至る一連の推移、すなわち2月1日の同会議から一ヶ月半強の間の動きは、関わるメンバーにとって、まさに筋書きのないドラマといっても過言ではなかったと思う。

こんな言い方をすると、なんだそもそも筋書きがあるのかなどと皮肉られるかもしれない。

そして今回の実行計画の内容が会議の主催元である総理や内閣官房の思惑を大きく逸脱したかといえばそういうわけでもない。

しかしそもそも私は、唯一人労働者の代表として参画しているこの会議の議論過程が、淡々としたものとなってはならないという強い思いを持って臨んできており、とりわけその思いを強固にしたのが、1月の末に相次いだ「政府案」の先行報道だったのである。

時間外の労働時間に上限規制を設けるという方向性自体は既に明らかになっていたわけであるが、問題はこれらの報道が軒並み「繁忙期は100時間」というタイトルになっていたことだ。

なんだこれは。これではまるで忙しいときは月に100時間残業することが当たり前みたいなものの言い方ではないか。

私が直後の2月1日の同会議で「一ヶ月100時間などは到底あり得ない。距離感を明確なものとすることが必要だ」と発言したのは、一連の報道内容に対する率直なリアクションである。(実はこの一連の報道の少し前に憶測記事がいくつかあり、某全国紙などは上限値は80時間と報じていた。一連の「政府案」報道はこれらを打ち消すためであったという見方もある)

私に言わせるならば、これら一連の報道はいわばマッチポンプのマッチの発端である。マッチがすられて、「100時間残業は当たり前」の火がつけられたのである。

当時、会議で発言した私に成算や目算があったわけではない。それでも私がどうしても看過できなかったのは、平気な顔で「繁忙期は100時間」などという見出しがつくられ、そしてそれが一斉に出回りそれを許容してしまうという、社会の悪しき常識の上塗りだったのだ。

その後、労使での合意がなければ法改正はできないと総理から言われ、いわば瓢箪から駒の労使協議となったわけだが、結果的にはこの、連合と経団連との協議により、当初は想定していなかった範囲まで様々な手立てを構築できた。

双方の事務局間の対応はまことに真摯なものであった。いわゆる過労死ラインとの明確な距離感をつくるための原則やインターバル規制などの努力義務も課せられたのであり、労使がこれを整斉と実行するならば、これまでの悪しき常識をくつがえすことは十分に可能なはずだ。

しかし、相変わらず100時間の数字や法の抜け穴的なところを際立たせる傾向はそこここにある。

このことが結果としてブラック企業たちに対する間違った気づきや素材の提供になってはならない。

悪しき常識に引きずられた企業の取り締まりの強化や、問題のある36協定をなくしていくことが不可欠であり、そのあたりもしっかりと報道されることを強く望む。

マッチポンプなどと失礼な言い方かもしれぬが、しかしどうせなら最後の火消しまでしっかりと取り上げてもらいたい。

非常識な常識を転換させよう

いずれにしても、こびりついた想念をそぎ落とし、悪しき常識を撲滅していくためには、これからの政労使の格段の努力が不可欠である。

今、この日本という国は、働き過ぎで命を落とすという、絶対にあってはならない「過労死」・「過労自殺」が、それぞれ認定ベースだけで毎年百件前後もおきてしまうという国なのだ。

世界中の英語の辞書にKAROSHIという日本発の言葉が載ってしまうような国なのだ。

過労死・過労自殺という非常識な現実をくつがえすためのスタート台はつくられた。

一方でいくつかの猶予措置はあるし、特例の上限時間もそれ自体は長すぎるとの批判もある。

しかしそれらは、長時間労働抑制に向けた努力の輪に全体を収斂させていくためのものでなければならない。

そもそもこれらはサービス残業や違法行為などの抜け駆けを許さぬためのものであるはずだ。非常識な労働実態を生じさせずに5年後の見直しにおける前進につないでいかなければならない。

残業が必要ならば、必ず従業員代表と36協定を結ぶこと、そしてその限度時間は月間45時間・年間360時間の範囲に収まるものとすること。この本来の常識が名実ともに常識となる日を一刻も早く実現しなければならない。

連合は旗を振り続けていく。