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若者にハングリー精神を求めるなんて愚の骨頂/日本の閉塞感を打破する秘策とは?

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偉い人たちが考えている:「日本企業がiPhoneやFacebookのような製品・サービスを生み出せず、サムソンに大敗するのはなぜだろう?」そして3秒後にこう答える。「最近の若者にハングリー精神が足りないからだ!」マジで言っているなら噴飯ものだ。あいつら、なんにも解っちゃいない。

一般的に、哺乳類は歳を取るほど保守的になり、若いうちほど挑戦的だ。ヒトもその例に漏れない。なかには大器晩成型のヒトもいるけれど、誰もがサミュエル・L・ジャクソンになれるわけではない。組織の平均年齢が高くなれば、それだけ保守的な集団になり、革新的なモノが生み出されなくなる。日本では「産・官・労」の高齢化が進んでおり、そのことが現在のあらゆる閉塞感の原因となっている。

したがって「国家公務員の新規採用4割減」は亡国の愚策だ。組織の新陳代謝が止まったら、もう誰にも現状を打破できなくなる。

(参考)国家公務員新規採用4割減 「若者いじめ」批判相次ぐ J-CASTニュース



映画『ソーシャル・ネットワーク』をご覧になっただろうか。Facebookの誕生秘話を描いた作品で、アカデミー脚色賞を受賞した。実話をもとに娯楽性の高い青春ドラマに仕上がっており、とても面白かった。

この作品では「Facebookを作った人々」が、みんな子供っぽく描かれている。大学生が特技を磨いているうちに、気づいたらとんでもないモノを作っていた――。そこには一片の真実があるのだろう。パーティーシーンでの乱痴気騒ぎは誇張かもしれないが、「学生と大差ない年齢の人々がFacebookを作った」という点に嘘はない。世界最強のSNSは、若者の手によって生み出された。

そしてApple社。ジョブス氏が創造性を最大限に発揮したのは、やはり若年のころだ。彼は死の直前まで私たちを熱狂させてくれたが、現在のApple社は彼一人の才能で運営されているわけではない。ジョブス氏の死後もApple社が衰えることを知らないのは、あの会社が組織として成熟しており、カリスマの才能に依存しない体制ができあがっていたからだ。ここ数年のApple社は、表舞台には出てこないたくさんの後継者によって支えられていた。

さらにサムソンの平均年齢は32.8歳、取締役ですら平均年齢は45歳前後だという。これらの企業に共通する特徴は、「次世代の力・若い才能をうまく活かしている」ということだ。

では日本の代表的企業の平均年齢はどうかというと、こんな感じ:

社名・平均年齢・平均勤続年数(2011年3月期年次決算)

新日鐵・40.7・20.4

パナソニック ・44.6・22.9

東芝・41.3・17.3

三菱電機・41.4・18.7

ソニー・41.0・16.5


これこそ、日本が革新的なモノを作り出せない本当の理由だ。取締役の平均年齢は50代・60代が当たり前。若い労働者に「人件費が安い」以外の魅力を見つけられず、非正規で買いたたく。それが、この国の産業界だ。少子化と採用削減のダブルパンチで、日本の大企業は高齢化の一途をたどっている。

組織の平均年齢が高くなると、なぜ創造性が失われるのだろう。

そこには大きく二つの経路がある。

一つは「ヒトは歳を取ると創造性を失う」という避けようのない事実だ。一般的に言って、ヒトは歳をとるほど物覚えが悪くなり、頭の回転が鈍くなり、新しい発想を生み出せなくなる。性格は穏やかで保守的になっていく。なかにはゲーテのように"生涯を青春に生きた"ヒトもいるし、サミュエル・L・ジャクソンのように"42歳でブレイクした"ヒトもいる。けれど、そんなの例外中の例外だ。平均的に言って、中高年は創造性・独創性・新規性・革新性などで若年層にかなわない。そして本来、それは悪いことではない。若者の蛮勇を諌め導くのが、保守的で穏やかな年上世代の役割だからだ。

しかし、そういう「年上世代の役割」が目の上のたんこぶになってしまうこともある。それが二つ目の経路。

どんなに平均年齢の高い企業でも、毎年それなりの人数の新入社員を採用しているはずだ。にもかかわらず革新的な製品・サービスを生み出せないのだとしたら、それら「若い才能」を生殺しにして潰してしまう体制がある――と考えざるをえない。

社内の空気や不文律が「新しいアイディア」を潰してしまうのかもしれないし、仕事の細分化が進んだ結果、若手のアイディアが製品化までたどり着けない仕組みになっているのかもしれない。いずれにせよ「高齢な組織」では若者が活躍できない。朱に交われば朱くなる、新入社員たちは「若者らしさ」を奪われ、失ってしまうのだろう。

これが日本の「産業界の高齢化」だ。

少子化の時代、このような高齢化は日本のあらゆる組織で進行している。

たとえば政治だ。日本の世代間格差は目も当てられないほど大きい。にもかかわらず、再分配政策はまったく機能しないまま放置されている。この国の政府は少子化を止める気なんてさらさらなくて、的外れなバラマキばかりが行われている。で、困ったら「移民を受け入れようか......」とか言い出す。移民を受け入れたって、政府組織の新陳代謝は進まない。なにも変わらないのだ。政府は高齢の官僚たちに牛耳られ、選挙は膨大な数の高齢有権者に支配されている。若年層のための――未来のための施策がとれない構造になっている。

これが「官」の高齢化だ。

さらに本来ならば世代にかかわらず労働者の味方となるべきはずの労働組合も、若い世代には背を向けている。リーマンショック直後、活躍していたのは草の根の労働者団体だった。三大団体がぎりぎりまで沈黙を守っていたことを、私はたぶん一生忘れない。というか、そもそも現在の労働組合は極めて保守的になっている。以前にも書いたとおり国際的な情勢の変化にうとく、また雇用構造の変化という時代の流れからも取り残されている。どこまでもドメスティックで時代遅れな保守団体、それが現在の労組だ。私たち労働者の味方を名乗るのなら、それらしい振る舞いを取り戻してほしい。現在は「高齢な労働者」の職を守ることだけに特化しており、若年労働者のことなんてハナから考えていない。

これが「労」の高齢化である。

少子高齢化は、社会福祉だけの問題ではない。

若年層の減少が「産・官・労の高齢化」をまねき、先見性のあるアイディアや革新的な施策、製品、サービスなどが生まれなくなっている。一言でいえば「社会の活気が失われている」のだ。

これこそ、少子高齢化の本当の恐怖だ。



いまの日本は「閉塞感に覆われている」という。その本当の原因はなんだろう?

目の濁りはじめた人たちは「最近の若者はハングリー精神が無いからだ」という。「草食化」や「海外志向の減退」をあげつらう。そして、ハングリー精神が失われた理由を「日本が豊かになったから」だと結論づける。

自分たちが若いころにはモノもサービスも全然なかった。けれど今の若者たちはモノに満ちた社会に生きている。だから欲に乏しい。日本が閉塞感に覆われている原因は「若者が無欲だから」で、その理由は「自分たちが日本を豊かにしてきたから」だという。ご立派だ。こんな典型的な「若者論」を、それなりの社会的地位を持ち、若いころはそこそこ頭が切れたであろう人たちが平気で口にする。

けれど「若者論」をふり回す人たちは、いったい何人の若者を知っているのだろう。自社の新入社員とあけすけな議論をしているのだろうか。学生たちと酒を酌み交わす機会があるだろうか。自分の娘・息子ともまともに会話できない人が「若者論」を叫んでいるのだとしたら、ギャグを通り越して悲痛さを感じる。

いまの中高年が若いころにはモノがなかった――それは事実だろう。

日本を豊かな国へと成長させてきた――それについても、まあ、認めよう。

けれど、それらの事実は「現在の若者がハングリー精神を持たない」こととは無関係だ。ハングリー精神という極めて主観的なものを、過去と現在とで比較しようとすること自体が無意味である。

時代や地域を選ばず、若者とは一般的にハングリーなものだ。しあわせを掴もうとして、もがくモノだ。ただ、「しあわせ」の定義が時代によって変わっているだけ。現代的なしあわせを求めて、いまの若者たちも充分にハングリーな精神を持ち合わせている。若者にハングリー精神を求めるなんて愚の骨頂だ。だって、もう持っているのだから。

とはいえ、たとえば電話を知らない未開人にインターネットを説明しても理解してもらえないように、「古いしあわせ」しか知らない人に「いまのしあわせ」をどんなに説いてもムダだろう。

中高年の人々が「若者論」を振りかざすのは、一種の期待なのだと思う。歴史は、若い世代によって動かされてきた。年上世代の人々も現在の閉塞感に嫌気がさしているからこそ、どこかにいる「すごい若者」にこの世界を変えてほしいと期待しているのだ。で、その期待が満たされないから「ハングリー精神が足りない」と短絡する。

しかし、この「閉塞感」の本当の原因は、あらゆる組織・集団の高齢化だ。若者のハングリー精神が不足しているのではない、生まれ持った蛮勇さを発揮できない社会構造の側に問題があるのだ。「産・官・労の高齢化」が解消されない限り、この国に未来はない。

人はいつか死ぬので、高齢化による閉塞感はいつか解消される。

けれど、それが50年後では意味がないのだ。



以上の考えを踏まえて、もう一度このニュースに目を向けてみよう。私が「亡国の愚策」と呼んだ理由がお分かりいただけるだろうか。

(参考)国家公務員新規採用4割減 「若者いじめ」批判相次ぐ J-CASTニュース

とくに意味不明なのは、「民間でも業績が悪ければ、まず採用を抑制するのは普通」という答弁。すんませんニホンゴでお願いします、なに言ってんのか分かんない。民間なら、給与の高い中高年社員のクビを切るのが普通だ。むしろ人件費の安い若者を非正規で使い捨てにするという別の問題が起きている。そういう問題を解決することこそが、あなたたち政府の役割ではないのか。ほんと、なに考えてんだろ。なにも考えてないんだろうな。

新規採用を絞れば、それだけ組織の新陳代謝は鈍る。高齢化が進み、時代に即応できなくなる。若者の雇用が失われるとか、若者イジメだとか、そういう次元の問題ではない。この国の将来が危うくなるのだ。



なぜ「若者論」がダメかといえば、若い世代へと責任転嫁をすることで、本質的な問題点から目をそらしてしまうからだ。

日本企業がiPhoneを作れずサムソンやインテルに敗北したのは、若い技術者たちのハングリー精神が足りないからではない。組織が高齢化しているからだ。

人は歳を取るほど保守的になり、革新性を失っていく。日本企業がイノベーティブ()なモノを作れないのは、平均年齢が高すぎるからだ。日本の官僚が杓子定規な行政運営しかできないのは、平均年齢が高すぎるからだ。日本の労組が就労環境の変化に対応できないのは、平均年齢が高すぎるからだ。

この「産・官・労の高齢化」こそが、若い世代の生きづらさの原因だ。そして日本を覆う閉塞感の、本質的な原因でもある。高齢化社会とは、社会保障だけの問題ではない。世の中全体から活力が失われることこそ、本当の問題なのだ。

けれど私は、年上世代の頑迷さを責めるつもりはない。

ヒトが歳をとるほど創造性を失い、保守的になるのは、本来なら悪いことではないからだ。世代の差もまた、尊重すべき多様性のひとつだ。各世代がそれぞれの強みを活かせる社会こそが望ましい。「少子高齢化が進むなかで、社会の新陳代謝をいかにして進めるのか」これは日本人すべてにとっての問題だ。世代を超えた課題だ。手を取り合わなければ解決の道はない。

人が歳をとるのは、その人の責任ではない。

(※この記事は2012年3月7日の「デマこいてんじゃねえ!」より転載しました)

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