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震災後の日本、セウォル号事故後の韓国。傷の「治癒」は始まらない

2014年10月20日 23時46分 JST | 更新 2014年12月20日 19時12分 JST
Getty / 時事通信社

私が参加している'Asia Leadership Fellow Program'の一環で、韓国系アメリカ人ミナ・T・ソン監督が製作中の映画「陸前高田の2014年」の「中間発表会」に参加した。私は仮編集版を見てコメントする役割だった。東京で、30分のドキュメンタリーを見て感慨にふけった。

岩手県陸前高田市。2011年の東日本大震災で最も深刻な被害を受けた地域の一つだ。

津波の前も後も、陸前高田に住んでいる中年の「タカ」は、いつも住民といさかいを起こしてばかりだった。そんな彼が津波を機に「正直に生きよう」と決意する。今も陸前高田の海辺をただひたすらに歩き、元々、海辺にあった物でないものをすべて拾い集めている。誰かの服も、割れた洗面台の破片も。海辺で人の骨片を見つけたときに考えついたボランティアだという。

giveの人からtakeの人へ、彼は自ら変わることで打ち勝とうとしている。

津波で息子を失った「ジュンイチ」は、震災前に営んでいた店を続けている。息子は生前、父の店でとても一生懸命働いてくれた。ジュンイチは古びて傷ついた看板を額縁に入れて店にかけている。息子の記憶をとどめようと思ったからだ。

彼は記憶をとどめることで打ち勝とうとしている。

職を求めて東京に出ていた少女「カナコ」は、津波で家族全員を失った。母校も津波に襲われたが、学校自体は残った。「私は元々この町が嫌いだった」と言いつつ、戻ってきたカナコは「それでも学校が残っていて嬉しい」と明るく笑う。

彼女は笑って忘れることで打ち勝とうとしている。

手を挙げて質問をした。

「被災者にとって、克服するために社会に必要なことは何ですか?」

ソン氏が会った住民は、2つのことを話したという。

「本当の話を世の中に知らせてほしい。私たちが本当はどういう状態なのか」

「私たちが経験した悲劇から日本社会が何かを学んでほしい」

自分たちの本当の姿が依然、世の中に正しく伝わっていないと思っているのだろう。自分たちの苦痛が無駄ではなかったと確認したいのだろう。

東日本大震災に襲われた地域は傷だらけだ。数年が経った今、複雑な事情が生き残った人たちに、また津波のように迫ってきているという。

救援物資をめぐるいさかいが起こり、再建方法をめぐる対立がある。被災地を見学に来た観光客から収入を得ようとする人が増え、破壊された場所を保存すべきだという話も出ている。記憶するためではなく、当座の糊口をしのぐためだ。地域の性暴力と家庭暴力は、以前より増えた。しかし日本政府とメディアは「日本は再び立ち上がっている」という類いの話ばかり繰り返している。

陸前高田では、巨大な復旧工事が始まった。中心部の土地を10メートルかさ上げして造成する工事だ。震災の残骸は全て土の中に葬られる。その上に高層マンションが建つだろう。住民が仮設住宅を出て、新しい家に入居できるのは8年後だという。

ボランティアは、陸前高田を明るくしようと、行方不明者の遺体がありそうな道端に街灯を照らそうとしている。どうすればいいかまだわからないが、灯を灯すことから始めることしか、できることはないという。

すべてが崩れた場所で、すべてを失った人たちに、適切に記憶するよう手伝うこと、そして前に進む力を与えること。どこでも容易なことではない。3年が過ぎた今もまだその仕事を終えていない日本でも、4月16日から一枚もカレンダーをめくることができていない韓国でも。

ソン監督は、映画の完成に2-3年はさらにかかりそうだと言う。陸前高田の社会が再建されるには、数十年はさらにかかるだろうとも言う。それでも誰かが詳細に記録し、整理し、明らかにしなければならないだろう。

   ◇

被災者たちは、まだ真実が世間に知られていないと言う。そして自分たちの痛みが無駄にならないことを心から願っている。その痛みから社会が何かを学んで一歩前に進まないと、被災者の「治癒」は始まらないのだろう。韓国の「セウォル号事故」と重なり、途方に暮れた。

東日本大震災と津波が襲った東北地方は依然として傷だらけだ。残された人々にとって、日常そのものが苦痛の津波だ。小熊英二・慶応大教授によると、震災から3年が経った時点で27万人が自宅に戻れず、10万人が仮設住宅で暮らしている。人が続々と離れ、人口が30%減った市町村もある。経済基盤は崩れた。政府が資金を供給して建設工事を行い、公共事業で雇用を作り出し経済を支えている。しかし、このような政策が住民の政府依存を高めるという批判もある。

社会問題はより深刻になっている。地域の性暴力と家庭暴力が増えたと報告されている。このままでは、老いたり、病気だったり、貧しかったりする人だけが残る地域になるかもしれない。すでに活力を失って人口が流出し、超高齢社会に入っていた。そうした問題を解決できない社会の未来を津波が繰り上げて示しただけだと、小熊教授は分析する

宮城県石巻市の大川小学校では全校児童108人のうち74人と教師10人が死亡した。真相調査委員会が組織されて調査が行われ、今年2月に報告書が出た。児童は津波警報後も50分、学校の運動場でただ待っていた。「動くな」という命令に従い待っていたセウォル号の高校生を思い起こす。警報後、すぐに学校の裏山に避難していれば全員が助かったという結論が出た。なぜ先生と児童はただ待っていたのか? 何が間違っていたのか? 教育システムなのか、命令と服従の文化なのか、大災難に鈍感な市民意識か?

1万5千人という津波による死者の、個々の事情は様々だろう。彼らの真実はどれだけ明らかになっているのだろうか。

大川小学校の遺族は市を相手取り訴訟を起こした。真相究明が足りないと思ったからだ。「事実が曖昧なまま残されれば、未来に何を残し努力すべきなのかも曖昧になってしまう」と言う。政府やマスコミは真実を過小に伝え「日本は傷を乗り越えて再び立ち上がっている」という話をしたがる。こうして、傷はさらに深まっていく。

セウォル号事故の真相調査委員会には2つの課題がある。本当に起きたことを被害者の視線で事細かに明らかにしなければならない。そして発生と救助の過程で露呈した韓国社会の問題を市民の視線で明らかにしなければならない。特定の誰かの法的責任を問うためではない。韓国人すべての社会的責任を問うためだ。3年後に振り返ったとき、韓国社会はセウォル号事故から何を学び、何を変化させているだろうか。

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韓国・セウォル号沈没事故(2014/04/16~)

奇跡の一本松