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「東北の湘南」でわたしは高野病院の院長になった

2017年02月07日 22時25分 JST | 更新 2017年02月10日 15時52分 JST

「良かったね、安心したよ」。そう言うと、私より半世紀以上も長く生きているその患者さんはにっこり笑った。

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2017年2月1日から、福島県の福島第一原発から22kmに位置する高野病院の院長として働き始めた。「もし他に院長をする医師がいないのなら私が」と手を挙げてから3週間、広野(ひろの)駅に降り立った。

ボタンを押さねば開かない電車のドアを開け、ひとまず衣類だけを詰め込んだ重いスーツケースを持つ。エレベーターは無いので、階段を登る。予想外に気温は低くなく、殆ど東京と同じだ。

じっとりと汗ばみながら、広野駅の改札を出る。高い建物が無いからか、空が広く感じる。駅には亡き院長の娘である高野己保(みお)理事長がわざわざお迎えに来てくれている。

車に乗り込みお話をしながら病院へ向かう。ふと車窓から外を見ると、青い海がすぐそばに見えた。車はいつの間にか海沿いの道を走っていた。なんと美しい海。しかしこれほど海と近かったのか。

6年前のあの日、この辺りは一面海になったと聞いた。病院は小高い丘の上にあり流されずに済んだという。そんなお話を聞き、私は「きれいな海ですね」という言葉を慌てて飲み込んだ。

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私の勤務初日は、前日の21時から仕事が始まった。当直業務からだ。翌日には朝、職員の皆さんへの挨拶があり、業務が始まる。早く寝なければ。焦ると余計に眠れないのは、昔からだ。真夜中に小一時間の仕事をした後は全く眠れなくなる。

ようやくうとうとしたころ、新しくしたiPhoneのアラームが無情に鳴った。朝からシャワーを浴び、目を覚ます。8:30になり、私は挨拶を始めた。数日間ずっと考えていた言葉を、言った。大きなテレビカメラは8台くらい、新聞社も5,6社は来ていた。きっと職員の皆さんはうんざりしているだろう。東京から来たよくわからない出たがりの若造が、それっぽいことをカメラの前で言っている。

挨拶が終わり、記者さんに囲まれての取材。頼む、早く終わってくれ。いや、これはいい経験になると自分に言い聞かせる。

いろんな記者さんがいた。不躾に電話をかけてきて、「先生って何科なんすか?何歳すか?その想いとは?」という記者もいた。一方で、私の情報を詳しく調べてきて拙著も読み込んでから取材してくれる記者もいた。

何十件の取材を受けただろうか。病院の広報になれば、後任医師を探す手助けになればと思い全て受けた。私という「人間」と付き合ってくれる人には何でも話せたが、私という「ネタ」と付き合うだけの記者には棒読みになった。私が偉いとかそういうことではない。人間と人間が出会って話を聞くのなら、それだけの礼儀があるはずだ。

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ともかく診療を開始した。正直なところ、入院患者さん100人の診療は楽ではない。山ほどカルテを書き、山ほど検査データをチェックし、薬を文字通り売るほど処方する。加えて外来にも15人ほどの患者さんはいらっしゃる。さらには病院の管理者としての仕事もある。一日に印鑑を押す回数は20回ほどだ。ほぼ毎日メディアの取材も受ける。

そんな中、日本各地から支援に来て下さる医師がいる。その先生方のおかげで、私の当直は月5日だけだ。平日の日中にわざわざ早く来てくれて病棟を診て下さる医師、「無理しないで先生は休んで」と言ってくださる医師、支援する会の気骨ある医師たち。

そしてユーモアの塊である理事長と、優秀な高野病院スタッフの皆さんに支えられて私は仕事をしている。全方向から支えていただき、私は赤子のような気にさえなる。よそ者の私を迎え入れるだけでもストレスだろう。感謝しかない。

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そんな中、ある日の外来で女性の患者さんが私におっしゃった。「良かったね、安心したよ」。くしゃくしゃの笑顔になった彼女は、大きな大きな手でわたしの手を握った。