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都会で暮らし、遠方の親を看取るということ。父の死と、母の後悔。

2017年01月27日 00時01分 JST | 更新 2017年01月27日 00時01分 JST

2017年ももう1ヶ月が過ぎようとしていますが、みなさんは今年のお正月はどのように過ごされましたか?

「今年は休みが短かったので実家には帰らなかった」という方もいらっしゃると思いますが、悪いことは言わないので、ぜひ今からでも実家に帰って親との時間を過ごしてください。

あなたがありきたりだと思っているその時間は、もう次はないかも知れないのですから。

【実家に飾ってある1枚の絵】

突然ですが、僕の実家には、こんな幸せそうな両親の絵が飾ってあります。姉の結婚式の記念に書いてもらった絵で、いつもお風呂場から廊下に出た時に必ず目に入るところに飾ってあることを考えると、きっとうちの親もお気に入りだったんだろうなと思います。

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でも、今はこの幸せそうな絵が飾ってある家には、誰も住んでいません。

父は6年前に60歳、母はちょうど1年前に65歳で、ガンで亡くなりました。姉弟3人とも、実家からは離れて暮らしています。真っ暗な家の中の真っ暗な廊下にこれがポツンと飾ってある様子を想像すると、今この瞬間も胸が苦しくなります。

親の介護や看取りの問題、空き家の問題、そういったものは僕自身もニュースなどではよく目にしていますが、もっと遠い先のこと、あるいは言い方は悪いかも知れませんが、もっと田舎の過疎地域で問題になることだと思っていました。

見通しが甘かったと言われればそれまでですが、まさか僕も30代で両親の看取りと空き家の問題にぶつかるとは思っていませんでした。

これからの日本では、遠方で暮らしながら実家の親の最期の時間をどうサポートし、どう過ごすべきかという課題、そして親を看取った後の家や土地をどうするか、さらにはお墓や親戚付き合い、近所付き合いといった課題にぶつかる家族が、どんどん出てくると思います。

僕も、ぶつかった以上は、何かしらみなさんに参考になることがあればと思い、この記事を書かせていただくことにしました。

【嵐のようだった父の病気と看取り】

父は、比較的大きな政令指定都市の地方公務員として公衆衛生の仕事などを担当していて、母も自治体の単位は違えど地方公務員でした。

父は薬剤師の資格、母は看護師と保健師の資格を持っていて、直接的な医療行為には携わっていないものの、二人とも医療については自分たちなりの哲学や考え方を持っていました。

僕自身は18歳で大学進学のために引っ越してからずっと東京に住んでいましたが、長期休みには毎回のように実家に帰って両親の元気な姿を見ていました。

また、幼い頃から二人が自分たちの医療に関係する資格や仕事にプライドを持って働いていたのを見ていた自分としては、歳をとってやや肥満体型ながらも頑張ってダイエットなどにはげんでいる父、そしてそれを文句を言いながらもサポートしている母を見て、当面は大丈夫だろうとある意味タカをくくっていた部分がありました。

しかし、その日は突然訪れます。

2009年の11月頃、父が「鼻血が止まらず、体調が回復しない」という理由で検査入院したと母から連絡がありました。

以前から体調が悪く回復が遅いということはあったようなのですが、大きな仕事が控えていたので無理を続けたためでした。かかりつけの地域の医師にはずっとかかっていたのですが、特に問題ないと言われていたようで、発見が遅くなった点が悔やまれます。

入院して長い時間をかけて様々な検査をした結果、脾臓が顕著に腫れているということで、まず脾臓摘出手術を受けました。それ自体も出血が止まらずに命に関わるリスクがある大手術でしたが、まだ体力も気力もあったため術後の歩行訓練なども頑張ってこなしていました。

僕達姉弟はもちろん仕事の都合がつく時は地元に帰って病院に面会に行ってましたが、結局体調は回復せず、度重なる検査の結果、非常に珍しいタイプの悪性リンパ腫ということがわかり、ほぼ為す術なく最初の入院からわずか3ヶ月後の2010年3月に亡くなりました。

おそらく父は、入院した早い段階で自分の病状がただごとではないことを理解していたと思います。父と母と僕の3人で病室にいて、むくみでパンパンに腫れた足をマッサージしている時、父にポツリと「ワシにもしものことがあったら母さんをよろしく頼む」と言われて、思わず泣いてしまったことを思い出します。

しかし、そんな弱気の時ばかりではなく、「どうせ抗がん剤で抜けるんだから」と頭髪を剃り、治療を諦めずに気合を入れていた父の姿がとても印象的でした。父が亡くなったのはこの頭髪を剃ったわずか数日後。素人目でもどう見ても回復や治癒の見込みはありませんでしたが、父は最後まで頑張ろうとしていました。

今でも、「なぜたった3ヶ月の闘病生活だったのに、最初から最後まで付き添ってあげられなかったのだろう」と思うことがあります。しかし、この時、父も「子どもたちに頻繁に帰ってきてもらう必要はない」という態度でしたし、母も「子どもたちには心配をさせすぎないように」という風に考えていたと思います。

また、それまで元気だった父がまさか入院して3ヶ月で亡くなってしまうということは、近くでどんどん悪くなっていく父を見ていた母には想像できても、遠方で暮らしている僕らには想像できませんでした。

その点で、ほぼ1人で全てのことを受け止めていた母のストレスがいったいどれほどのものだっただろうかと、今でも想像して申し訳なく思います。しかも、当時母は仕事を続けており、仕事と看病の両方をほぼ一人でこなしていました。

父の病状がこちらの想像よりもはるかに悪く、「もう長くもたないかも知れない」と初めて医師から告げられた母が、一人で受け止めきれずに僕に電話してきて、電話口で泣き崩れていたのを思い出します。その知らせを当時勤めていた会社の人気のない階段エリアで聞いて、どうやって普通の顔をしてオフィスエリアに戻ったのか、僕には記憶がありません。

【その時が来る前に、家族で話し合っておくことの大切さ】

「もう助かる見込みがない」。できればそういうタイミングが来る前に、「もしそうなったら、本人は最期はどうしたいか、家族はどうしてあげたいか」ということを家族できちんと話しておくことはすごく重要だと思います。

例えば、母は「父の最期は病院ではなく安らかな場所で、できれば家で迎えさせてあげたい」という思いが非常に強く、父の状態が厳しいことを知ってから、その思いをさらに強くしていました。

母自身は父につきっきりで看病しなくてはならないので、母の知り合いの医療従事者に紹介してもらったホスピスを僕が代理で見学に行ったこともありました。しかし、僕も知識がない素人なりに考えて、まだ医療を諦めるべきではないという風に考えていたので、母の意志を尊重しつつも、やはりそこには微妙な緊張関係がありました。

こういったことは「今は病気と戦うこと、乗り越えることが最優先で、その先のことはまだ考えるべきではない」「本人が治療を頑張っている段階で話すことではない!縁起でもない!」という風に思いがちです。

しかし、実際にその渦中に入ると凄まじいスピードで進む病気、患者や家族の意志を病院に伝える際のコミュニケーションの難しさ、さらにたとえ病院側に伝わったとしても実際にそれを実行に移すための手続きの煩雑さなどがあり、事前にきちんと話し合っておくことが極めて重要だと思います。

また、「本人の希望が第一優先」であることはたとえ最初から最後まで変わらなくても、その本人の希望自体がやはり体調によって変わっていくこともあります。そういう時に、家族の間できちんとコンセンサスがあるか、そしてそれを実行に移す覚悟が家族の間で共有されているかということが問われる気がします。

人生の最期を迎える瞬間は、決して病気に支配された結果などではなく、あくまでその人の人生全体にとって意味があるものにしたいと誰もが望むものだと思いますが、だからこそ、普段から親とそういったことについてコミュニケーションをとっておくことが大事だと思います。

【母の後悔】

実際には、父は本人の希望、そして母の強い希望もむなしく、家に帰ることができず、病院で最期を迎えました。

母はこのことを父が亡くなった後もずっと後悔していて、病院からカルテを取り寄せ、自分が記録をとっていたノートと全ての要素を時系列で照らし合わせ、いかに患者主体の医療、そして患者・家族が納得できる最期が可能になるべきか、という点をまとめた書籍「死に場所は誰が決めるの?」を出版しました。

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やや刺激的なタイトルからもわかるように、母は父の最期の迎え方について、非常に深い後悔と怒りにも近い感情を抱いていました。父を亡くしただけでも辛いのに、そのカルテを読み込み、自分がつけていたノートや記憶と時系列で並べ、何度も検証し、いったいいつ、どの時点で判断すればもっと良い結果が得られたのか、考え直す。

そういった作業がいかに辛かったか、それでもなおやり遂げた母の思いの強さに、親子という関係性を越えて、一人の人間同士として深い尊敬の念を抱きます。

そして、この書籍を執筆中の2013年11月、父の病気がわかってから4年後に、今度は母に大腸ガンが見つかります。

(中編に続く)

(2017年1月25日 TRAVELING CLASSROOM より転載)