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日本の新幹線:誕生50年を迎えた革命的なデザイン

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東京駅で行われた東海道新幹線の開業式(東京・東京駅) | 時事通信社
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Japan’s Shinkansen: Revolutionary design at 50

今からちょうど50年前、東京駅のプラットフォームから最初の新幹線が発車しました。世界中の列車の旅の青写真となるこの一流のデザインについて、ジョナサン・グランシーが、敬意をこめて解説します。

1964年に東京オリンピックの開会を宣言した昭和天皇は、その9日前に、白と青の最初の新幹線が日本の首都を猛スピードで飛び出し、時速210キロで富士山を通過して、記録的な速さで大阪に到着するのを見届ける式典を主宰しました。カーブを極力減らし、108キロメートルのトンネルを抜け、3000本以上の橋を渡る高速の客車用に敷かれたばかりの線路を突き進んでいくこの列車は、国際的な大会を宣伝するための一度限りのイベントではありませんでした。東海道新幹線は、世界でもっとも速く、もっとも進化した列車であるばかりでなく、もっとも利用客が集中している幹線でもあるのです。

現在、ヘビのような姿をした16両連結の最新型新幹線は、東京から大阪に向けて、多いときには3分に1本発車しており、それぞれに座り心地のよい1323の座席を備え、時速270キロで走行しています。昨年からは、過去50年間のあいだに開業した6路線のうちのひとつである東北新幹線が、日本の中でも山が多い地域を時速320キロで突き抜けています。名高い日本の弾丸列車は、多くの大都市間で国内の航空線と競合しています。高速で、便数が多く、シミひとつない清潔さで、秒単位まで正確であるだけでなく、英文交通評論誌によれば二酸化炭素排出量を示すカーボンフットプリントも、同じ区間を走る車の16パーセントです。そして1964年に昭和天皇が東京駅で最初の列車を見送って以来、新幹線での死亡事故はありません。50年のあいだに2度の脱線事故がありました。1度は2004年の地震の際、もう1度は昨年の吹雪の中でのことでしたが、それでも新幹線の安全の記録に傷がつくことはありませんでした。

1964年10月1日に開業した新幹線に比べると、ほかの鉄道幹線は古ぼけて見えます。ビートルズ旋風が最高潮に達していたこのころ、英国でもっとも速い鉄道といえば、改良後の地下鉄ヴィクトリア線の短い区間で、時速100キロでした。日本の弾丸列車――最初の0系車両のひときわ流線的な先端部分にちなんでそう呼ばれました――はフランスのTGV、ドイツのICE、イタリアのペンドリーノの先導役となりましたが、それらの高速列車が登場するのは何年も後のことになります。

<技術の復活>
1945年に日本は政治的・軍事的に崩壊しましたが、その後の20年間で経済と文化は目覚ましいほどの復興を遂げ、中でも重要政策であった鉄道技術は他国を追い抜くほど成長しました。1945年、ラジオ放送を通じて――国民が天皇の肉声を聞くのはそれが初めてのことでした――広島と長崎への原爆の投下を受けて、「戦局必ずしも好転せず」と国民に終戦を宣言したのは、新幹線の開業と1964年オリンピックの開幕を宣言した昭和天皇その人でした。

1964年のオリンピックの折に日本を訪れた人々は、この国が再び活力を得て、魅力的な文化と前衛的な建築、高速道路、映画、カメラなどを享受すると同時に、驚くような世界一流の鉄道を持っていることを知りました。日本は再び人々を強く魅了するようになり、エラ・フィッツジェラルドからビートルズまで、多くのミュージシャンたちが東京を訪れました。この高度に発達した技術と最先端のデザインは、日本の尊ぶべき独特の文化の一部として紹介されました。東海道新幹線を宣伝する写真は、つやつやとした列車が桜の花や雪を頂いた山に彩られた風景の中を駆け抜けていく様子をとらえていました。皇室に代表される古きものと、新しい民主的な世界のわくわくするような融合を表していたのです。

当然のことながら、最初の新幹線はお金がかかりました。実は経費が予算の2倍に膨れ上がったため、日本国有鉄道総裁の十河信二と技術長の島秀雄は辞職を余儀なくされました。ふたりとも、自分たちが造った立派な鉄道の開通式に招待されませんでした。彼らの大いなる挑戦、そして経済的な賭けが始まったのは1959年、島が新しい鉄道と列車、そしてサービスの設計と開発を任されたときのことでした。島のチームは、必要に応じて高速道路のような高架の上を走り、勾配をなるべく少なくするまったく新しい特急列車を発案しました。カーブは最小限に抑えました。従来の列車が同じ線路を走ることはできません。いずれにしても、それまでの日本の列車は、欧米では標準的な1.4メートルの広軌を走る新幹線に比べ、幅の狭い線路を走っていました。

島が最初にデザインしたのは、かつて日本で主流だった蒸気機関車の最後の世代で、その美しい機関車のひとつは1954年に日本の蒸気機関車の最高速度を記録していました。その後の10年間の進歩は非常に目覚ましいものでした。そして、費用超過に関しては面目を失ったものの、国鉄退職後には宇宙開発事業団の理事長に就任しました――20年の間に蒸気機関車から宇宙へと転身したというわけです。現在、島は新幹線の父としてあがめられ、彼が生んだ高速特急が世界に広がっています。

<静かな乗り心地>
50年前の開業以来、東海道新幹線は550億人の乗客を運び、列車そのものもますます印象的で前衛的になっています。長く巨大な円錐形の先頭部分、隠れた車輪、緑や青の光沢のある塗装の最新型E5系やE6系は、驚くべき姿をしています。はるか遠い惑星からやってきたウナギのロボットのようなこの車両の性能は、見た目と同じくらい画期的です。すべるように駅を出ると、3分で時速270キロに達し、特定の区間では320キロで走行します。内部は静かで滑らか、振動もありません。印象的なきわめて清潔なトイレ(日本では珍しいことではありませんが)や、常に進行方向を向いているリクライニングシートがあり、車内販売員が飲み物やお茶を持ってきます。スタッフの服装は完ぺき。マナーが重んじられ、維持されています。

E5系やE6系の長い鼻は、スピードを上げるのに役立つだけでなく、沿線への騒音、特にトンネルからの騒音の削減にも一役買っています。「トンネル微気圧波」は、新幹線の沿線に住む人たちの懸念材料だったのです。そして空調の効いた運転席では、白い手袋をはめた運転士たちが、細かいところまで正確に時間を合わせて運行しています。

新幹線の営業網は広がり続けています。現在は本州と九州だけを走っている新幹線が、2016年には海底トンネルを通って北海道まで延び、2035年には札幌まで開通する予定です。しかしそのころには、東京と大阪を結ぶリニア中央新幹線の最初の区間が開業しているでしょう。この新しい中央新幹線は磁気浮上式のリニアモーターカーで、線路から浮いた状態の列車が東京と大阪を1時間強でつなぎます。時速にすると500キロで、初期の新幹線の2倍以上の速さです。

時速320キロを保ち、ロンドンの地下鉄と同じ頻度で――しかもずっと清潔に正確に――運行する全国的な鉄道網を設計・構築したということは、間違いなくすばらしい偉業です。1964年以来、経済には浮き沈みがあったものの、新幹線は1964年のころから世界をさりげなく魅了してきた新しい日本――スタイリッシュなデジタル一眼カメラやラジオ、ハイファイ装置、車、オートバイ、映画、漫画、そしてファッションなど――の象徴でした。桜の花や雪をかぶった山を背景に、新幹線が颯爽と走っていく魅惑的な景色は、半世紀前も今も変わらずわたしたちをわくわくさせてくれます。

この記事の英語ページはこちらをご覧ください。
http://www.bbc.com/culture/story/20140714-built-for-speed-the-bullet-train

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