前夫と死別→ベルギーで国際結婚。夫婦別姓が「生きやすい」理由

結婚3年足らずで未亡人となると、途端に、ありとあらゆる不条理に直面した。

ライターの栗田路子さんは、日本人の夫と死別し、ベルギー人と国際再婚した。その中で直面したのが「姓」を変えることの大変さと、不条理さだ。

いったい何が起きたのか。

ハフポスト日本版「家族のかたち」特集では、栗田さんにこれまでの体験をレポートしてもらった。

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新年早々、選択的夫婦別姓を求める新たな訴訟が起こされたと知って小躍りした。今回、原告となっているのは、ソフトウエア開発会社「サイボウズ」の青野慶久社長らだ。

記者会見する青野慶久社長
Kazuki Watanabe / Huffpost
記者会見する青野慶久社長

2015年の夫婦別姓訴訟では、夫婦同姓を強制する民法750条が憲法違反かどうかが争点だった。違憲と判断したのは3人の女性判事全員を含む合計5人。合憲と判断した10人は全員男性判事だった。「通称を使えるから」として、実際に不利益を被っている当事者の訴えを、想像し共感することのできない司法の壁に私は落胆した。

今回は、男性の当事者が立ち上がり、「国際結婚」に着目した点が新鮮だ。同日、最高裁判事に加わった弁護士の宮崎裕子氏は、「旧姓を使用し続ける」と発表。追い風になりそうな気配だ。

筆者は最初に結婚したとき、世間の慣例に従って夫の姓を選んだ。だが、わずか数年で夫と死別し、姓を変えたことの不都合を身をもって体験した。

その後、ベルギー人と再婚し、夫婦別姓の心地よさを味わっている。夫婦同姓と夫婦別姓、その両方を実体験した当事者として、声をあげてみたいと思う。

「栗田さん」と呼ばれて「ハイ!」と答え続けた自分の姓は、そう簡単にかき消すことのできない自身のアイデンティティの一部となっている――そう実感したのは、20代の最初の結婚で、夫の姓を名乗った時だった。

病院や銀行で、夫の姓を呼ばれても実感がなく、とっさに反応することもできない。それは、突然とってつけた「借り物」でしかないと感じた。歓びよりも、不本意さの方が大きかった。

結婚後も、職場では、旧姓を通称使用していたが、結婚してしばらくたつと、銀行口座の名義を変え、それに従ってクレジットカードの名義を変えざるをえなくなり、健康保険証もと五月雨式に変えることになり、自分の証明であるはずのものが、整合性のつかないものになっていった。

そんな矢先に、夫が急逝した。

結婚3年足らずで未亡人となると、途端に、ありとあらゆる不条理に直面した。

(写真はイメージ)
Benjamin Torode via Getty Images
(写真はイメージ)

運転免許証は、夫が亡くなってすぐに書き換えで結婚姓となり、パスポートやパスポート上のサインは旧姓のまま、まだ期限が何年も残っていた。

生命保険の名義や受取人は書き換えたばかりで、保険会社からは、丁重ながら、保険金目当ての犯罪ではないかと勘繰られる始末だった。

ありとあらゆるものが、旧姓のままだったり、結婚姓に変更したばかりだったりして収拾がつかなくなり、その手続きにかかる労力とタイムラグがあまりにも多くの不都合を生んだ。

悲嘆のどん底にある時に、夫の会社の総務担当者からは、旧姓に戻せば遺族年金の受給資格を喪失すると教えられた(※実際は受給できる)。

大枚をはたいて購入した墓は、夫の姓を「XX家」と彫った墓石を建てたので、旧姓に戻せば、たとえ自分が生涯、墓を守り、管理費を払い続けていても、その墓に入ることはできないと墓地の運営会社から告げられた。

三周忌を済ませた頃、一念発起して留学しようと考えた筆者には、大学の卒業証明書や成績表の名前、出願願書の名前、TOEFLなどの共通試験の名前、パスポート、銀行名義などが異なることが新たな課題となった。

前夫との結婚以来、5~6年の短期間のうちに、夫の姓を名乗ったり、旧姓を通称使用したり、姓の変更手続きをしたり。国内の手続きだけでも煩雑で辟易したが、国際社会に出れば、その何倍も不都合になることを予感した。

結婚しても、死別しても、離婚しても、自分の固有の姓に影響しなければ、こうした煩わしさは回避することができるのにと感じた。

その後、筆者は、再婚することになったのだが、その相手は、欧州の小国ベルギー国籍の人だった。ベルギーでは、婚姻は個人の姓名や国籍などと無関係だ。

サイボウズの青野さんらが指摘しているように、日本の戸籍法でも、外国人と結婚する場合には、別姓・同姓のどちらでも選択できる。

というのは、外国人は、日本に戸籍がないので、戸籍筆頭者にはなれないからだ。国際結婚の場合、戸籍筆頭者の欄には、自分の姓名か、配偶者の姓をカタカナ書きして自分の名を連ねることになる。結果として、旧姓も配偶者の姓もどちらも選べることになる。

昨今では、国際結婚する日本人の中にも、外国姓のカタカナ書きを正式な自分の苗字とする人も少なくないが、筆者としては、日本人として外国姓を無理やりカタカナ表記した不自然な名前は遠慮し、自分の姓名とした。

カタカナ書きの姓にすれば、どうでもよい人にまで、自分の配偶者が外国人であることを知られるわけで、プライバシーの侵害とも感じる。

名前を聞かれる局面で、カタカナ姓といえば、だいたい「は?」と聞き返されて、その上、「どちらの国の方ですか?」などと余計な質問を招いたりする。

夫婦別姓のベルギーでは、表札に2つの名前が併記されている。
Michiko Kurita
夫婦別姓のベルギーでは、表札に2つの名前が併記されている。

国際結婚することになると、たいていどこの国でも、国籍証明、出生証明、独身証明などの正式文書が必要となるはずだ。

これらは、戸籍の写しを基に、在外公館で作成してもらったり、それを日本国外務省に送ってアポスティーユという証明を取りつけたりしなければならない。その手続きはものすごく煩雑だ。

どの証明書の裏にも、元となった同じ「戸籍謄本・抄本」が付けられて割り印が押されるのだが、「戸籍」という制度のないベルギーの行政の担当者は、これにもかなりの疑問の目を投げかけた。

「いくら私に日本語が読めなくても、どれもすべて同じ紙が添付されていることくらいわかりますよ、同じ紙から、異なる証明書が作成できるわけはありませんよね。私はだまされません!」と。

さて、話を姓に戻そう。ベルギーは建国以来、夫婦別姓だ。その社会で再婚することになったので、出生時の姓と、再婚する際の姓が違う理由の説明に苦労した。

まず、裁判所が認定した翻訳家に、日本の法律を訳してもらった。さらに、最初の結婚で「(夫ではなく)わたしが姓を変えた理由」も、説明させられた。

「再婚前に旧姓に戻そうとした」ことでも、ややこしさは加速した。

再婚する前、「旧姓に戻してから再婚してほしい」と母から言われ、希望をかなえようと、在外公館から「復氏届」という書類を提出した。

手続きは無事に済んだが、新しくできた戸籍謄本を見て、私は茫然とした。

私の戸籍には、こんな風に書かれていたからだ。

昭和x年x月x日xx市で出生同月x日父届出x月x日同市長から送付入籍

平成x年x月x日国籍ベルギー王国A(※現夫)と同国の方式により婚姻同月x日証書提出同年x月x日在ベルギー大使から送付x県x市x番地B(※前夫)戸籍から入籍

平成x年x月x日婚姻前の氏に復する届出同年x月x日在ベルギー大使から送付x市x番地C(旧姓の自分)戸籍から入籍

戸籍制度をきちんとわかっている人向けの、独特な表現となっている。「結婚した」ことや「死別した」ことは、戸籍謄本には書かれていないので、翻訳して海外の政府に提出しても、意味がなかなか通じない。

現在は戸籍がデジタル化されて多少見やすくなったが、「海外でわかってもらえなさそう」なところは変わらない。戸籍が必要になるたび、今もびくびくしている。

筆者が体験した様々な不便を挙げると、日本人の多くは「そんな目に遭う人は貴女くらいなものね」と哀れみの目で見てはくれても、「別姓が可能なら助かる人がたくさんいるのにね」と共感してくれる人はあまり多いとはいえなかった。

友人にも、学者や弁護士など、姓が過去の業績とリンクする度合いの高い職業についている人は多い。こういう人たちの不都合はすでにたくさん語られてきたが「自分はそんな仕事に就いてない」と、その無念さや不都合を想像できない人も大勢いる。

筆者にとっては、最も不快なのは、「姓が変わる」ということで、知らせる必要のない不特定多数の人々にまで、婚姻に関わるプライバシーが公開されてしまうことかもしれない。

同窓会名簿に旧姓を添えて異なる姓を書けば、「お相手はどんな人?」と聞かれ、旧姓に戻した名刺を差し出せば、「離婚?」と勘繰られることになる。

今は、夫婦別姓の国際結婚なので、生まれて以来長く使い慣れてきた唯一無二の自分の姓を名乗り続けていることが心地よい。

ブリュッセルの街
Jorg Greuel via Getty Images
ブリュッセルの街

夫婦別姓に反対する人々には、家族の絆が崩れ、子供たちがかわいそうだという人もいる。だとすれば、日本以外の夫婦別姓を認めるすべての国で、家族が崩壊し、子供たちがかわいそうな目にあっているというのだろうか。

ベルギーでは、夫婦は別姓で、子供たちは、どちらの姓でも、結合姓でもかまわないことになっている。最終的に自分の姓を選ぶのは、子供たち自身。自分の人生に対し責任をもって生き始める成人のタイミングで選ぶことになっている。

表札上に書かれた名前が一つであることが家族の絆の証だろうか。

姓もばらばらで、再婚の連れ子や、養子・里子、同性夫婦などがたくさんいるこの国の多様な家族のありかたを見ていると、姓が同じであるか、血がつながっているかなどは、家族の絆や子どもの幸せの本質ではありえないと確信する。

家族の絆とは、もっと内発的な、互いを思いやる家族愛や連帯意識ではないかと。実際に、私は国際養子縁組で2人の子供を迎え、かけがえのない家族を築いてきた

ベトナムで娘を迎えたときの現地での養子縁組式
Michiko Kurita
ベトナムで娘を迎えたときの現地での養子縁組式

日本で今、議論されているのは、結婚により同姓も別姓も選択できるようにしようというものだ。同姓を希望する人たちはそのまま同姓を選択すればいいのだ。

たとえ、同姓を求める人が多数派であっても、別姓でハッピーになる人々に思いを馳せて、それぞれに生き心地の良い社会を作ることができたら――選択的夫婦別姓を求める声は、弱いものや少数派を包摂する優しい社会を希求しているように感じる。

(文:栗田路子 編集:笹川かおり)

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