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中国:天安門事件の遺産に向き合うとき 過去25年間、表現の自由と正義を求める声は留まるところを知らず

2014年05月31日 23時02分 JST

習近平国家主席は前任者たちと同様、天安門事件を含めたさまざまな事柄についての議論を統制しようと無駄な努力を続けている。中国政府は6月4日に関する議論を禁止し、また積極的な道を探ろうとする政府から独立した意見も封じることで、1989年の過ちをかえって複雑なものにしている。

(ニューヨーク)-1989年6月4日の天安門事件から25年を迎える中国では、アカウンタビリティ(真相究明・責任追及)、法の支配、表現の自由など基本的人権を求める人びとの声は高まる一方だと、ヒューマン・ライツ・ウォッチは本日述べた。このたび公開したマルチメディアを使った資料ページは、流血の事態が与えた衝撃とともに、事件を報じさせまいとする中央政府の巻き返しを伝えるものだ。

中国政府は現在もなお、事件の生存者、そしてアカウンタビリティを追及する家族を迫害し、事件に関する議論の一切を封じている。25周年を目前にして、少なくとも6人が25周年を記念したとして現在も拘禁されている。弁護士の浦志強氏、大学教授の徐友漁氏、画家の陳光氏らだ。他にも多数の活動家が刑事拘禁されている。家族ら親しい人をこの虐殺事件で失った人びとが、真相究明と説明責任を求めて結成した組織「天安門の母」創始者の丁子霖氏と、夫の蔣培坤氏は事件の記念日に先立ち、住まいのある北京から強制移動させられた。 NGO「中国人権」によれば、この老夫婦が息子の私的な追悼行事を北京で開催できなくなるのは今回が初めてだ。

「習近平国家主席は前任者たちと同様、天安門事件を含めたさまざまな事柄についての議論を統制しようと無駄な努力を続けている」と、ヒューマン・ライツ・ウォッチのソフィー・リチャードソン中国部長は述べた。「中国政府は6月4日に関する議論を禁止し、また積極的な道を探ろうとする政府から独立した意見も封じることで、1989年の過ちをかえって複雑なものにしている。」

天安門での弾圧に先立ち、1989年4月には北京の天安門広場や国内各都市で労働者・学生らが大衆集会を開いていた。これは複数政党制、表現の自由、アカウンタビリティを求める平和的な示威行為だった。1989年5月下旬には抗議運動が激しくなると政府は戒厳令を布告。人民解放軍に致死力の使用を許可してこれに応じた。北京では軍が入城する際、一部市民が軍の車列を襲撃して車両に火をつけたこともあった。

1989年6月3日から4日にかけて、人民解放軍は非武装の一般市民に発砲し多数が犠牲になった(正確な死者数は不明)。ただしその多くは抗議行動には参加していなかった。市民の殺害に続き、政府は全土で弾圧を開始。数千人を「反革命罪」のほか、公安紊乱や放火などの容疑で逮捕した。調査団体である「中美対話基金会」によれば「反革命罪」で投獄された人たちが20年以上を経てすべて出獄したのはつい最近のことだ。

中国政府はいまだ虐殺事件に関する説明を拒み、殺害の実行者について法的責任を問おうともしていない。政府は当初、弾圧は「反革命事件」への正当な対応であり、犠牲者が出たことは抗議行動の一部参加者のせいだと主張していた。政府は一連の出来事を調査することも、犠牲者・負傷者・行方不明者・囚人に関するデータを公開することも拒んでいる。中国共産党の江沢民総書記(当時)は6月4日の出来事に対する国際社会の懸念について、1990年に「から騒ぎ」と退けた。だが政府は現在この事件を「反革命」ではなく「政治的動揺(政治風波)」と呼んでいる。「天安門の母」は北京などで起きた運動への弾圧で犠牲になった202人の詳しい情報を収集している。

天安門での虐殺以来、現在に至るまで中国政府は急速な経済成長を認める一方、政治的な統制を緩めることはなかった。この戦略は、形式的なレベルでの民主制を求める動きを押さえ込むことに一見成功しているものの、多数の問題を同時に生じさせている。汚職の蔓延、貧富の差の激化、土地の強制収用や強制移住の多発などだ。こうした問題への世論の反発はますます大きくなっている。

「中国は、経済的な自由の拡大を認めれば、社会的・経済的要求を押しとどめられると考えてきたようだ」と、前出のリチャードソン部長は述べた。「だが説明責任を果たし、人びとの声に応える政府を求める声は、その議論の対象が天安門事件であれ、蔓延する汚職であれ、腐敗した役人であれ、相当深くまで根を張っている。」

近年、中国国民は公的な問題について政府にしっかりと説明責任を果たすことを求めると共に、自分たちの参加の拡大も求めており、その勢いは強さを増している。法執行当局のデータを基にした当局と研究機関の推計によれば、毎日300から500件の抗議行動が起きており、数万から数十万が参加している。中国を揺るがした最近の大規模抗議行動には、2014年3月の広東省茂名市の化学物質(PX)工場建設計画への反対運動や、2014年4月の広東省東莞市の社会保障給付に関する労働争議などがある。2003年以来、多くの国民が1989年の直接の遺産といえる、「維権(維護権利)」運動に加わるようになっている。権利擁護を掲げるこの動きは、法やメディアを使って不正と闘う方法を模索してきた。2012年頃に興った「新公民運動」も「維権」の動きの一つだ。これは社会を公民的価値観の涵養を通して変革することを目指している。

2013年3月に指導部が交代して以降、習近平国家主席はこうした考え方に歩み寄りを見せている。政府は体制に緩やかな変更を施してきた。たとえば、労働教養という名の行政拘禁制度の廃止、一人っ子政策の撤廃、官僚の汚職弾圧強化の呼びかけだ。これらは国民の生活に直結する課題について人びとの変更の求めに応じたものだ。

しかし同時に中国政府は公共的な社会生活への取り締まりを強化し、インターネットやマスコミでの弾圧や活動家の拘束などを通じて、表現の自由に制約を加えている。新公民運動の創始者許志永氏やウイグル人学者イリハム・トフティ 氏など穏健派として知られる人びとへの弾圧もある。ノーベル平和賞受賞者の劉曉波氏がいまだ拘禁される一方で、薄熙来裁判が政治ショー化していることは、政府が政権の潜在的な脅威となる者を怖れつつ、司法制度をきわめて政治的に用いていることの好例だ。詰まるところ、政府は限定付のトップダウン型改革を進める一方で、社会・表現の自由・司法制度への手綱は依然としてしっかり握っている。それによって管理の手は緩めずにいて、政権に挑戦する要素を最小限に留めようとしている。

「中国は現在世界第二位の経済大国かもしれないが、あと25年も天安門事件について否認と弾圧を続けることはできない」と、リチャードソン部長は述べた。「アカウンタビリティを求める声は幾何級数的に拡大している。北京は暴力に基づかない批判の重要性を受け止める必要がある。それによって天安門事件をめぐる開かれた議論が緒に就くのだ。」

(2014年5月29日「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」より転載)