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「子どもの幸せ」と「自己肯定感」をつなぐもの

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教育とは何か、次の時代に生きる子どもの成長をどう支えるか? 人類の歴史の中で、繰り返されてきた問いです。何よりも子ども自身の手に、「未来の扉」をひらくための鍵(かぎ)を手渡したいものです。

ここ近年は何年かに一度、政治の側から「大きな教育改革」が提起されていますが、学校教育の現実とあまりかみあっていないように感じます。私は、学校教育や子育てを一括りにして、大上段に振りかぶる「あるべき教育論」ではなく、変更可能で地道に実現できる「小さな改善」の可能性を積み上げてみたいと考えています。

子育ての日々はあわただしく、またたく間に時間は過ぎていきます。親として子どものために、何かをしてやりたいと思っても、子どもたちが成長して大人になっていく「これからの時代」は不透明で、「学力」や「生きる力」がどのように身についていくのかをじっくり考えていく時間や場は限られています。

とくに、偏差値や受験学力とは別に「自己肯定感」が十分でないという点を気にかけている親も増えてきたと感じます。昨年の夏から、以前に教育ジャーナリストとして仕事をしてきた経験を生かして、世田谷区の区立小学校の家庭教育学級で「子どもの自己肯定感」をテーマに話をさせてもらう機会が増えました。どの学校でも、小学生の親たちが集まり、私の話に熱心に耳を傾けてくれました。

世田谷区の小中学生2千6百人に聞いた区の調査(2011年)によると、「自分自身が好きですか」という質問に対して「はい」と答えたのは、小学5年生で52%、中学2年生では32%まで落ちています。年齢を重ねるごとに、子どもの自己肯定感が下がっていることがわかります。
また、「他の人から必要とされていると思いますか」という問いに「はい」と答えたのは、小学5年生で41%、中学2年生では31%となっています。
(「自己肯定感を奪うのは誰か」2014年11月11日「太陽のまちから」)

これは世田谷区の子どもたちに限った話ではありません。小学生から中学生になる過程で、「自己肯定感」や「自己有用感」が磨滅していくとしたら、なぜなのでしょうか。思い出してみましょう。名前を呼ばれて、先生が採点したテストの答案用紙が手渡された瞬間です。まず、点数を見て、その次に見るのはどこだったでしょうか。多くの人は減点された「誤答」に目をやります。先生に一言、何か言われる場合もあります。自責感情が大きくなってきている時に、帰宅すると親から答案用紙の提出を求められ、小言を浴びます。明治以来の学校の成績評価の仕組みは、「間違い」を排除して、「間違わない」ことを是としています。

なかには少数派の人たちもいます。「点数」を見た後で、「正答」をひとつひとつ確認して後で、「誤答」に目をやり、「まあ、いいか」と答案用紙を折りたたんだとのことです。「自分で自分をほめてから、反省もする」というタイプです。講演のたびに聞いていますが、日本では5%前後の人たちがこのタイプです。必要以上に「自己肯定感」をすり減らすことなく、テストのトラウマを抱えにくい人たちです。

興味深い調査があります。「高校生の生活と意識に関する調査報告書--日本・米国・中国・韓国の比較-」(2015年8月・国立青少年教育振興機構)によると、「自分は人並みの能力がある」と答えた高校生は日本が55・7%(米国88・5%・中国90・6%・韓国67・8%)で最も低く、「自分はダメな人間だと思うことがある」と答えた高校生は日本が72・5%(米国45・1%・中国56・4%・韓国35・2%)で最も高い。数字の上からは、「自己肯定感」が低いことが浮き彫りになっています。

「自己肯定感」の対極にあるのは「自己否定感」です。ジャーナリスト時代に、いじめにより苦しんできた子どもたちが、長い年月にわたって傷を癒すことなく葛藤している姿を見てきました。「いじめ」は、集団による存在への攻撃であり、否定です。当初、応戦して自分を守ってきた子どもたちの多くが、いじめに耐えかねて、他者からの攻撃に反撃できなくなります。そして、自宅にひきこもり、自分で自分を攻撃し続ける状態に陥る場合があります。他者が投げつけてきた攻撃の矢が内面化し、自らを責め始める「自分いじめ」です。ここから抜け出すのに、多くの時間を費やしている若者たちや心配する親たちは数多いのです。

ところが、「自己肯定感」の欠如は「いじめ問題」に限ったものではありません。「いじめ」を超えて多くの子どもたちの中に、自己否定圧力が強まっていないでしょうか。私たちが慣れ親しんできた日本社会に刻まれている「ふるまいの文化」「自己抑制の奨励」と通じているように思います。世田谷区では、区長が主催する総合教育会議と、教育委員会が主催する教育推進会議を連動して同日開催として、「教育の原点」にふれる議論を始めようとしています。

7月24日には、世田谷区民会館ホールに汐見稔幸さん(白梅学園大学学長・東京大学名誉教授)をお招きしました。「自己肯定感・自尊感情」についても、お話していただきました。1960年代からこの点を指摘してきた汐見さんは、「ひきこもっている若者」の「レジリエンスが低い」ということに注目しています。レジリエンスとは「うまくいかなくなった時に、大丈夫、大丈夫と立ち直ってくる力」であり、「失敗してもすぐに修正して、こうしたらいいと立ち直ってくる力」でもあります。

「子どもには結果でなく、プロセスを楽しませてあげないと豊かな人間に育たないと思う」という汐見さんの語る通り、何度も試行錯誤して失敗を繰り返し、それにもめげずに工夫を重ねながら、やがて発見にいたるという研究者も、「結果」がすべてではありません。さらに「非認知能力」(アメリカの経済学者ヘックマン教授)の育ちのチャンスも減ってきています。幼児教育の中で大切なのは、こうした「偏差値」や「知能指数」等に数値化しにくい「非認知能力」だと汐見さんは言います。

「遊びをやりながら、この道具を使ったら面白いと先生が教えてくれて、確かにできたと、考えたり、工夫をしながら出来たという自己有能感や達成感。工夫すれば何とかできるという粘り強さ、素直に人の話を聞く力や、みんなでやってみようぜと協力する力、数字には出てこないけれど、間接的に人間の判断だとか行動を助けているような様々な力を『非認知能力』と言っています」(汐見氏)

国際的な比較調査の中で日本の高校生の「自己肯定感」の数値が低いことに、汐見さんは「文字通り低いと受け取る必要はない」とした上で、「自分をできるだけポジティブに評価するのがいいとされている文化」と「それを少し傲慢だと評価される文化」では、同じ心性でも自己評価の言葉は反対になることが考えられるから、としています。データが示しているのは、「自分のことを低く評価することが励まされている文化のもとで日本の若者たちは暮らしている」と受け取ることもでき、問題はむしろそこにあると指摘されています。

「自己肯定感」「自尊感情」にもっとも早く注目した汐見さんの講演は、会場の親たちにも共感をもって伝わったように思います。

「教育を改善する」ということが、私たちのテーマです。これまで明治以来の伝統の下に営々と積み上げられてきた学校教育にも変化の波が大きくやってきます。「自分のことを低く評価することが励まされている文化」(汐見氏)とは、ズバリの表現だと思います。

国際交流の場で、日本の子どもたちは「自分の意見を言わない。何も考えていないのか」と受け取られることがあります。実は、長い間、学校空間の中で「大勢の前で自分の意見を言う」ことはリスキーな行為でした。それは「目立つ」ことであり、「いじめの標的」になることさえありました。「自分の意見を言う」ことで、日常生活の改善につながった記憶や実例がなく、「自分の意見を言う」ことで引き起こされるマイナスの連鎖を想像してしまうのです。「自分の意見を言わない」ことを日常姿勢とすることで、リスク回避をして安全を保つ「生活の知恵」ですが、実は、失うものが大きいのです。

「自分の意見を言う」ためには、自分の内側にある感覚や視点を言語化し、理解されるように順列をつくり表現しなければなりません。「自分の意見は言わない」ことが常態化すると、「考えないこと」が普通の状態になります。「考えない習慣」が身につくと、誰かに何かを決めてもらわなければ、自分で選択し判断できない状態になります。「空気を読む」のを常識とし、「空気をがらりと変える」「空気を温める」ことをいつまでも異端にしていては、未来の扉は開けません。

高度経済成長期の財界は、「期待される人間像」を教育に求めました。上司から指示に「ハイ」と素直に従い、裏表なく丹念に作業を継続する忍耐力と正確な処理能力こそ生産現場の労働力に求める資質でした。ごく一握りの選抜されたエリートが社会を牽引し、多くの労働者には「自己評価は低め」であることをよしとしていたのです。

「少し薬が効きすぎましたな」と、80年代に財界人同士が語り合ったという話を聞いたことがあります。マニュアル通りに働き、指示を正確に守り実行するだけの人材に物足りなさを感じるということです。単調な同じ作業を繰り返す仕事は、ロボットにとってかわり、生産現場では同時にいくつもの作業をこなす「創意工夫」が求められるようになりました。その上、次々と製造業は海外へと移転していきました。

科学技術や通信技術の発展は急激です。これからの時代は、「人とつながる仕事」がさらに増えていくはずです。好奇心を育て、事実をひとつひとつ重ねていくことで探求を深め、新たな知識・技術を獲得して認識を飛躍させるプロセスを大切にしたいと思います。飛躍の土台になるのが「自己肯定感」です。

世田谷区では、区長である私が主催する総合教育会議を、今年の5月から始めました。私が進行役をつとめて、5人の教育委員と教育長をメンバーとして公開の場で会議を重ねています。初回は、「会議の持ち方」を議論しました。まず会議を公開の場で行うことと、傍聴する区民がただ一方通行に聞くだけで終わらずに、テーマを決めてグループ討論=ワークショップを組み合わせたいということになりました。

そのため、メンバーを限定している総合教育会議(区長部局主催)と、区民の参加を広く呼びかける教育推進会議(教育委員会主催)を、同日連続開催することにして、「テーマ」を共通にすることで開かれた議論を継続できるようにしようというアイデアが出てきました。

今回紹介した講演内容は、7月の教育推進会議で汐見稔幸・白梅大学学長に基調講演をしていただいた時のものです。その後にシンポジウムをはさんで、続けて汐見さんの話を土台にして、私と教育委員で総合教育会議を開催しています。10月17日、第3回となった総合教育会議+教育推進会議では、区民や学校関係者、教育委員、区職員等が100名以上参加しました。はじめに、総合教育会議で50分間、「自己肯定感」「新教育センター」「幼児教育」「特別支援教育」をめぐる討論をして、その後に参加者で約2時間にわたってワークショップを開催しています。

子どもたちの利益を第一に考え、地道にひとつひとつ議論を積み上げて、熟議を重ねて「改善」プランにつなげたいと考えています。