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原発と歴史認識と「思考停止」

2014年03月17日 01時19分 JST | 更新 2014年05月15日 18時12分 JST

このブログは私の専門の関係上、中国ネタが多いわけですが、それ以外に拘っているものとして東電の原発事故に対する対応があります。

これについては東電や政府に政府の対抗も如何なものかと思うことがあるわけですが(原発事故に関する「言論統制」)、それだけでなく、一般国民の対応に如何なものかと思うことがあるというのが本当のところです。

1 教育

私が最も嫌いなものに自分でものごとを考えないことがあります。ただ、最初は誰もが先人の知恵を学習することから始めるしかないので、教科書が間違っている(これについては後述)から始まると、いろいろやっかいなことがありますが、あくまで成人を対象としての話です。

教育問題についてもこれまで何度か触れており、近代国家における教育はそれぞれ国家にとって役に立つ人材を育成することにあったと考えています((学校)教育の目指すものは何か)。

しかし、そうした国家の思惑とは反対に、当然教育を受ける側の目的というものもあり、私は教育の最大の目的は自分で資料を探して調べ、自分で考えることができる能力を身につけることと思っております。

2 思考停止

そういう意味で、何をどうしたいかは自分で考え選択すべきだというのが私の基本理念で、最初から全く考えることを放棄するのは如何なものかと思っているという話です。

最近の事例として私がひっかかっているのが、原発問題で、原発を反対する人、賛成する人はどこまで自分で考えて反対しているのか、賛成しているのか疑問にしか見えない方がいるという話です。

特に反対派の人の中には即刻廃止を訴える人もいるわけですが、廃炉にするにしてもかなりの手順を踏まなくてはならないわけですし、このまま石油・天然ガスを海外から輸入する形が続けば日本の貿易収支はどうなるのか等、様々な問題が存在します。

ところが、それらを全く考慮せずに、「反対」を唱えるだけで物事が解決するのかという話です。確かに政府が以前発表していた原発の安全策は不十分なものが明らかになったわけで、信用できないという気持ちはわかります。

しかし、だからといって全てが疑わしい、信用できないというのはどうかと思いますし、全く自分で考えることを放棄してしまっては「宗教」と全く変わりがありません(震災がれき受け入れ反対と新興宗教)。

3 史観 

もちろん宗教は、大事な面があり、私は否定するつもりは毛頭ありません(『ふしぎなキリスト教』)。ただ、何も考えずに特定の考えを「信仰」するのはどうかという話の例として出しているに過ぎません。

同じようなものに、第二次世界大戦に対する史観があり、何でもかんでも日本が悪かったという考えに組するつもりはありません。同時に日本は正しかったという考えもどう考えても極端なものにしか見えません。

例えば南京大虐殺が典型ですが、何を考えずに中国共産党が主張しているから「30万」が正しいというのは無理があると思います(映画で南京大虐殺を学習し、30万人と信じ込む中国人)。何人殺せば「虐殺」になるかという問題はありますが、全く何もなかったという主張も無理があるかと考えています。

そして、やっかいなことに、特定な発想を信じる人は、自分に都合の良いこと資料だけを見る傾向があるという話で、まさに信仰宗教を信じる方々が自分たちに都合の良いことしか見ないのと全く同じと考えます。

 

4 知識

私は私の発想だけが正しいなどとは間違っても思っていません、ただ私は何も考えずに、「○○が言っているから正しい(間違っている)」「教科書に書いてあるから正しい」という発想には賛成できないという話です。

特に近代国家は前述の様に国家に役に立つ人材を育成するために教育を行ったわけで、そういう近代国家の意味合いが強い中国では自国に都合の良い教育が行われており、中国という視点から教科書が作成されています。

こういう教科書を見ると、如何に教科書というのが恣意的なものであるかがよくわかり、私はますます特定の発想に組する気はなくなります。

ただ、それしか見たことがない人にとっては、それを信じる人も出てくるという話で、そういう意味でもいろいろな知識を得ることは必要だという話です。

5 最後に

ネットには「真実」があるという話をされる方がおりますが、ネットには多くの意見があるものの、その気になれば、特定の自分の嗜好にあった意見しか見ない方が多いことも事実で、如何なものかと思っております(本を読まなくなった「大学生」は批判されるべきか?)。

そういう意味で自分とは違う意見にも耳を傾けてもらいたいと思いますし、そのために議論は大事だと思っているという話です。ただ、どうしても熱くなることが多いので、願わくば建設的に行ってもらえればと考えている次第です。

(2014年3月16日「政治学に関係するものらしきもの」より転載)