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サイボウズ式:「民主的なチーム」が崩壊した話

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【サイボウズ式編集部より】

この「ブロガーズ・コラム」は、著名ブロガーをサイボウズ外部から招いて、チームワークに関するコラムを執筆いただいています。今回は、日野瑛太郎さんによる「話し合い重視で雰囲気の良いチームが必ず成果を出せるわけではない」という話です。

「民主的」であることはチームにとって重要か?

僕がまだ会社員として働いていた頃の話です。

ある時期に僕が所属していたチームは、とても「民主的なチーム」でした。チームリーダーは意見を押し付けるような物言いを一切しない人で、僕たちメンバーの話をとてもよく聞いてくれました。プロダクトの仕様を決める際にも役職関係なく思ったことが言えるので、「気が進まないけど、仕事だからしょうがねーな」といったようなやさぐれた気持ちで働くことが非常に少なく、気持ちの面ではだいぶ働きやすく感じていました。

しかしこのチームは(働いていた会社はサイボウズではありません。念のため)、ビジネスという観点では全くと言っていいほど成果を上げることができなかったのです。納期は予定より2回も延期され、プロダクトのリリース後も目標としていた数値を達成することができず、最終的にはプロジェクトは中止・チームは解散という憂き目にあいました。

「民主的」という言葉は、一般的には肯定的な意味でとらえられます。そう考えると、「民主的なチーム」も理想的で、とてもよいチームのように思えます。それなのになぜ、この「民主的なチーム」は崩壊してしまったのでしょうか?今日はそんなことについて少し考えてみたいと思います。

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なぜ「民主的なチーム」は崩壊したのか

僕が所属していた「民主的なチーム」がなぜ崩壊したのか、今になって振り返ってみると、理由は大きく2つあると考えられます。

1つ目の理由は、民主的であるがゆえにコミュニケーションコストが爆発的に増えたことです。

「民主的なチーム」では、基本的に物事は話し合いで決まります。リーダーが勝手に決めたら、それは民主的とは言えません。ちょっとしたことでも話し合いが必要になるので、必然的に会議に割かれる時間が多くなります。会議、会議、会議の連続で、業務時間中は朝から晩まで全部会議!なんてひどい日もありました。

このようにして会議に時間が取られるようになると、肝心な他の作業のための時間が削られます。時間がなくなれば、当然やれることも少なくなってきます。プロジェクトの最後の方には、

「こうなったら休日出勤もしようか」

といったような悲惨な提案まで出てきて、チームの雰囲気自体も悪くなっていました。

2つ目の理由は、「話し合い」を重ねることによって、とんがった意見がすべて丸くなってしまったことです。

ある人が「すごく面白い」と考える案も、他の人が見た場合には「全然面白くない」ように見えることは結構よくあります。そういう時に「話し合い」で解決しようとすると、最終的には無難な案に落ち着くのは目に見えています。無難な案は確かに万人から悪い評価を受けないものではありますが、誰かの心に深く突き刺さるようなこともありません。

一般消費者向けのサービスを作るようなプロジェクトの場合、これは特に致命的です。「みんなで話し合えば話し合うほど、いいものになっていく」というのは、実際には幻想にすぎません。話し合えば話し合うほど、無難でつまらないものになっていくという側面もあるのです。

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民主主義は効率をはじめから犠牲にしている

そもそも、「民主的」であることは本当によいことなのでしょうか?

たしかに、政治における「民主主義」は、非常に画期的な発明であったと評価できます。権力が容易に暴走し、それによる悲劇がもたらされることは歴史を紐解けばよくわかります。そのような「ひとつの価値観による暴走を防ぐ仕組み」として、民主主義というシステム自体はとてもよくできていると言ってよいはずです。

しかし、そんな「民主主義」も完全無欠の制度というわけではありません。権力の暴走を防ぐために、民主主義は「効率」を犠牲にすることを選びました。話し合いを繰り返せばそれだけ時間がかかってしまいますが、それでもひとつの価値観が暴走して悲劇が起きるリスクを回避する選択をしたのです。

こう考えると、民主主義はあくまで国家統治の方法であり、そのままビジネスにおけるチームに援用すると問題があることがわかります。ビジネスにおいて「効率」は非常に重要なファクターです。ただでさえ変化の早い現代において、悠長になんでもかんでも話し合いをして決めるというやり方が、うまくいかないのはある意味で当然と言えるでしょう。

「民主的なチーム」=「よいチーム」という等式は、当然ながら成り立ちません。

理想のチームはどうあるべきか

それでは、チームはどういう形が理想なのでしょうか?リーダーの完全なる独裁で、メンバーをリーダーがコマのように扱えばいいのでしょうか?

たしかに、この方法は効率という観点では最強かもしれませんが、果たしてそんなリーダーについていくメンバーがいるのか疑問です。リーダーがメンバーから信頼されなくなってしまったら、そのチームはやはり崩壊してしまいます。民主的すぎても問題ですが、超独裁的でもまた問題なのです。

このあたりはバランスが非常に難しいのですが、やはり重要なのはリーダーの果たす役割です。リーダーのすべき仕事は、メンバーの言いなりになることではありません。一方で、メンバーをコマのように強引に動かすことでもありません。ビジョンをメンバーに示し、そのビジョンをメンバー全員が納得するように働きかけること、それこそがリーダーの果たすべき役割だと僕は思います。

ここでいうビジョンとは、チームの未来におけるあるべき姿、理想状態のイメージのことです。ビジョンはチームにとっての旗印のようなもので、よいビジョンはチームメンバーの意思をひとつにまとめ、各自が自走できる状態をつくります。

メンバーがリーダーの描いたビジョンを自分のものとして共有できるようになれば、「すべて話し合いで決める」ような形はとらなくて済みますし、一方でリーダーの方針に従うことについて必要以上に不満を蓄積させることもありません。このようによいビジョンを描き、さらにそれを周囲に納得させられるかどうかが、リーダーの一番重要な能力と言っても過言ではないでしょう。

「民主的なチーム」は一見居心地がよく感じられますが、それは見かけの居心地の良さに過ぎません。水面下では、着々と崩壊に向かって進んでいるのかもしれないのです。自分のチームが「民主的」になっていると感じたら、メンバーが共有しているビジョンは何か、リーダーはそれをメンバーに正しく示そうとしているかについて、一度立ち止まって考えてみるとよいでしょう。

「みんなでよく話し合うから、うちのチームはいいチーム」という考え方では、必ずしも成果は出せません。

日野瑛太郎さんより

普段は「脱社畜ブログ」というブログで、日本人の働き方の記事を書いています。このブロガーズ・コラムでは、チームワークという観点から働き方について新たな視点を提供できればと思っています。

(サイボウズ式 2014年5月19日の掲載記事「「民主的なチーム」が崩壊した話」より転載しました)

イラスト:マツナガエイコ

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