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災害時にも、女性が働き続けられる仕組みを 熊本地震の事例から

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熊本大震災から2ヶ月が経過した。最近、新村浩明・ときわ会常磐病院(福島県いわき市)院長から興味深い話を聞いた。新村院長は、東日本大震災の際に584人の透析患者を無事に避難させた医師だ(当時は副院長)。熊本地震でも、技師や看護師とともに被災地に飛び込んだ。当初、支援を予定していたのは、断水により、透析に用いる水の確保に苦労していた病院だった。ところが、熊本入りする直前に断りの連絡があった。

新村院長は「予想していた」という。なぜなら、東日本大震災の経験から、十分な水が確保できなければ、透析を継続できないことが分かっていたからだ。支援スタッフは不要だ。むしろ、被災しなかった病院が忙しくなる。被災し診療を停止した病院にかかっていた患者が押し寄せるからだ。こういう病院こそ外部からの支援が必要だ。

「東日本大震災で受けた恩を何とかして返したい」と考えた新村院長は、このような施設を探し、自ら連絡し、支援を申し出た。それが上村循環器科医院だ。4月19日から5月14日までの間に、のべ15人のスタッフが支援に赴いた。

大災害が起こると、当初、予想もしない展開となる。過去の経験から学び、柔軟に対応しなければならない。

●医療者が被災者に


実は、上村循環器医院は、もう一つ問題を抱えていた。それは一部のスタッフが勤務できなくなったのだ。

新村院長は「10人ほどのスタッフが自宅を被災しました。3人はクリニックで生活されましたが、残りは避難せざるを得ませんでした」という。大災害が起これば、医療者自身が被災する。患者は押し寄せるのに、スタッフは減ってしまう。この穴を新村院長たちが埋めたことになる。

さらに問題なのは、保育所が閉鎖することだ。熊本市内では236施設の保育所のうち、10施設が休園。園児1291人が普段通っている施設に通園できなかった(5月2日現在)。彼らの面倒を誰かがみなければならない。多くは母親だ。女医や看護師のこともある。

幸い、上村循環器医院では、保育所に通えなくなった子どもの面倒を見るために、仕事を続けられなくなった看護師はいなかった。近隣に祖父母世代が住んでいたのだろう。

実は、東日本大震災では、このことが大きな問題となった。福島第一原発から23kmにある南相馬市立総合病院には、震災前164人の看護師が勤務していたが、震災後に残ったのは84人だ。

東日本大震災後の同院の対応を調査している児玉有子・星槎大学准教授(看護師)によれば、「被曝を怖れて避難した人は多くありません。保育所が閉鎖し、誰も子どもの面倒を見ることが出来なくなり、病院スタッフに悪いと思いながら、子どもと一緒に避難した人が大部分です」と言う。

大災害が起こると、自宅が壊れ、避難を余儀なくされる。保育所や学校も閉鎖される。夫は仕事を続け、母親が家族の面倒を見ることが多い。大災害が起こると女性は働けなくなる。大勢の女性が勤務する病院は災害に弱い。ところが、このことは、あまり議論されてこなかった。

もし、首都圏で大災害が起こればどうなるだろう。熊本や東北地方と異なり、核家族が多い。誰も子どもの面倒を見てくれない。

●首都圏の災害対策の見直しを


一方、首都圏の看護師不足は深刻だ。人口10万人あたりの就業看護師数は東京都727人、神奈川県672人、千葉県625人、埼玉県569人だ(2014年末現在)。これは熊本県の1189人とは比べるべくもなく、福島県の798人にも及ばない。一部の看護師が勤務できなくなれば、地域の医療システムは機能しなくなる。

首都圏の災害対策は早急に見直すべきだ。災害時にも、女性が働き続けることができるような配慮が必要だ。具体的には、院内託児所、保育所を整備すべきだ。

実は、このことを取り組んでいるのが、新村院長が勤めるときわ会だ。東日本大震災後の11年6月には「ゆしまや保育園」を開設した。専属職員35人を配置し、90名の園児を受け入れた。約半分が病院職員の子どもだ。さらに13年7月には、学童保育のための「ときわ塾」を立ち上げた。専属職員4人を配置し、24人の小学生を受け入れている。これは、平時だけでなく、災害時でも女医や看護師の勤務を支援することになる。震災の経験から学び、具体的に行動することが重要だ。


*本稿はMedical ASAHI 2016年7月号に掲載された文章です。