「人生100年時代」と言われるなか、これまでの経験とは異なる分野を新たに学ぶことへの関心が広がっている。しかし、そもそも何を学ぶのか、仕事と両立できるのか、モチベーションを維持できるのか…と不安を抱える人も多いだろう。
そんななか注目を集めているのが、10代でアイドルとしてデビューし、芸能活動と並行して40代半ばから大学、大学院に進学した俳優のいとうまい子さん。60歳の2025年春からは、自身の能力を発揮するための考え方について大学で教える立場にも挑戦し、さらに長野県の地方銀行「八十二銀行」の社外取締役への就任も発表されたばかりだ。
研究生活では、予防医学からロボット工学、基礎老化学へ専攻分野を変更するなど「転機」に遭遇しつつも、偶然の出会いや他者のアドバイスを柔軟に受け取りながら乗り越えてきた。
しかし、大学時代はさまざまな困難も…。インタビュー前編では、学び直しの一歩を踏み出し始めた当時の苦労や、どのように乗り越えていったのかを聞いた。

▼いとうさんの学び直しの経緯
2010年 早稲田大学人間科学部eスクール
2014年 早稲田大学大学院人間科学研究科修士課程
2016年 早稲田大学大学院人間科学研究科博士課程
2025年 東京大学大学院理学系研究科研究生。iU 情報経営イノベーション専門職大学プロジェクト教授、洗足学園音楽大学客員教授に就任
「地獄の時代」支えてもらった恩返しをしたい
ーーまず、40代半ばから大学で学ぼうと思ったのはどんな経緯からだったのですか?
高校卒業後に芸能界に入り、所属していた事務所を20代で辞めてから、なかなかうまくいかない「地獄の時代」があったんです。その中でも仕事をいただくことができ、「皆様のおかげで生かされているところがあるから、何か恩返ししていかないとバチがあたるんじゃないか」という気持ちがありました。
でも、高校を卒業してすぐに芸能界に入って、本当に小さな世界の中でしか生きてこなかったから、恩返しをする術みたいなものは全然持っていなかったんです。何か土台になるようなものを見つけたいという思いから、みなさんが行く大学というものに行ってみて、学んでみたいなって思ったことがきっかけでした。
ーー進学先の選択肢が色々ある中で、なぜ早稲田大学人間科学部を選んだんですか?
大学に入る数年前に仕事で出会ったある教授から「予防医学」の大切さを教えていただいたんです。コロナ禍ではみなさん、手洗い・うがいを含めて自分自身を予防する気持ちが強くなりましたが、その前はあまり考えていない人が多かったと思うんですよね。予防を意識することの大事さを教わって、でもそれってまだあまり広まっていないから、私がメッセンジャーになれれば恩返しにつながるかもしれないという思いから、予防医学を通信課程で学べる大学を探しました。

ロケ先の山奥のホテルで授業を受けたことも…
ーー大学生活はいかがでしたか?
生理学や心理学を含めて基礎的な科目は全部取りました。授業はほとんどがオンラインですが、通学の授業では面白い体験もさせてもらいましたよ。例えば、ウニとヒトデの受精卵の変化を観察する合宿の講義や、川の中に住んでいる生物を探すフィールドワークにも参加しました。あとは自分の唾液をとって培養するようなこともありました。
ーー受精卵の観察に培養ですか!そういった授業があることも想定していたんですか?
いやいや、まったく想定していないです。でも小学生の頃から理科が好きだったので、どうしても理科寄りの授業を選択しがちだったんだと思います。
学生から「難しい」と評判の授業ばっかり取っていましたね。学生は単位を取らないといけないので大変ですけど、私の場合は別に単位を落としたとてこの先、生きていけないわけじゃない。そんな感じで挑戦して、楽しんでいました。
ーー大学生活で印象に残っている出来事はありますか?
やっぱり40歳過ぎてから20歳前後の子たちがやることをすんなりとは覚えられないですよね。オンラインの授業を90分間見て、その後復習しようと思っても、見てるそばから全部忘れちゃうんですよ。もう全然覚えられなくて。
でも、慣れてくるとだんだん覚えられるようになっていって、ちょっと楽になっていったんですけど。徹夜して帯状疱疹になったこともあります。最初は苦労しましたね。
授業の動画は1週間の中でいつ見ても良いのですが、課題の締め切りがギリギリにならないように、なるべく早く見て、調べたり考えたりして課題を出すんですね。当時は旅番組のロケによく行っていたのですが、山奥のホテルで授業を見たこともありました。自分でポケットwi-fiを持って行ったのですが繋がらず、わずかにwi-fiが繋がるフロントで小さな電気だけつけていただいて。

20歳の学生のアドバイスを素直に受け止めた
ーー好奇心を持っていろいろな授業を取られていたんですね。その中で、3年生のゼミでは予防医学ではなくロボット工学を選んだそうですね。なぜですか?
3年生でゼミを決めるときに予防医学の先生から「定年退職を迎えるのでゼミ生は取りません」と言われてしまって…。
ここを目指してやっていたので「どうしよう」って途方に暮れていたんです。授業で出会った20歳の学生さんに相談したら「人気のあるゼミがあって。ロボット工学なんだけど、そこはどうですか?」と言われて。プログラミングの授業も取っていなかったし、悩んだんです。
でも、芸能界では頑なになり過ぎて「地獄に落ちた」と思っていたので、同じ失敗を繰り返さないように、今度新しいことを始めるときは「素直に人のアドバイスを聞こう」と決めていたんです。年は若いけれど、大学に入ってアドバイスをしてくれた子は初めてだったこともあり、ロボット工学の先生のところに面接に行ってみようと思ったんです。
ーーそこからプログラミングの勉強も始めたんですね。また違う分野で不安はなかったですか?
私、不安にならない性格みたいです。課題があると、不安になる前に、「どうやったら乗り越えられるかな」と考えてしまう性格なので「分からないことは知っている人に聞いちゃおう」とか、乗り越えるための策を考える方が好きかもしれません。それよりもやっぱりプログラミングは難しいので、本を買ったり詳しい人に聞いたり、どうやったら理解できるのかってことばかりを日々考えていたなと思いますね。
ーーゼミではどんなことを研究しましたか?
卒業制作として、ロコモティブシンドローム(筋肉、骨、関節などが衰え、立ったり歩いたりといった機能が低下すること)を予防するトレーニング支援ツールを作り、論文を書きました。お年寄りが正しいスクワットをできるようになるためのロボットで、要は膝が前に出過ぎてしまうとお知らせするんです。
いざ作ると思うとなかなか難しくて…。色々な試作をした中で最終的に辿り着いたんですけど、当時は悩める大学生でしたね。
ーーご自身では最大限のアウトプットができたというところまで、もう少しあるという感じでしたか?
そうそう。まあなんか、ポンコツが一生懸命やっている感じでした(笑)
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インタビュー後編では、「悩める大学生だった」といういとうさんが、大学院に進学し、研究者の道へと進む中で遭遇した転機やそれを乗り越えた方法、学ぶことを継続するためのヒントを語ってもらいました。
【インタビュー後編はこちら】「地獄に落ちた」芸能界での経験も糧に。40代で学び直し研究生活15年、いとうまい子の「目標を持たない」生き方