「オマル師死去」で大困惑する中国:タリバンは分裂不可避か

オマル師「生存説」の方がアフガン、米国、パキスタンなど各政府にとって都合が良かった。しかし、死亡が発表された。困り果てているのは中国だという。

 傑出したカリスマ性を持つトップの死は組織に大混乱をもたらす。よって当分の間、死を秘匿する、という策略は古今東西を問わずあり得る。日本でも、武田信玄の死後、家督を相続した勝頼が遺言を守って、葬儀をせず、信玄の死を覚(さと)られないよう工作した。

 それでは、アフガニスタンのイスラム教原理主義組織タリバン最高指導者ムハマド・オマル師の場合、2年以上前に死亡していた事実がなぜ突然発表されたのか。

 オマル師は、過去に何度も死亡説が流れたが、「生存説」の方がアフガン、米国、パキスタン各政府にとっても、タリバンにとっても都合が良かった、と8月7日付ニューヨーク・タイムズは伝えている。

 従って、パキスタンの情報機関、3軍統合情報部(ISI)も米中央情報局(CIA)も死亡説を徹底追及しなかったようだ。しかし、オマル師の死でアフガン和平に向けた政府とタリバンの交渉が無期延期となり、パキスタンも米国も困惑している。

 いや実は、両国以上に困り果てているのは中国だという知られざる事情が今、取り沙汰されている。

和平進展でタリバン内部に不満

「2015年の最初の7カ月間、アフガニスタンは和平に向けて前例のない動きを見せた」と米陸軍のシンクタンク、戦略研究所のカーター・マルカシアン研究員は米外交誌「フォーリン・アフェアーズ」(電子版)への寄稿記事で記している。タリバンと政府側の間で一連の非公式接触が続けられたのを受けて、7月7日に公式協議が行われ、同31日には2回目の公式会合が行われる予定になっていた。

 その開催地は、パキスタンか中国になる可能性が高い、と伝えられていた。中国はそれほど、アフガン和平に深く関与していたのだ。

 世界は、和平協議に関する声明が「死人」から出されていることも分からず、和平協議の進展に期待感を高めていたのである。

 その矢先、29日にオマル師死去が世界に伝えられた。

 タリバン内の舞台裏については、米紙ウォールストリート・ジャーナルの記事が最も詳しい。2人の筆者のうちの1人、パキスタン・カラチ在住のサイド・ショアイブ・ハサン記者が、タリバン内部の動きを綿密に追っていた。

 実は、タリバン内部の批判勢力の間では、協議は本当にオマル師の指示を得て行われているのか、といった不満が高まっていたという。特に、この数カ月間はオマル師の生死に関する憶測が高まり、一部の幹部から「生きている証拠を出せ」といった要求も出されていた。アフガニスタン情報機関「国家治安総局」は幹部らの間でやりとりされた、そうした内容の書簡を入手していたという。

オマル師の息子は若すぎる?

 7月22日、反主流派のある幹部が「オマル師は2年前に死んだ」とする声明を出したことから、少数の最高幹部と家族は「組織の統一を維持するため」オマル師の死を公表することを決断したという。

 正確な日時は不明だが、7月下旬にオマル師の息子、モハマド・ヤクブ氏が、タリバンの意思決定機関「評議会(シューラ)」があるパキスタン・クエッタ郊外のイスラム神学校(マドラッサ)に幹部を招集、2013年4月にオマル師が死亡していたことを告げた。

 問題は、これによってタリバン組織内の対立が収まるどころか、反対に激化したことだった。この会合の場で、2010年以降、最高指導者の代行を務めていたマンスール師と軍事部門の責任者ザキル氏らとの間で対立が表面化した。他方、ヤクブ氏を支持する動きも見られた。

 7月29日、約20人の幹部がクエッタ郊外で会議を開き、マンスール師を最高指導者に選んだが、一部の幹部から「もっと大規模な会議を開いて決定すべきだ」との意見や、「イスラム法に従った決定ではない」との主張がなされたという。

 タリバンは、1990年代に運動が発生した当初から、パキスタンの情報機関ISIの支援を受けてきたというのは公然の秘密。しかし、ウォールストリート・ジャーナル紙によると、ISI幹部は「これで派閥対立が前面に出た。ヤクブは(20代半ばで)若すぎて、シューラでは受け入れられない」と先行きに悲観的だ。組織の統一維持は非常に難しくなったようだ。

在アフガン米軍削減計画にも悪影響

「CIAはオマルがパキスタンの病院で入院治療を受けているとの情報を得た」。2011年1月、訪米したザルダリ・パキスタン大統領(当時)に対して、パネッタCIA長官(同)はそう問い詰めた、とワシントン・ポスト紙電子版が7月30日、伝えた。さらにパネッタ長官は、その病院はカラチのアガ・カーン大学病院だ、と具体的に指摘したという。ザルダリ大統領がこれに対してどう答えたかは明らかでないが、入院の事実を否定したとみられる。

 オマル師は腎臓疾患ないしは髄膜炎のため、その後も入院し続け、同じ病院で2年余り後に死んだとみられる。この間、CIAはオマル師の身柄確保に乗り出さなかった。対照的に、パネッタ・ザルダリ会談から約4カ月後の2011年5月1日、米国は国際テロ組織アル・カエダのビンラーディン容疑者の隠れ家を急襲して殺害しており、明らかにアル・カエダ殲滅作戦の方を優先していた。

 オマル師は、当時言われていたようにパキスタンによって匿われていたのは確実だ。2001年10月、米軍のアフガン攻撃を受けて、タリバン幹部はクエッタに避難。CIAはクエッタに対する無人機攻撃を計画したが、パキスタン側が拒否した事実もある。

 パキスタンは、オマル師の死去でタリバンが分裂すると、和平協議に対して影響力を行使できなくなるため、オマル師の死もさらに長期間、秘密にしてほしかったようだ。

 現在の在アフガン米軍兵力は約1万人。オバマ政権終了時に、アフガン政府を防護するための米軍部隊1000人まで削減する計画だが、タリバン分裂で和平協議が不調に終わると、計画の見直しを迫られる恐れがある。

オマル師と中国の約束

 他方中国は、国内のイスラム過激派という、もっと深刻な難問を抱えている。実は、中国は2000年11月、ウイグル人過激派がアフガン領内から中国に対して出撃することを認めない、との約束をオマル師から直接取り付けていた、というのだ。中国と中央アジア諸国の関係に詳しいアンドルー・スモール氏が8月3日、フォーリン・ポリシー誌電子版で明らかにしている。合意に当たって、中国の駐パキスタン大使は直接オマル師と面談することに成功したという。

 中国の対アフガン関係で注目されてきたのは、2007年に開発権を得たロガール州のアイナク銅山への投資だが、治安が確保できず、中国冶金科工集団公司はまだ操業開始に至っていない。中国は、和平後の将来のアフガニスタン政府にタリバンが参画すれば、中国の経済権益への治安が保障されると期待している。だから、中国はアフガン政府とタリバンの和平協議に前向きに取り組んできた。

 また、習近平国家主席が進める一帯一路構想も、タリバン分裂でイスラム国(IS)がアフガン国内で勢力を拡大し、戦闘が激化するようなことになれば、悪影響を受ける。

 オマル師の死去で中国の新疆ウイグル自治区の治安計画や中央アジア戦略などはすべて計算が狂う、ということのようだ。

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春名幹男

1946年京都市生れ。大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒業。共同通信社に入社し、大阪社会部、本社外信部、ニューヨーク支局、ワシントン支局を経て93年ワシントン支局長。2004年特別編集委員。07年退社。名古屋大学大学院教授を経て、現在、早稲田大学客員教授。95年ボーン・上田記念国際記者賞、04年日本記者クラブ賞受賞。著書に『核地政学入門』(日刊工業新聞社)、『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書)、『スクリュー音が消えた』(新潮社)、『秘密のファイル』(新潮文庫)、『スパイはなんでも知っている』(新潮社)などがある。

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(2015年8月26日フォーサイトより転載)

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