29歳で突然夫を亡くした私 そして、彼の数々の浮気を知った。

私の心痛は、悲しみと喪失感だけではなく、怒りと裏切りが混ざっていて複雑だ。
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MEI RATZ
著者のロビン・ウッドマンさん

湧き上がるパニックを抑えつつ、私は2つ後ろのボックス席にいるグループの方へそわそわと目をやる。

私の隣には彼氏が座り、音程の外れた『ロケットマン』を大声で歌う友人に拍手を浴びせながら囃し立てている。私の心の中の大騒動には気づかず、叫び声を上げて周囲の人々にいっしょに歌うよう勧めている。彼がそれに気をとられていることに私はほっとする。策を立てるしばしの間が必要だ。


私は今、デートをしている。亡き夫の親友の顔をみつめながら

過去7カ月の間、不安な荒波のなかをなんとか漕ぎ進んで、私は熟達の域にまで達した。住宅ローン会社と毎日バトルを交わし、善意の会話に心底では髪を掻きむしりたくなりながらも礼儀正しく微笑み、最近では余程のことがない限り、外から見て取り乱していると気づかれるようなことはなくなった。

しかし今回はそうはいかない。ここに熟成した域は存在しない。2つ向こうのボックス席の見覚えのある顔を、リスクを冒してもう一度見て、ぐっと胸が詰まる。その顔と目が合い、それが嫌悪に歪むのを見る。恐怖で私は席から動けなくなる。逃げ出したりしたら、横を走り去ろうとする私の腕を彼が掴むのではないかと怖くなるのだが、あまりにも取り乱していて、なんでもない素振りをすることもできない。

なぜなら、なんでもなくないから。それどころか、私は今、デートをしている。亡き夫の親友の顔を見つめながら。

恐ろしい目を彼が向けてくる。亡き夫のかつてのルームメイトであり、スキューバダイビングのバディでもあったティムだ。彼は随分酔っぱらっているようで、私の今の様子に不満げだ。困惑と不服とが入り混じっている。私は彼を責めることができない。外から見れば、私は夫を亡くしたばかりで、見知らぬ男性と楽しんでいる夫を亡くした妻だ。しかしFacebookの「複雑な関係」ステータスでさえ、私がこれまで通ってきたものを到底説明することはできない。


私の心痛は、悲しみと喪失感だけではなく、怒りと裏切りが混ざっていて複雑だ。

私は通常の夫を亡くした妻ではない。第一に、私はまだ29歳で若い。そして私の心痛は、悲しみと喪失感だけではなく、怒りと裏切りが混ざっていて複雑だ。7カ月前にマックスが亡くなったとき、ふたりの結婚は窮地にあった。実際、私は彼のプロポーズを受けるべきではなかったのだが、2年前に彼が跪いてプロポーズしたときに、船は乗り出してしまった。私たちはセラピーセッションを1度受け、2度目を受けようとしていたところだったが、受けてもその嵐を乗り切ることはできないだろうと私には分かっていた。

私は結婚とそこで起きたことについて考えるとき、いつも頭が海に関する比喩に走ってしまう。それも無理ない...マックスは昨年の感謝祭の日に、スキューバダイビング中の事故で亡くなったのだ。皮肉にも彼は、スキューバダイビング界でプロとして高く評価されていたひとりだった。そして彼もまだ30歳の若さだった。

夫を亡くした妻はみんな、ある経験を共有する。自分の婚姻状況が変化したその日の一瞬一瞬の記憶が、許可もしないのに頭のなかに刻み込まれる。時間が重く感じられ、水面下に引きずり込まれたようになる。懸命に努力してゆっくりと進む感じだ。人々という水面に浮かぶ断片が寄ってきては静かに離れていく日々になる。私たちの指は繰り返し電話をかけまくり、知らせを伝える。私の場合は考える間も置かずに次の電話をかける。なぜなら危険は、一息つくところに訪れるものだったから。

これらの瞬間が、否応なく夫を亡くした妻たちを団結させるのだ。ノーラ・マクイナーニーが著書『The Hot Young Widows Club(夫を亡くしたホットで若い妻クラブ)』のなかで、それをうまく言い表している。「あなたをここに迎えるのは残念なことですが、あなたが私たちを見つけてくれて嬉しく思います」。しかしマックスが亡くなって間もなく私を襲った第2の打撃は、さらに会員条件の絞られたクラブ、そしてさらに好ましくないクラブへの参加資格を私にもたらした。でもそこには、自分たちが自覚する以上に多くの人々が属しているのだ。

そこへ、醜悪な秘密が現れる。夫は、出会った頃からずっと、私を裏切っていた。

死別であろうと離婚であろうと結婚が終わるときには、どれほど必死に隠しておきたいと思っても、秘密の泡が水面に浮かび上がってくる。私がなぜ知るに至ったかを人々は常に知りたがるが、その声には露骨な疑いか、あからさまな好奇心が混ざる。

私の場合、それは6週間だった。6週間、私はマックスの死を面目なく、悲しく、自分に責任があるように感じた。この結婚への疑念を持ち出したことに対して、私が自分自身に課した悲しみだ。最初から直感的に正しいことではないと感じていたものから片足を引き抜いたことに対してだ。私たちの結婚問題が水中で彼の気持ちを動揺させたのだろうかと悩んだ。マックスが究極の代償を払った一方で、私は不愉快な離婚というものをせずに済んだという安堵の気持ちに、6週間罪悪感を抱いた。

そこへ、醜悪な秘密が現れる。マックスは、私たちが最初に出会ったときから私を裏切っていたのだ。私たちが付き合っていた間、彼は他の女性とも付き合っていた。私たちは婚約したが、彼はまだ付き合っていた。私たちは結婚したが、彼は多くの女性たちと付き合う生活を続けた。私は何も知らなかった。だが悲しみに打ちひしがれて6週間経ったとき、1人の友人がこう尋ねた。「私がマックスについて良くない情報を知ったとしたら、どう思う?とても悪いこと。あなたは知りたい?」躊躇うことなく私はイエスと答えた。そしてその後直ぐに嘔吐した。

私は彼の携帯の記録の海の底へとダイビングを開始した。厚い紙の束と黄色のマーカーを手に、何日も机にかがみこんだ。ページが白よりも黄色のほうが多くなると、次に何千件もの写真やメールをスクロールしていき、私が関与していない社交生活のタイミングや編成とつなぎ合わせていった。職場を出る前に急いで送ったとみられるメール。夜中に受信したテキストメッセージは、その後彼の携帯から削除されていた。


「死者を悪く言うな」と言う言葉を固く守った。

私が経験していた心痛と、たいていの人々が私が感じているだろうと思っていた心痛とには、とても大きな隔たりがあった。セラピストは私の心痛を「複雑」だと表現した。私は激怒しており、そして現実をすべて詳細に暴くことで怒りに油を注いでいった。

新たな女性を発見するたびに電話に手を伸ばし、泣きながら友人に訴えて彼を罵った。自分の人生が昼メロのようだと感じた。夫が妻を裏切る、夫が亡くなる、妻は夫に大勢の愛人がいたという現実を突き付けられる。

しかし私が激怒したところで、これらの酷い真実に光が当てられることはめったにない。世間は言い古されてきた「死者を悪く言うな」という言葉を固く守り、死者の欠点を明るみに出すような自身の話や体験を主張するのは、ほとんど不可能だ。そして私はそれに正しく従った。

彼の家族への配慮と自分自身が騙されてきたことを恥じる気持ちとが相まって、私は早い時期に、自分の親しい人にだけ打ち明けることを決断した。そのため、哀悼者たちの多くは依然としてマックスを輝かしい位置に据え続けている。これは彼らにとっては良いが、私は犠牲を払っていた。

私は激しい嘔吐反射を発症し、ちょっとした歯磨きでさえ嘔吐せずにはできなくなった。真実が私の喉の奥に留まり、外へ吐き出さないからと私を罰していたのだ。


夫を亡くした妻が幸せを見つけようとして直面する世間の目

夫が亡くなって7カ月経った今、私はバーで彼氏と席に座って普通の生活を送ろうとしており、亡き夫の親友が友人たちと酔っぱらって、亡くなった親友の妻が、親友を裏切って別の男といっしょに居るのを見つめている。しかし、ティムはあまり多くを知らないのだと私は知っている。あるいはもっと悪いことに、彼は知っていてもそれを大したことだとは思っていないのかもしれない。

場所を変えるのが妥当だろうと私が決断したとき、ちょうど『ロケットマン』が拍手喝采で終わる。彼氏には包み隠さずすべてを話しているけれど、亡くなった夫についての話を聞くことと、土曜の夜にその夫の友人に顔を叩かれるのとでは、大きな違いがある。それに、ティムは思考が明確なようには見えない。一番避けたいのは、騒ぎになることだ。

私は顔を近づけて、私たちはここを離れなければならないことと、その理由を囁いた。その間ずっと恥ずかしさを懸命にこらえた。私は屈辱を感じた。亡くなった夫がいてデートをするのは魅力あるものではない。それに私は、急接近している私たちの関係を、複雑な全体像を知るわけではない人々から守りたいのだ。思いやりある今の彼氏が誠実な人で本当に良かった。

彼は私の手をとり、私たちはボックス席をなんとか抜け出して、ティムの横を通らずに裏階段を降りる。ティムの血走った目が瞬きもせずに私から離れないのは、彼のほうを見なくてもわかる。彼の凝視の重みと、私自身の恥ずかしさと、どちらが長く私に留まっていたのかはわからない。

私たちは通りに出て、結局その夜は1ブロック先の店で飲み直す。なにも起きなかったことに感謝しながらも、私が再び安心して外出できるようになるまでに何週間かかかる。マックスの存在は何カ月も、街の至るところに大きくぼうっと現れる。何年も。

一般的に言って、夫を亡くした妻たちが幸せを見つけるのは好ましいこととは見なされない。世間は前もってこうだと決めてかかり、慣習的にどの時期にはどのような行動を私たちがとるのが「適切」かを決めつける。もしこの厳格な哀悼スケジュールを逸脱するようなことがあれば、やや遠回しの意見や、時にはあからさまな軽蔑に直面することになる。それはまるで、私たちが幸せになる権利は、配偶者とともに亡くなってしまったかのように。そしてあまりに早く復活しようとすれば偏見の目で見られる。


私は何も悪いことはしていなかった。

やがて私は、自分を知る誰かに出くわすかも知れないと感じなくなるまでに至った。そして誰かにばったり出会ったとしても、不安な状況に対処できるようにもなった。彼らを見て身を縮めながら手のひらに汗をかき、心臓が痛いほど鼓動を打つ代わりに、何回か深い呼吸をしてから肩を張るようにするのだ。進歩だ。

私は今、時間の癒しを味方につけた42歳として、このすべてを振り返る。バックミラーにこれら何年もの出来事を映しながら、自分の決断を批判したい衝動を抑える。もう一度やり直せるとしたら、真実を飲み込んで窒息しそうになる代わりに、それを突き付けて押し返してやるだろうと考えたがっている。でも違うかもしれない。おそらく29歳の私には、それは荷が重すぎるのだ。難破して必死に浮かんでいるのがやっとの、途方に暮れた若い女性だった。私は何も悪いことはしていなかった。私なりのベストを尽くしていたのだ。

そして私は、自分が何に直面していたのかを理解して正しく評価できるようになった。私は地図のない危険な海のなかで、夫を亡くした若い妻でいることの、内面や外から来るプレッシャーと対峙していたのだ。若かったあの頃の自分に、私は大きな愛と許しの気持ちを抱いている。彼女がいなければ、幸せな再婚をして、海の比喩からは(ほとんど)解き放たれた今の私はいなかっただろう。

ハフポストUS版の記事を翻訳・編集しました。