旭化成の名誉フェローを務める吉野彰さん(71)に、2019年のノーベル化学賞が授与される。海外の2人との共同受賞となる。ノートPCやスマホ、電気自動車まで幅広く使われるリチウムイオン電池の開発に貢献したことが評価された。
吉野さんは1981年からリチウムイオン電池の開発に旭化成で着手。1985年に開発に成功した。1991年に発売されると、後に爆発的に広まることになった。
■新規事業の三つの関門とは?
リチウムイオン電池の開発をめぐって吉野さんは、三つの関門があったと2017年の「産学官連携ジャーナル」のエッセイで振り返っている。
それが「悪魔の川」「死の谷」「ダーウィンの海」。企業が新規事業にチャレンジするときに使われるビジネス用語だ。吉野さんの解説を要約しよう。
・第一の関門【悪魔の川】
基礎研究という孤独な作業の中でもがき苦しみながら、それまで世界になかった何か新しいものを見いだすまでの苦労。
・第二の関門【死の谷】
基礎研究の成果で見いだした新しいものの製品化、事業化に向けて開発研究の段階の苦労。次から次に課題が噴出して連日連夜対策に追われる日々が何年も続く。
・第三の関門【ダーウィンの海】
開発研究でもろもろの課題を何とか解決し、念願の事業化。工場が完成し、新製品が世の中に出ていくことになるが、世の中の人々はその製品をすぐに買ってくれるわけではない。人々が新製品の価値を認め、市場が立ち上がっていくまでに、また数年かかる。多額の研究開発投資、工場建設のための設備投資が発生しているのに、新製品が売れないのはつらすぎる。
■ダーウィンの海は「真綿で首を締められるような苦しみ」
吉野さんは、リチウムイオン電池を振り返って最もつらかったのが「ダーウィンの海」だとしている。画期的な製品を発売したのに「関心はあるけど買わないよ」という状況が続いた。
後に吉野さんが当時のユーザーに聞いたところ、「先頭を切って走るのはリスクがあるので嫌だけれども、出遅れるのも困る。誰かが走り出したらすぐに動けるようにしておきたい」という様子見状態になっていたという。
10月9日の記者会見でも、吉野さんは「ダーウィンの海」の苦労について語っり、「真綿で首を締められるような苦しみ」と表現した。以下は、そのときの記者団とのやり取りだ。
――新規事業を立ち上げるときに悪魔の川、死の谷、ダーウィンの海という3つの言葉を出してました。どれもリチウムイオン電池の開発でご苦労されたと思いますが、もっとも深かったのはどれでしょう。
俗に悪魔の川、死の谷、ダーウィンの海の3つですね。「基礎研究で苦労しますよ」「開発研究で苦労しますよ」「製品を世に出しても、しばらく売れない時期がありますよ」と。その3つのうち、どれが一番きついかというとダーウィンの海でしょうね。
正直言いますと、(リチウムイオン電池が)全く売れない時期が約3年ありました。それがある日、突然の如く売れ出したのが1995年なんです。Windows95の年でまさにIT革命が始まったんです。
ですから、最初に分かっておれば5年でも10年でも待てるんですけどね。それはやっぱり精神的にも肉体的にも非常にきついですし。その時点では当然、研究開発投資も相当膨らんでます。ましてや設備投資も始まってますんでね。真綿で首を締められるような苦しみじゃないんでしょうか。