ビクター・チャ・ジョージタウン大学教授の駐韓米大使起用が白紙化したことで、現在、駐韓大使代理を務めているマーク・ナッパー氏を大使に格上げすることも候補の1つに上がっている。年齢が40代半ばと若いが、米国務省には数少ない日本語、韓国語、ベトナム語に堪能な、東アジアに精通した外交官だ。
日本・韓国に通じたナッパー大使代行
父親が海兵隊員で、少年時代に沖縄で生活したことがある。プリンストン大学でケント・ガルダー教授の指導のもと日本政治を専攻し、東アジア学を副専攻した。さらに1991年から93年まで東京大学大学院に留学し、1993年に国務省に入省した。同年から95年までソウルの米大使館、97年まで東京の米大使館、2001年まで再びソウルの米大使館に勤務した。
その後2001年から2004年まで国務省東アジア太平洋局で中国を担当。同年から2007年までベトナム・ハノイの米大使館、2010年まで再び東京の米大使館、2011年までイラク・バクダッドの米大使館、同年8月に国務省に戻って日本部長やインド部長を務め、2015年4月には駐韓米大使館に首席公使として赴任したが、トランプ政権の発足でマーク・リッパート大使が2017年1月に離任以後、大使代理を務めている。
ちなみに1997年に寧辺の使用済み核燃料の作業のため、さらに2000年にはマデレーン・オルブライト国務長官(当時)の訪朝の先発隊として2度訪朝した経験を持つ。
こうした経歴を見ていると、無理に後任大使を決めずに大使代理を続けさせるか、もしくは大使に昇格させてもよいように見える。状況を把握していない大使が赴任すれば、そうでなくても意思疎通の難しい米韓関係をこじらせかねない。
食い違う米韓の方向性
しかし憂慮されるのは、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領と米国のドナルド・トランプ大統領の対北朝鮮政策が、反対の方向を向いているのではないかという点だ。平昌五輪という「宴」は、米韓の足並みが揃うのか離反するのかの分水嶺になるのではないか、という危うさを感じる。
韓国の青瓦台(大統領府)は、文在寅大統領が1月10日夜にトランプ大統領と電話会談し、両首脳が「現在進行中の南北対話が米朝対話につながる可能性があるとの認識で一致した」と発表した。韓国側は1月9日の南北閣僚級会談について、「トランプ大統領の確固たる原則と協力のお陰だ」と持ち上げることを忘れなかった。
文在寅大統領は繰り返し、平昌五輪期間中の南北対話で「『南北対話』を『米朝対話』につなげる」ことへの期待を表明している。
これは2つのことを意味する。1つは、韓国政府がいくら南北対話に励んでも、核問題解決の当事者にはなれないという自己認識だ。言い換えれば、北朝鮮の核問題は南北対話ではなく、米朝対話で解決するしかないという認識である。
もう1つは、米朝対話を実現するためには南北関係が良好でなければならない、という認識だ。南北が対立している状況下で、米国は北朝鮮との対話には臨めない。南北対話がうまくいっても、米朝対話につながる保証はないが、南北関係が良好でなければ米朝対話がないことも事実である。
文在寅大統領は2月2日夜にも、トランプ大統領と電話会談を行った。青瓦台は翌3日、両首脳は「平昌冬季五輪成功のため緊密に協力することで一致した」と発表した。文在寅大統領は、「南北対話のモメンタムが今後も続き、韓半島の平和定着に貢献することを期待する」「マイク・ペンス副大統領の訪韓が重要な転機になることを願う」など、南北対話が米朝対話へつながることへの期待を表明した。トランプ大統領は「五輪成功と安全を願い、100パーセント韓国とともにいる」と述べたが、米朝対話に言及した発言は確認できていない。トランプ大統領は1月10日の両者の電話会談で、「適切な時期に適切な環境下」での米朝対話を排除しない考えを示したが、姿勢の変化を示唆する対応だった。
人権問題を重視し始めた
トランプ米大統領は1月30日の一般教書演説で、北朝鮮問題に多くの時間を割いた。「すぐにも米本土の脅威になり得る。最大限の圧力をかけ続けている」と、北朝鮮の核ミサイルについて危機感を表明したが、これまでの主張から変化を見せたのは、北朝鮮に対する人権問題重視の姿勢を強めたことだ。金正恩(キム・ジョンウン)体制を「非道な独裁政権」と決め付け、「北朝鮮ほど国民を抑圧している政権はない」と訴えた。
トランプ大統領は、北朝鮮の政治的抑圧の目撃者として2つの事例を挙げた。北朝鮮で拘束され、解放された直後に亡くなった米国人学生、オットー・ワームビア氏のケースと、脱北の途中で、線路で倒れて左手足を切断した脱北者チ・ソンホ氏のケースだ。オットー・ワームビア氏については、「ここに両親やきょうだいがいる。世界の脅威の重要な目撃者だ」とし、「目撃者がもう1人来ている。チ・ソンホさんだ」と紹介した。チ・ソンホ氏の父親も脱北を図って逮捕され、拷問を受けて死亡したとされる。
人権問題は抑圧的な政治体制である北朝鮮の最も本質的な問題だ。米国がこの問題を重視すれば対話は簡単ではない。
トランプ大統領は、「これまでの経験は、自己満足や譲歩は攻撃と挑発を招くだけだと教えている。私たちをこの危険な立場に陥れた過去の政権の過ちを繰り返さない」と強調し、北朝鮮には譲歩しない姿勢を示した。
実妹の金与正氏も訪韓
北朝鮮は2月4日夜、平昌冬季五輪に金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長と高官代表団3人、随行員18人を、2月9日から11日まで2泊3日の予定で韓国に派遣すると通告してきた。
さらに韓国の統一部は2月7日、北朝鮮側が高官代表団として金正恩朝鮮労働党委員長の妹の金与正(キム・ヨジョン)党第1副部長、国家体育委員会委員長の崔輝(チェ・フィ)党副委員長、南北閣僚級会談の首席代表である李善権(リ・ソンゴン)祖国平和統一委員会委員長を韓国に派遣すると通告してきたと明らかにした。
北朝鮮の金日成(キム・イルソン)主席の血を引く「白頭の血統」に属する人物が、韓国を訪問することは初めてである。金与正党第1副部長は2月5日に、韓国に向かう芸術団を平壌駅で見送ったが、『労働新聞』はその時の肩書きを党政治局委員候補と報じていた。統一部の発表では党第1副部長となっており、どこの部に所属するかは明らかになっていないが、芸術団の出発を見送ったことから党宣伝扇動部第1副部長と見られる。これまで金与正氏は党宣伝扇動部副部長だったが、昨年10月の党中央委第7期第2回総会で党政治局委員候補に選出された際に、党第1副部長に昇格されたと見られる。韓国の一部メディアは、党組織指導部の第1副部長に就任したのではないかと報じたが、韓国の統一部も党宣伝扇動部第1副部長との見方を明らかにした。
しかし、北朝鮮が憲法上の元首の役割を果たし、序列では金正恩党委員長に次ぐ第2位の金永南最高人民会議常任委員長と、金正恩党委員長の実妹の金与正党第1副部長を韓国に派遣したことは、南北関係改善への強い意志を示したと言える。
特に金与正氏の訪韓で、金正恩党委員長が何らかのメッセージを文在寅大統領に伝達する可能性もあると見られる。
北朝鮮は2016年のリオ五輪の際には、当時国家体育指導委員会委員長だった崔龍海(チェ・リョンヘ)氏を送った。北朝鮮の現在の国家体育指導委員会委員長は崔輝党副委員長であり、崔輝氏の訪韓は北朝鮮スポーツ界のトップの派遣といえる。
しかし、崔輝氏は国連安全保障理事会の制裁決議2356号で国連メンバー国への渡航禁止、資産凍結の対象になっており、崔輝氏の訪韓は国連制裁違反になる可能性が高い。韓国政府は米国や国連と協議するとしているが、2月9日の開幕まで時間的余裕はなく、問題化する可能性がある。
『聯合ニュース』によると、韓国政府は国連に崔輝氏への制裁免除を申請しており、米東部時間の8日午後3時(韓国時間9日午前5時)までに、韓国政府の要請に誰も異議を出さなければ免除が認められるが、北朝鮮代表団の出発ぎりぎりまで調整が続くと見られる。
「米朝接触」めぐる「米韓」つばぜり合い
ここで急速に関心が高まっているのは、平昌冬季五輪開会式に出席する米国のマイク・ペンス副大統領と金永南委員長との何らかの接触が、平昌で実現するかどうかだ。
文在寅大統領は「南北対話を米朝対話につなげる」と繰り返し語っており、金永南委員長とペンス副大統領の「接触」を演出する可能性はある。ある意味で、それは文在寅大統領の「願望」でもある。
ペンス副大統領も金永南副委員長も同じように「ナンバー2」の地位にある。韓国政府は平昌五輪が開催される2月9日、文在寅大統領が平昌五輪開会式に出席する各国VIPを招いてレセプションを開く予定だ。さらに開会式会場では各VIPは同じ空間で開会式を観覧する可能性が高い。韓国政府がこうした空間を利用して「米朝接触」を演出するのではないかという見方がある。
しかし、ペンス副大統領はこうした動きにブレーキを掛けている。ペンス副大統領は2月2日、「戦略的忍耐の時代が終わったという簡単で明瞭なメッセージを伝えるために平昌オリンピックに行く」と述べた。
さらに、ペンス副大統領は平昌五輪の開会式出席に、死亡したオットー・ワームビア氏の父親も同行するとした。これは韓国政府への北朝鮮との「接触」を演出しないようにというメッセージだ。米国側は金永南委員長と同じ空間にいる際に「接触」が生まれないよう、韓国側に強く求めたという。
しかし、訪韓前の2月6日に日本を訪れたペンス副大統領は、直前に大陸間弾道ミサイル(ICBM)に対する防衛システム点検のために立ち寄った米アラスカ州で、「北朝鮮代表団といかなる対面も要請しなかったが、どんなことが起きるか見守ろう」「もし北朝鮮側と会うことになっても、これまで公開的に表明してきた内容と同じメッセージになるだろう」と語り、米朝接触の可能性を明確に否定はしなかった。
加えて、南米訪問中のレックス・ティラーソン国務長官は、ペルーで「北朝鮮とどんな状況であれ会う機会があるのかどうか、見守ろう」と述べた。
さらにホワイトハウスのサラ・サンダース報道官も2月6日、米朝接触について「見守ろう」と述べた。
このように、米国側は基本的には米朝接触に否定的な姿勢を見せながらも、状況によっては会う可能性があることを否定はしていない。
しかし、『朝鮮中央通信』は2月8日、北朝鮮外務省のチョ・ヨンサム局長が同通信の記者の質問に答える形で「明確に言うが、われわれは南朝鮮訪問期間、米国側と会うつもりはない」「われわれが米国に対話を乞うたことはなく、これからも同じだ」と述べたと報じた。
北朝鮮が高官訪問団訪韓の前日にわざわざこうしたコメントを発表したことは、北朝鮮が対話を乞うているが米国がこれを拒否したと国際社会が見ることへの予防線を張ったと言えそうだ。米国がさらなる制裁強化を表明している中では、北朝鮮側から頭を下げるつもりはないという姿勢とみられる。
平昌での米朝接触のハードルは次第に高くなっているが、南北対話を米朝対話につなげたい韓国政府がどういう状況を作り出すかがカギになりそうだ。
米韓合同軍事演習は4月初めか
韓国国防省報道官は1月26日の会見で、平昌冬季五輪と平昌冬季パラリンピックの期間(2月9日~3月18日)が終了した後に、米韓合同軍事演習を例年と同じ規模で行うと発表した。米国のジェームズ・マティス国防長官と韓国の宋永武(ソン・ヨンム)国防相はハワイで1月26日(現地時間)に会談し、こうした日程を確認したと見られている。米韓軍事当局は、米韓合同軍事演習の実施猶予時期はパラリンピックが終わる3月18日から1週間の時間を置いた3月25日までで、それ以降はいつでも行えるとの立場であり、4月初めから演習を例年規模で行うという見方が有力だ。
北朝鮮は1月24日、平壌で朝鮮政府・政党・団体連合会議を開催し、「南朝鮮当局が米国との戦争演習を永遠に中断し、南朝鮮に米国の核戦略資産と侵略武力を引き込む一切の行為を中止すべきだ」と主張し、米韓合同軍事演習を「永遠に中断」することを要求した。
米国が米韓合同軍事演習を中断する可能性は低いが、演習は韓国で行われるだけに、文在寅政権が最終的にどう対応するかが焦点になる。韓国側が演習のさらなる延期を求めれば、米韓同盟に大きな亀裂を生むことになり、韓国政府もそこまではできないとの見方が有力だ。そうなれば、北朝鮮が現在のような対南融和姿勢を続けるのかどうか。再び、米韓との対決姿勢を明確にするならば、「平昌五輪休戦」は「うたかたの平和の宴」に終わるかもしれない。
但し、北朝鮮の対南戦略が平昌冬季五輪をターゲットにした一時的なものではなく、対米対話に向けた戦略的な平和攻勢の可能性もある。
北「軍事パレード」を強行
北朝鮮は今年9月9日、建国70周年を迎える。国連安全保障理事会が決めた昨年の一連の制裁決議は、北朝鮮経済に深刻な影響を与えるだろう。北朝鮮の年初以来の韓国への平和攻勢も、同族の韓国を引き込むことによって経済制裁の包囲網を突破しようという試みだ。平昌冬季五輪を活用した北朝鮮の米韓離反の試みは、ある程度は成功している。
北朝鮮は既に平昌五輪を活用し、これまで遮断されていた陸路、空路、海路の南北通路を開くことに成功した。北朝鮮の芸術団を乗せた貨客船「万景峰92」の入港は、北朝鮮船舶の入港を禁じた韓国の「5・24措置」に違反する行為だが、韓国政府は平昌五輪成功のための例外措置として、これを一時的に容認した。
北朝鮮は、米韓合同軍事演習が4月から実施されれば韓国批判を強めるであろうが、それが終われば、再び対南融和戦略に出て、米韓関係離反の動きを強める可能性もある。
金正恩党委員長は昨年11月末の新型ICBM「火星15」の発射成功で、「国家核武力が完成」したと宣言した。国家核武力が完成すれば、次は核保有国として対米対話を模索するというのはあり得るシナリオだ。現在は「先南後米」路線で韓国への平和攻勢を掛けているが、「先南」は「通米」へのツールでもある。いずれは米朝対話を模索すると見るべきであろう。
米国もある意味では手詰まりだ。「鼻血作戦」は実際には取れない作戦だ。軍事的な行動が困難であるなら、いずれは対話に応じるしかない。
平昌冬季五輪の融和的な状況が、米韓合同軍事演習実施によって対立的な状況に戻る可能性に留意しなければならないが、軍事演習が終わったあとの北朝鮮と米韓の関係がどうなるか、という長期的な視点も忘れてはならない。
また、北朝鮮は2月8日、創設70年を記念する「朝鮮人民軍創建日(建軍節)」を迎え、軍事パレードを強行した。平昌五輪開会式前日と重なったのは偶然だが、これを国際社会、わけても米国がどう受け止めるか注視する必要がある。この問題についてはまた稿を改めて分析、論じたい。
平井久志 ジャーナリスト。1952年香川県生れ。75年早稲田大学法学部卒業、共同通信社に入社。外信部、ソウル支局長、北京特派員、編集委員兼論説委員などを経て2012年3月に定年退社。現在、共同通信客員論説委員。2002年、瀋陽事件報道で新聞協会賞受賞。同年、瀋陽事件や北朝鮮経済改革などの朝鮮問題報道でボーン・上田賞受賞。 著書に『ソウル打令―反日と嫌韓の谷間で―』『日韓子育て戦争―「虹」と「星」が架ける橋―』(共に徳間書店)、『コリア打令―あまりにダイナミックな韓国人の現住所―』(ビジネス社)、『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮選書)『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫)など。