大相撲の聖地、両国国技館は2代目の建物で本場所を開催してから、30年を迎えた。初・夏・秋場所は「東京場所」とも言われている。今回は現・両国国技館を支えた力士たちの歴史を綴ってみよう。
■1990年までは九重部屋全盛
両国国技館最初の場所は、1985年初場所。和暦の「昭和」も60年目(昭和60年)という"大台"を記録した。
この場所を制したのは、第58代横綱千代の富士。実はこの場所の優勝を狙っていた。しかも15戦全勝。前年の低迷(優勝は九州場所のみ)を吹き飛ばすかの如く、全盛期に入った。
千代の富士は1987年初場所まで、前人未到の両国国技館7連覇を記録。8連覇を止めたのは、大関大乃国。15戦全勝で初優勝を成し遂げた。のちに第62代横綱に推挙され、千代の富士の連勝を53で止めた力士として、御記憶に残る方も多いと思う。
1990年まで九重部屋以外で優勝した力士は、大関時代の大乃国(1回)と旭富士(2回)のみ。18場所中15場所が九重部屋の力士(千代の富士11回、第61代横綱北勝海4回)で占めた。特に1988年夏場所から1990年初場所まで、九重部屋6連覇(千代の富士4回、北勝海2回)を記録し、"当時の最強部屋"を物語っている。
■二子山部屋全盛の時代へ
1991年夏場所中で千代の富士が引退すると、大乃国、第63代横綱旭富士、北勝海が相次いで引退し、番付上から横綱が消える非常事態に。若手が台頭していく中、新しい時代の扉を開けたのは、曙だ。1993年初場所後、第64代横綱に推挙され、同年は4回優勝した。
しかし、曙の時代は短かった。翌1994年は2代目貴乃花が大関で4回も優勝。九州場所後、第65代横綱に推挙された。主役があっさり入れ替わっただけではなく、同年初場所から1997年初場所まで、二子山部屋10連覇という偉業を成し遂げた。
内訳は2代目貴乃花8回(1994・1995年は両国国技館6連覇を記録)、3代目若乃花と貴ノ浪が各1回だ。
1994年から1998年までは二子山部屋の絶頂期で、ほかの部屋で優勝した力士は、曙(1回)、武蔵丸(1回)のみ。15場所中、13場所が二子山部屋で締めた。
■二子山部屋の対抗勢力となった武蔵川部屋
1998年夏場所後、3代目若乃花が第66代横綱に推挙された。しかし、1999年に入ると若貴兄弟がケガなどで低迷してしまう。
20世紀終盤に台頭してきたのが武蔵川部屋だ。同年夏場所後、武蔵丸が第66代横綱に推挙。大関昇進から5年を要し、ついに頂(いただき)を手にした。両国国技館で優勝した武蔵川部屋の力士は、武蔵丸と武双山のみだが、当時は出島と雅山が大関に昇進するなど、注目を集めていた。
2000年春場所中に3代目若乃花が引退。2代目貴乃花も2年連続で賜杯を逃していたが、2001年初場所の優勝で復活をアピール。ここから新しい時代を作り、数々の記録を更新するものと思われた。
しかし、同年夏場所14日目の武双山戦でひざを痛め、千秋楽の武蔵丸戦では相撲にならず、優勝決定戦へ。上手投げで勝利した時の"鬼の形相"が多くの人々の目に焼きついた。このケガが大きく響き、2代目貴乃花最後の優勝となってしまった。
■2003年以降はモンゴル出身横綱の時代へ
2003年初場所後、朝青龍が第68代横綱に推挙されてからは、モンゴルの時代へと変わった。2007年以降は主役が第69代横綱白鵬に変わり、2015年初場所で、通算及び両国国技館の優勝記録歴代単独1位を樹立した。
今の時代はまだまだ続きそうである。
(しらべぇより転載)