フォーエヴァースペシャル2015-鉄道車両の引退が相次ぐ-

日本の鉄道にとって、2015年は鉄道地図が大幅に書き換えられるので、歴史的な1年となる。くしくも2015年は車両の引退も多く、「昭和」がますます遠くなりそうだ。

日本の鉄道にとって、2015年は鉄道地図が大幅に書き換えられるので、歴史的な1年となる。くしくも2015年は車両の引退も多く、「昭和」がますます遠くなりそうだ。

西日本鉄道313形(2015年1月24日引退)

大手私鉄の現役最古参車両だった313形は1952年3月に登場し、オールロングシート、2ドアの通勤形電車である。鉄道車両では初めて、外板の工夫により強度を保つ「モノコック構造」を採用した。

当初は大牟田線(現・天神大牟田線)に投入されていたが、宮路岳線(現・貝塚線)のワンマン化と車両の近代化により、1977年4月から9月にかけて転属。前者は標準軌(線路幅1435ミリ)に対し、後者は狭軌(線路幅1067ミリ)なので、台車の履き替えが行なわれた。併せて塗装もベージュとマルーンのツートンから、オキサイドイエローをベースに赤い帯を巻いた。のちにワンマン運転対応、3ドア化、冷房の取り付け改造をそれぞれ受けている。

313形は登場から55年後の2007年から2008年にかけて、全4編成中3編成が廃車された。宮路岳線西鉄新宮―津屋崎間廃止のため、車両の整理が行なわれたのだ。残った1編成は、2014年5月23日よりデビュー当時のツートンカラーが復活。同年12月20日のお別れ撮影会では、「小学生以上の参加費1万円」が話題となった。

東京急行電鉄7600系(2015年2月中旬引退)

1967年3月、7200系通勤形電車として登場。初代7000系と同じオールステンレス車で、「ダイヤモンドカット」と呼ばれる凝った顔立ちが特長だ。当初はモーターの「ある車両」と「ない車両」を1両ずつつなぎ、2両編成としてデビューした。

1969年2月に増結用の中間車2形式が登場し、いずれもモーターの「ある車両」とした。その後、7200系は冷房の取りつけ改造が開始された。

7200系は田園都市線、東横線などで活躍していたが、全53両中51両を目蒲線(2000年8月6日から、目黒―田園調布間を目黒線、多摩川―蒲田間を東急多摩川線に分割)、池上線の配置に伴い、3両編成に組成し直すことになった。しかし、モーターつき車両の不足により、一部のモーターなし車両を電装搭載改造し、車両形式も「7600系」に改めた。

7600系はVVVFインバータ制御(現代の省エネ機器)やパンタグラフの搭載、台車の交換などが行なわれ、1986年5月1日に営業運転を開始。改造当初は7200系との混結編成が存在していた。

のちに目蒲線の4両編成化に伴い、7600系は池上線専用となり、1994年から1995年にかけて、全9両を対象に客室のリニューアルなど改造を実施。前面はリニューアル車を示す朱色と茶色のアクセントカラーを施し、歌舞伎役者のようなツラ構えとなった。

2000年8月4日から目蒲線の分割に伴い、東急多摩川線の運用にも就いた。

JR西日本581系(2015年2月で事実上の引退)

世界初の寝台座席兼用特急形電車、581系は国鉄時代の1967年9月に登場し、直流電化と交流電化60ヘルツ区間に対応した車両である。昼はボックスシートの普通車(当時2等座席)、夜は3段式B寝台(当時3段式2等寝台)で、洗面所やトイレは寝台客車20系と同じ、1両につき2か所設けた。

今まで国鉄特急電車の先頭車はボンネットスタイルだったのに対し、581系は併結運転を想定して貫通扉を設け、運転席も「2階席」という言葉が当てはまるほど高い位置に設けた。このスタイルは、のちに183系や485系などにも受け継がれてゆく(183系や485系などの一部は貫通扉を省略)。

同年9月30日、博多発の寝台特急〈月光〉新大阪行きでデビュー。当初、581系は先頭車のクハネ581形(モーターなし)、中間車のモハネ581・580形(モーターあり)とサハネ581形(モーターなし)、食堂車のサシ581形(モーターなし)を投入。当時はグリーン車(当時1等座席)がない珍しい特急形車両となった。

翌1968年、交流電化50・60両ヘルツの乗り入れに対応できる583系が登場。当初は中間車のモハネ582・583形(モーターあり)のみ新製、交流電化の周波数に関係しない「モーターなし車両」は増備を継続させた。新たにグリーン車のサロ581形(モーターなし)が加わり、華やかさを増してゆく。先頭車は1970年より、機器室を省いたクハネ583形に切り替えられている。

増備が打ち切られる1972年まで、車両の形式で581・580のつく車両は、192両新製された(参考までに583・582のつく車両は242両)。

世界初の寝台座席兼用電車、581・583系の全盛期は短かった。時代の流れにより、乗客から寝台・座席とも居住性の悪さを指摘され、さらに東北・上越新幹線の開業で、余剰車が発生してしまった。

国鉄は財政事情などを理由に、581・583系一部車両の近郊形化改造を決断。1983年に715系、1985年に419系がそれぞれ登場し、改造種車のモハネ581・580形が姿を消した。同年3月14日のダイヤ改正で、急行〈きたぐに〉用のA寝台車サロネ581形(サハネ581形を改造)が登場し、581・583系の食堂車が編成から外された。

国鉄分割民営化後、581系最後の保有車はJR西日本で、急行〈きたぐに〉を中心に奮闘していたが、車両の老朽化や乗車率の低下により、2012年3月17日のダイヤ改正で臨時列車に格下げ。翌2013年1月をもって完全廃止された。

JR西日本は、クハネ581-35のみ京都鉄道博物館(2016年春にオープンする予定)の展示車両として残し、吹田総合車両所で整備を受けた。それ以外の車両は廃車解体され、現役の583系はJR東日本の「1編成6両」のみとなり、"孤高の存在"と化している。

京成電鉄3300形(2015年2月28日引退)

3300形通勤形電車は、1968年に登場。当初は3200形と"うりふたつ"だったが、1969年の増備車から前面と側面に行先表示器を設置。台車も空気バネから金属バネに変更された。1972年まで52両新製され、"最後の赤電"(赤色塗装の電車)として親しまれた。また、自社線だけではなく、東京都交通局都営浅草線、京浜急行電鉄などの他社線にも直通していた。

1984年から1987年まで冷房の取りつけ改造を実施。1989年から1992年まで更新工事が行なわれ、前面の形状変更や貫通扉に種別表示器が新設された。1991年更新の4両については、座席をセミクロスシート化して、居住性の向上を図ったが、わずか6年で元に戻された。

3300形の営業運転は、2015年2月28日のリバイバル臨時特急〈成田山号〉成田行きが最後となり、別れを惜しむレールファンらでにぎわい、通勤ラッシュなみの盛況で47年間の現役生活を締めくくった。しかし、上野と成田でレールファンの怒号が飛び交うなど、節度のない行動がまた問題となった。

なお、3300形の一部は北総鉄道にリースされており、「7260形」として現在も活躍中だ。

JR北海道711系(2015年3月13日で営業運転終了の予定)

北海道専用の交流近郊形電車、711系は国鉄時代の1967年に登場した。

北海道の雪と厳しい寒さに耐えるため、日本の鉄道車両では初めてサイリスタ位相制御を採用。さらに遠心力を使い、空気と雪を分離させる「雪切室」の開発により、冬季の安定した運行に貢献した(そのほかは割愛)。特に雪切室は、115系1000番代近郊形電車、東北・上越新幹線初代車両の200系にも採用された。現在でもJR北海道電車の必須アイテムだ。

711系は近郊形のセミクロスシート(ボックスシート&ロングシート)ながら2ドア車となり、トイレだけではなく洗面所も設置され、"優等列車の風格"を漂わせた。実際、急行〈かむい〉〈さちかぜ〉に充当され、ロングシートと非冷房以外は急行形電車と遜色がない。

分割民営化後は、一部の車両で3ドア化や冷房装置取りつけの改造が行なわれた。

JR西日本455系、475系(2015年3月13日で営業運転終了の予定)

JRグループでは唯一の現役国鉄急行形電車となった、455系は1965年5月、475系は同年7月に登場した。直流電化と交流電化(前者は50ヘルツ区間、後者は60ヘルツ区間)に対応した車両で、下り坂の走行に備え、抑速発電ブレーキを装備した。

いずれも1965年10月1日のダイヤ改正でデビュー。急行列車として、前者は東日本エリア、後者は西日本エリアを中心に活躍した。当時、国鉄の優等列車は急行が"定番"で、特急は"高嶺の花"という存在だった。しかし、新幹線の開業、急行列車の特急列車格上げなどで激減し、余剰車が発生した。

国鉄は急行形電車のボックスシートを活かし、1983年度から近郊形化改造を開始。普通列車として余生を過ごす。455系は先頭車のクハ455形がモーターを搭載していないため、交流電化の周波数に関係なく走行できるので、北陸と九州でも活躍していた。

2007年3月18日のダイヤ改正以降、急行形電車の定期運用がJR西日本のみとなり、老体に鞭を打って奮闘していたが、寄る年波には勝てなかった。

2010年3月13日のダイヤ改正以降は521系の増備により、運転区間が縮小され、廃車が徐々に進んだ。

阪急電鉄2300系(2015年3月22日で引退予定)

2300系は京阪神急行電鉄時代の1960年に登場。鋼製車体ながら設計の見直しにより、従来車と同じ強度を保ちつつ軽量化を図った。技術面では、定速度運転制御の採用で「電子頭脳車」「オートカー」と呼ばれ、当時は画期的な車両だった。現在の阪急電鉄では標準装備の車外スピーカー(車掌がホームの乗客に案内放送を行なう)も、この車両から始まった。

車体側面には、種別表示器が設置され、特急は赤、急行はオレンジ、準急は緑をそれぞれ灯した。2200系が登場するまで、この表示器も阪急電鉄の標準装備だった。

のちに冷房取りつけ改造と制御装置の更新により、定速度運転制御を撤去。さらに一部の車両を対象に、行先と種別の表示器も取りつけられている。

富士急行2000系(2015年度中の引退を予定)

JR東日本は165系急行形電車のジョイフルトレイン、『パノラマエクスプレスアルプス』の営業運転を2001年9月2日で終了すると、わずか2日後には富士急行に譲渡された(『パノラマエクスプレスアルプス』は、同年9月4日付で廃車)。この車両は富士急行に直通運転した実績があり、同社にとっても"なじみのある車両"なのだ。

客室は全面禁煙化と自動販売機の設置を除き、特に手を加えていない。運転面では、保安ブレーキと電流計の新設、展望室つき車両にカメラの増設、モニターの更新を行ない、安全運転に万全を期した。さらに、起点の大月と終点の河口湖は標高差が499メートルもあるので、冬季の保温も強化した。

車体塗装はホワイトをベースに、富士山をキャラクター化した「フジサンクン」が101種類も描かれており、デビュー前から人々に強烈なインパクトを与えた。

富士急行はこの車両を2000系特急形電車として、2002年2月28日、特急〈フジサン特急〉でデビュー。3両編成で運転され、展望室つきの車両を指定席、それ以外を自由席とした。予備車がないので、検査時は特急〈ふじやま〉を運転し、特急料金を若干安くした。

特急〈フジサン特急〉は居住性の良さと外観のインパクトで好評を博す。特に富士山が2013年6月下旬に世界遺産登録が決まると、観光客が急増し、自由席は立客が発生するほどにぎわっていた。

しかし、車両の老朽化が進み、2014年2月10日をもって2002号編成が廃車。代替として元小田急電鉄20000形RSEを購入し、"2代目〈フジサン特急〉8000系"として、同年7月12日から営業運転を開始した。以降は"〈フジサン特急〉新旧そろい踏み"が続いていたが、"3代目〈フジサン特急〉"としてJR東海371系の購入が決まり、2015年度中に2001号編成も退く予定だ。

■「1両単位」で引退発表も

完全な引退ではないが、2015年1月10日に銚子電気鉄道1000形のデハ1002がラストラン、2014年度中に熊本電気鉄道5000形の5102Aが現役を退く予定だ。どちらもホームページでプレスリリースを出しており、地元だけではなく"全国から多くの人々に来てほしい"という願いが込められている。いずれの車両も残り1両となり、「乗るなら今でしょ!!」という状況だ。

鉄道事業者は規模の大小に関係なく、車両のデビューと引退などは話題性があり、"相当数のレールファンが来てくれるイコール増収"という期待もある。

少子高齢化と人口減少が目に見えている今、特に中小私鉄や第3セクターのローカル鉄道では、路線の永年存続に「向けて」ではなく「賭けている」。20世紀に比べ、イベントの開催、臨時列車の運転、田んぼアートなど、"乗ってくれるための話題作り"に懸命なのだ。

私は"鉄道そのものが観光地"であってほしいと心から願う。

Yahoo!ニュース個人より転載)

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