北朝鮮で、映画は政治思想を啓蒙、宣伝する役割を担う。だが、作り手たちに近づいてみると、そんな画一的なイメージではとらえきれない豊かな表情があった。
シンガポール人のドキュメンタリー作家が、北朝鮮の映画俳優養成学校や撮影風景に2年越しで密着して撮影した作品「シネマパラダイス★ピョンヤン」は、全体主義国家の公式見解のすき間から、人間らしさが垣間見える映画だ。
■反日映画に身が入らないエキストラたち
ここで登場するのは主に3人の人々だ。故・金正日総書記の信任が厚いピョ・グァン監督、平壌演劇映画大学に通う男子学生ウンボムと、女子学生ユンミ。
(C)Lianain Films
日本の植民地時代の祖父母の受難を聞いて育ったピョ監督は「日本人は人間ではない、獣です」とにこやかに話す。軍事をあらゆるものに優先させる北朝鮮の「先軍政治50周年」記念の大作を任され、日韓併合直前の1907年、日本の圧力のもとで軍隊が解体される場面を撮影するが、軍から派遣された大勢のエキストラの若者たちは、何度やっても真面目なシーンでニヤニヤ薄ら笑いを浮かべてばかり。監督が顔を真っ赤にして「祖国を奪われたんだぞ!笑うな!涙を流せ!」と叫んでも、テンションは一向に上がらない。
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演劇映画大学に通うユンミ(中央)は科学者の父(左)を持つ。「娘も科学者に」との父の願いをよそに、ユンミは演劇映画大学を勝手に受験して合格する。ただ、ぽっちゃり体型のユンミはダンスが苦手。今日も先生から「おなかの肉が邪魔よ!もっと痩せなさい」と叱られるが、ダイエットは一向に身が入らない。
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国民的大女優の母と、映画監督の父を持つウンボム(左)は「他国では自分の名声のために俳優をしますが、我が国では将軍様に喜びを届けるのです」と目を輝かせる。「いい俳優になれば愛国者だ」と母の期待も高いが、短編映画の実習では「声が軽すぎる!」と監督の学生に一喝される。演技はあまりうまくない。
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シンガポール出身のドキュメンタリー映像作家、ジェイムス・ロン(前列左)とリン・リーは2008年、自身の作品がもとで「平壌国際映画祭」に招待される。そこで出会った北朝鮮の有名俳優から勧められ、北朝鮮の映画制作者たちを追ったドキュメンタリーを撮ることにした。
約9カ月の交渉の末、北朝鮮当局からの撮影許可が下りた。常に案内員が同行し、映像はその日のうちに検閲に供するという条件を、悩んだ末に2人は受け入れた。当初は「改装中」を理由に平壌演劇映画大学の建物にも入れなかったが、3度目の訪問では学生の家庭を訪問しての撮影もしている。
もちろん、北朝鮮でもトップクラスの特権階級に属する人々であり、これで北朝鮮のすべてを描いたわけではない。それでも、映画と政治宣伝の間に横たわるギャップを、北朝鮮の映画人の表情から読み取ることができる。次回作として、再び北朝鮮の映画界を撮影する交渉が始まっているという。
3月8日(土)よりシアター・イメージフォーラム(東京)ほか全国で順次公開される。
■「目の前に立つと、より複雑な現実がある」
ロン監督は公式インタビューやハフィントンポストの質問に、以下のように語っている。
――どうしてこの映画を撮ろうと思ったのですか?
2008年ですが、僕たちのドキュメンタリーを持ってピョンヤン国際映画祭に参加した際に、パーティーで一緒に座った人たちが映画労働者と呼ばれる業界の人たちで、「花を売る乙女」に主演をした方などもいました。その方に「何か北朝鮮で撮りなさいよ」と言われて「是非映画業界のこと撮りたいですよね」なんて冗談で返したんですよ。その後、いやそれはいい企画かもしれないな、と思って映画祭主催者に言ったんです。「映画業界のドキュメンタリーをぜひ撮りたいと思う」と。そしたらその後「どんなことやりたいですか?」と、メールが返ってきたので、そこからやりとりが始まりました。
――どんなものにしたいというイメージがあったんですか?
それまで北朝鮮については、ありがちな、というか、ニュースを通して見るイメージですね。南北間の緊張、核兵器の問題、援助を送るかどうするか……いわゆる外からの目線のことしか知らなかったですね。
やっぱり行く前というのは、ありがちなポスターとか歌い方とかを見て予想するわけです。ある意味、軽薄というか笑える、おかしいものを想像してしまったのですが、実際に自分が目の前に立つと、より複雑な現実があるわけですね。
――その複雑さというのは、具体的に、表情なのか、状況なのか
ユンミが歌っているシーンで、僕は朝鮮語がわからないので「この歌詞は何について歌っているの?」と聞いてみたのです。ユンミは「春の空気だ、雪だ」と説明したけど、実際に映像を見てみると「将軍様に導かれ……」というプロパガンダの曲なんですね。彼女は説明できなかったのか、あまりに自然だから言及すべきものでないのか、彼女がイデオロギーを消化できないのか。
彼女は受け身なのかとも感じさせるのだけど、その後のシーンでは、親が科学者になってほしいという意向に背くという、自分の強い意志で別のキャリアに向かったことがわかるわけです。中国や朝鮮で親の意向に背くというのは、個人主義の強い意志を要するものなので、彼女はそういうことのできる、非常に独立心を持った自立した子なんだなということも表れている。
――北朝鮮映画はどうしてもプロパガンダのイメージが強いのですが、万国共通の映画人らしさ、熱意が映画人から伝わってくることはありましたか?
映画労働者の皆さんは情熱はありますし、ある意味映画人としてのクレイジーさがあるのかとも思いますし、映画作りの大変さといったことは皆さんもわかってやっているわけですけど、彼らが自分たちを映画労働者と呼ぶのは、彼らの任務が将軍様に喜んでいただくため、そして彼らのミッションが、共産主義、社会主義のユートピアに人民を導くためということなんですね。そのことは非常にはっきりと言っていました。
■「好きに撮ることは不可能。その現実は受け止めるしかない」
――検閲や、案内員が必ずつくなど、厳しい条件下でガッカリすることはなかったですか
実際は、誰もいないで好きに撮ることは不可能なところですよね。その現実は受け止めるしかないし、今回私たちを招聘して、ガイドや通訳として動いて下さった方と、検閲局、秘密警察とかは所属が全く別ですよね。ですから、必ず付け回されているというより、いつも同行して下さっている人たちが監視しているというより、私たちの撮影がうまくいくように誠意を尽くしてくださったり便宜を図って下さった方々なので、監視とかコントロールをするよりもこの人たちなくしては撮れなかった。許可があれば好きに撮ってくださいということで、例えばピョ監督の撮影現場も、あれは「撮影現場撮れますよ」と言われれば、現場では好きに動いて撮れた。
――そして素材は毎日検閲する、と
毎日ガイドさんにハードディスクに落としたものを渡して、それに対するコメントが、当日のうちにリストとして返ってくるんですね。強制的に削除されるわけではなく、いつも「できれば消してほしい」と言われるだけで、「消せ」とは言われませんでした。
――どんなものがNGに?
映画にも出てくる故・金正日総書記の肖像画と停電の場面。肖像画は撮影角度が悪いということで、正面から撮り直してOKに。停電はこちらが「どこの国でもありうるじゃないか」と交渉して、我々の監視役としてついている案内員も一緒に当局を説得してくれました。
それから市民が自転車に乗っている場面。こちらとしては風景が美しいから撮ったけど、向こうは「発展していない国という印象を与える」のが嫌だったようで、かたくなにNGでした。
――1回の滞在はどれくらい?
撮影のための、最初の訪朝で撮影は2日だけでした。川辺で野外授業のシーンです。ちょっと人工的な感じがしましたね。「改修中だから学校は撮れません」と言われた。思うに私たちがどこの馬の骨かもわからないから、様子を見て信頼に足りうる人たちかテストされてたと思うんですね。2回目に訪問したときは7日間、最後に10日間撮る期間がありましたね。このときは実際大学の教室で撮りました。
――メインの登場人物が3人、指定されたのか?
今回映画がテーマでしたから、大学の演劇科の人、そして映画監督で実際に仕事の現場というリクエストを出して、その中で向こうが選んだようです。
学生を描いたというのは、演技を学んでいる人たち。つまりイデオロギーをきちんと伝えるよう教育されているプロセスです。人間的な側面と、イデオロギーを伝える媒体としてのギャップや緊張感という現実が、たぶん共感を呼ぶところだと思うのです。
■「ちゃんと『人間』というものが存在するんだ」
――ユンミさんの化粧や朝ごはんの場面を撮影していたが、彼女の日常をもっと切り取ってやろうといった隠れた意図や野心は?
北朝鮮の人の家を訪問できると言うのはそうそうあることではないし、ましてや朝と夜の2回訪問することができました。もちろんドキュメンタリー作家としてもっと彼女のことをより親密に、できれば彼女の生活を撮りたかったし、言えるのだったら、こういうことをしてくれと要望して撮ることもしたかったですね。ただやはり限界がありますし、家の中ではなくて、別のところで撮ったらまた違う展開になったかもしれないけど、制約の中で撮っていました。
――作り終えてみて、この映画でどういうことを伝えたい、と、今の時点で思いますか?
編集には時間がかかりました。と言うのも、こういった制約下で撮ったにもかかわらず、信憑性を持たせるドキュメンタリーをどうしたらいいかと悩みました。最終的に、こういう制約、条件下で撮りましたと先に見せた上で映像を見せることにしました。
あの政治状況下で暮らす人たちには自由がない、洗脳され、管理下で暮らしている、という先入観で見がちですが、実は私たちに近いと感じられるような姿を撮れた。こういったシステムの中で生活していても、独立した個人の考えも持てるし、ちゃんと「人間」というものが存在するんだ、ということを見せたかった。
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