ダンボルギーニに夢を込めた今野英樹さん 「女川のキラーコンテンツに」

社員6人とともにダンボルギーニを作り上げた今野梱包の今野英樹社長に、製作秘話を聞いた。

東日本大震災の津波で大きな打撃を受けた三陸海岸で、「復興のトップランナー」として注目を集めているのが宮城県女川町だ。2015年3月には、JR石巻線の女川駅が新駅舎で営業再開。12月からは駅前に「シーパルピア女川」というテナント型商店街が誕生。震災前に比べると人口は3割減少していたが、観光客の賑わいが少しずつ戻ってきた。

黒い屋根の小洒落た建物が軒を連ねる中に、子供から大人まで吸い込まれるように人が入っていく建物がある。石巻市の段ボール加工会社「今野梱包(こんのこんぽう)」のテナントだ。

入り口から覗くと、約4000万円もするイタリア製スーパーカー「ランボルギーニ・アヴェンタドール」の姿が……。と思いきや、これは等身大サイズの模型。強化段ボールで作られた、その名も「ダンボルギーニ」。派手なピンク色で染め上げられた姿に、子供たちが歓声を挙げている。

なぜこんな不思議な物体ができたのか。社員6人とともにダンボルギーニを作り上げた今野梱包の今野英樹社長(43、写真)に、製作秘話を聞いた。

■地元でも夢を描けることができると証明したかった

−−ダンボルギーニを発案したのはいつごろでしょうか?

「2012年ごろですね。我々の会社は内陸部なので津波の被害はなかったのですが、取引先が被災した関係で、90%近く仕事を失ってしまいました。震災から1年ほどたったとき、幼いころからの憧れだったランボルギーニのスーパーカーを我々の強化段ボールの技術で再現することを思いついたんです。段ボールで作るから『ダンボルギーニでいいんじゃないか』と命名して、3年がかりで製作しました」

−−なぜスーパーカーを再現しようと思ったんですか?

「一つは単純に私の夢だったからですね。当時は、祖父が創業した会社を父から引き継ぎ、結婚して子供もできた。気がつくと40代になっていた。そして血は譲れないもので、子供もスーパーカーが好きだったんです。そこで、子供のときの夢だった『ランボルギーニ』を、我々の今の環境や技術で作ることで地元の人々にも夢を見せることができるんじゃないかと思ったんです。

我々の会社がある石巻市桃生町という地域は、震災前からも若い人の流出が止まらない地域なんです。仙台や東京に行けば何か夢がかなえられるんじゃないかと、漠然とした期待で出てしまう人が多い。要因の一つと考えられるのは、自分の仕事や生活に手一杯で、夢を見せようとする大人もいないからだと思ってきました。だから、そういう若い世代に外だけではなく内側であるこの地域も見てもらうような活動をやってきました。

ダンボルギーニを作った一つの理由というのは、『外を向いちゃう人たちに、もう一度中を向いて欲しい』という思いだったんですよね。地元でも夢を描けることができると証明したかったんです」

−−女川町の商店街に置くことになったのはどういう経緯でしょうか?

「須田善明女川町長は、石巻高校の同級生で以前から声をかけられていました。女川は一度、白いキャンバスを描いたような感じで、新しい街作りが始まっています。そこでは石巻の人だからダメとか、女川でないとダメということじゃなくて、いろんなコラボが生まれたり、いろんな人のコミュニケーションが生まれるということで新しいことが生まれる町という構想ということで、我々にも声がかかりました。

ただ、町長からは『何か力を貸してくれ』とは言われたけど、小売りをしたこともないし、どうかなと思っていたけどダンボルギーニがネット上ですさまじい反響になったので、これは女川に置くしかないなと決断しました。今後はダンボルギーニを石巻生まれ女川育ちということで、女川のキラーコンテンツに永続的に磨きをかけて行こうと思っています」

−−震災から5年を振り返って、どう感じていますか?

「5年間を振り返ってみて、いろんな思いはあるんですが、ただ元に戻そうという動きだけでは何も生まないし、何の発展もないと思っています。震災当時は人と人とが手を取り合う感じがあったんですけど、時間が経つうちに、人間関係が希薄になっているように感じます。だからこそ、誰かの挑戦に対してみんなで後押しや同調するような風潮が必要です。企業同士でも、個人同士でも、やっていければ新しいプロダクトやコンテンツが生まれるようにさまざまなコラボができると理想ですね」

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