突然目の前に現れた「がん」という壁に、30代のマンガ家夫婦はどう向き合ったのか。
『今日から第二の患者さん がん患者家族のお役立ちマニュアル』は、「がん患者の家族」にスポットを当てた、ありそうでなかった闘病コミックエッセイだ。
大切な人が病気になるまで、自分が「看病する側」に回る可能性を想像できない人の心理、そして夫婦のコミュニケーションが劇的にうまく回るようになった秘訣とは?
家族として患者に寄り添う「第二の患者」として、看護の日々を体験した作者の青鹿ユウさんに聞いた。
(c)Kaori Sasagawa
「旦那さんが死ぬ展開のほうが面白い」と編集者は言った
――『今日から第二の患者さん』はpixivコミック ヒバナでの連載に漕ぎ着けるまで、かなり苦労されたそうですね。
オット君(マンガ家の神崎裕也氏)が大腸がんだと告知されてわりとすぐの段階で、「これ、マンガにしてもいい?」と彼に聞いて、「いいよ」と許可はもらっていました。
でもそれからは看病の大変さで私自身の精神状態もカッカしてしまって、ちょっとクールダウンしないとマンガに落とし込むのは難しいな、と感じていたんです。
だから本格的に描き始めたのは、彼のがん治療開始から3年半が過ぎてから。大腸がんが一応治ったとされる目安は5年なんですけど、大腸がんの再発率は3年をすぎれば緩やかになるらしくて(※部位やステージによって違いがあるため諸説あり)、そこを乗り越えたことがひとつのきっかけでした。
――治療開始から時間を経て、執筆されたんですね。
でもいざネーム(マンガの設計図)を描いて出版社に持ち込んでも、どこからも断られてしまって。出版社は4社、ウェブは3社に断られましたね。
コンペにも2回出したんですが、「患者本人じゃないからインパクトが弱い」という理由で落とされたこともありました。
『今日から第二の患者さん』より
これは『今日から第二の患者さん』には描かなかったんですが、某大手出版社の編集者からは「旦那さんが死んじゃったほうが面白いからフィクションにして。これじゃ誰も食いつかないからもっと過激に」と提案されたこともありました。
確かにそのほうがセンセーショナルなんでしょうけど、でも私はこれを経験してきたわけで、(オット君は生きているわけで)とてもじゃないけどそんなフィクションは描けるわけがなかった。
――それでも、めげなかった。
どうしても絶対に、この作品を描きたかったんです。自分のためだけじゃなくて、同じような立場になった人たちのために少しでも役立つ情報を届けたかった。
それともうひとつ、どちらかといえば男性にこそ読んでほしかったんです。だから持ち込みも青年誌を中心に回ったし、連載が決まった後も、どうしたら男性読者に読んでもらえるかをすごく意識しました。
――どんな工夫をされたんですか?
例えば、いわゆるコミックエッセイって背景があまり描かれていない作品が多いですが、男性の編集者さんから「男性は場面がわからないと物語に入りづらいので、背景は多めに描き込んで」と言われた経験があったので、『今日から第二の患者さん』では部屋の間取りや背景なんかはわりとしっかり描き込んでいます。治療の薬もわかる人が見ればすぐわかるように、正確に描いたつもりです。
なぜ多くの男性は「看病する側」になる想像をしないのか
――男性にこそ読んでほしかった理由とは?
これは男性編集者とのやり取りを通じて感じたことでもあるんですけど、男性って「自分は看病・介護してもらえる側」だとなぜだか思い込んでいる人がすごく多いんですね。「看病する側になる自分」を想像できていない人が多いように見えました。もちろん、すごく献身的に支えていらっしゃる男性が少なくないことも存じていますが。
でも、がん研有明病院(日本最大のがん専門病院)に行ってみると、当たり前だけど女性の患者さんもたくさんいるんです。乳がんや子宮がんのフロアは当然、女性ばかり。年齢もさまざまです。それなのに「俺は看病してもらう側だから」と思い込んでいるのは、ちょっと危ういんじゃないかなって。
例えば、家族の誰かが病気になると、妻や娘、お嫁さんといった女性に負荷がかかってしまいがちですよね。老夫婦の妻ががんになった、でも夫は家事ができない。そうなったときに荒れた実家のケアや夫婦の愚痴の受け皿は、娘の役割になっている、というケースも聞きしました。
『今日から第二の患者さん』より
――長いライフステージの中では、性別関係なく誰もが「看病する側」「される側」のどちらにもなりうる可能性がありますね。
それは誰もが想定しておいたほうがいいんじゃないでしょうか。それに病気になると、患者と家族が話し合って決めなきゃいけないことがたくさん出てくるんですよ。さらに患者本人の体調や生活もめまぐるしく変化するので、どうしても気持ちのすれ違いやケンカは避けられない。
私も夫婦のあいだでのコミュニケーションの大切さ、難しさは本当にもうすごく実感しましたね。
『今日から第二の患者さん』より
ホメ合う習慣で危機を乗り越えた
――コミュニケーションを円滑にするために、どんな工夫をしたのでしょう。
私たちの場合は2週間に1度、ふたりで話し合う時間を作りました。テレビを消して座ってください、みたいな感じで真面目に。バカみたいかもしれないけど、それくらい切羽詰まっていたんですね。このままだと離婚だぞ、という危機感があったんです。
もちろん、ストレスはがんによくないということは理解していました。でも長いスパンでつきあう病気だし、私ばかりがずっと我慢する状態ではふたりの関係が続かないこともわかっていた。
それで試行錯誤の末に行き着いたのが、お互いを「ホメ合う」習慣なんです。
――どんなことをホメ合ったんですか?
抗がん剤飲んだらホメる。ご飯作ったらホメる。休憩とったらホメる。お互いがやれたこと、やれてることを言葉にしてホメ合いました。
これは私からの提案だったんですが、彼は最初のうちは渋ったんですね。「ホメ合うのは恥ずかしい」「ちゃんと感謝してるから言わなくてもいいよ」「甘やかされて自分がダメになる気がする」とかいろんな理由を持ち出してきたんですが、「じゃあ、お試しで3ヵ月続けてみよう。それでダメならあなたの意見を採用するから」と私が主張して。やってみたら、結果的にうまくいったんです。
――ホメ合う生活を続けたことで、2人の関係性は変わった?
変わりましたね。最初のうちはお互い照れてたんですけど、お互いをホメ合うこと、どんなに当たり前のことにも「ありがとう」を伝え合うことを続けていったら、次第に怒り合うことが減って、ニコニコすることが増えて、関係性がすごくうまく回るようになりました。
それにホメグセがつくと、家の外でも気軽に他人をホメることができるようになるんです。そんな風にニコニコ落ち着いて人に接すると「精神的に安定している人」に見えるみたいで、頼られることも増えてきました。
ただ、これって「いっせーのせ!」で夫婦一緒にやらないとダメなんですよ。私だけが夫をホメてもダメ。「私が我慢して、彼をずっとホメていけばいつかうまくいくはず」というのでは絶対にうまくいかない。私が実際にそうだったので。なので、当たり前で照れくさい提案かもしれないけど、ないがしろにせずちゃんと足並みをそろえて実践してくれた彼に感謝してます。
(c)Kaori Sasagawa
遠方に住む義理の両親とはどう対応する?
――がん治療は家族の連携が大事ともいわれます。オット君の家族との連携はどうでしたか?
私たちの場合は彼の実家が九州で、かつお義父さんの体調も悪くて、頻繁に上京できない事情があったので、手術当日は立ち会ってもらいましたが、あとは婚約者(当時)の私に任せてくれた部分が大きかったです。私としては、そのほうが気楽だったのでありがたかったですね。
でも入院中は、毎日私から「お医者様と話し合ってこういう治療をすることにしました」「今日はこんな感じでした」という報告の電話を入れていました。病院からの帰り道にかけて「これから電車に乗ります」と5分でさっと報告するくらい。でもそれだけでもずいぶん安心してくださるし、信頼してもらえたんですね。遠方に年輩のご両親がいる人には、このやり方をお勧めします。
――先ごろ、4年半の定期検査で「異常なし」の結果が出たそうですね。ここまでの4年半を振り返ってみての気持ちは?
こんなにも仕事や未来について真剣に考えたことはなかったなぁ、と思える4年半でした。でもそれ以上に感じるのは、とにかく「話し合った」日々だったということ。
彼が「がん患者」に、私が「第二の患者」になったことで、人生で一番話し合った期間だった気がしています。今も病気になったこと自体に感謝はできないけれど、積み重ねのおかげで「この人とだったらこれからも大丈夫」という自信はつきましたね。
この先、彼のがんが再発しても、私が他の病気になっても、もし子どもを育てることになっても、「ちゃんと話し合えるんだから大丈夫」という気持ちで今はいます。
(取材・文 阿部花恵)
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