映像に刻み込む不条理への怒り、嘆き、叫び。監督・石井岳龍はなぜ、映画を撮り続けるのか

「映画の可能性って無限で"まだまだだな、全然やりきれていない"がたくさんあって」

壁の落書き、原子力利権で儲けようとする裏社会の存在、ライブハウスに立ち込めるタバコの煙ーー。

1982年、インディーズ映画界の「奇才」として注目され始めていた石井聰互監督が23歳で監督を務めた映画『爆裂都市/BURST CITY』は、80年代初頭のアンダーグラウンドの世界観を映しながらも、「現代」を予感させるシーンが次々と目に飛び込み、今もなお見返すたびに戦慄を覚える。

2010年に「岳龍」と改名した石井監督。これまでの監督作品を振り返る特集上映「自選シリーズ 現代日本の映画監督6 石井岳龍」が開催される中、石井監督に映画にかける想いを尋ねた。

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■ 「社会は『全体』を教えてくれない」

近未来、バトル地区場末のライブハウス「20000V」。もうもうと煙が立ち込めるすさんだ空気の中で、陣内孝則率いる「バトルロッカーズ」が客を煽るように激しい演奏を繰り広げる。そこに、遠藤ミチロウのバンド「マッドスターリン」が突然乱入し、「バトルロッカーズ」のメンバーをボコボコにしながら、拡声器でがなり続ける。ミチロウは豚の頭をステージから観客に投げつけ、さらに観客たちを狂気へと誘っていく―—。

映画『爆裂都市/BURST CITY』では、暴力的な疾走感で満ち溢れたシーンが次々と見る人の目を奪っていく。

石井監督は1976年『高校大パニック』で監督デビューし、1978年の『突撃!博多愚連隊』、1980年、大学の卒業制作として発表した『狂い咲きサンダーロード』、そして『爆裂都市/BURST CITY』で、ロックと映画、新たなバイオレンスムービーの旗手として80年代に名声を確立していった。

「(当時の自分の感情を)ものすごく掘り下げていくと、自分を超えた何か"荒々しいもの"。火山、マグマといいますか、そういうものが溜まってときどき噴射する。そのマグマって、地下水が温泉になるとかいい面もあるけど、時には天災も起こす。両面持っているんですよね。私の中にも、ものすごく荒れ狂った何か、衝動的な感情があって、若い時にはそれが全面的に吹き出していた。全世界的に、怒りがピークに達していた時代。僕もそうだし、周りもみんなそうだったと思う。ニューヨークとかロンドンのパンクムーブメントとか見ていて、『ああ、こうやって怒りを表現すればいいんだ』と」

当時の自分を突き動かしていたのは、「不条理さ」への怒りだったと石井監督は語る。たとえば、最高時速200km/hを出せるバイクがあって、限界までそのスピードを出してみたいと思う衝動は誰しも持つが、実際に公道を200km/hで走ることはできない。もの狂おしい、突発的な感情は誰しもが心の中に持っているのに、実際の社会は、解放させるようなものを与えておきながらもそれを許さない。

その悶々とした気持ちの吐き出し方がわからずにいた小中高時代の石井少年にとって、ターニングポイントとなったのが、欧米のカウンターカルチャー、そしてパンクロックと同様に、反体制、セックス、バイオレンス、ベトナム戦争などを題材にした「アメリカン・ニューシネマ」だ。

「衝撃を受けましたね。なんだこれはっていう。いままで決して大人が教えてくれなかった、教育システムが教えてくれなかったような。一面的な評価だけが正しいのではなく、ウラの面を含めて全体を見ないと絶対ダメなんじゃないか。『全体』を教えてくれない社会に非常に不条理、怒りを感じていました」

大学在学中に製作した『狂い咲きサンダーロード―Crazy Thunder Road―』がヒットしたことで、20代の石井監督はその思いを確かなものにする。

「中学生とか高校生たちとか、すごいものを作りたいと思っていた人たちが、とても熱い反応をして、"俺もやっていいんだ"と共感してくれたことが一番私にとってはうれしかった。映画の作り方は自己流、手探りだったのですが、そういう(共感してくれる)熱い人たちがいっぱいいましたね。『爆裂都市/BURST CITY』はヒットするかどうかとか考えていませんでした。どれだけ自分たちの気持ちを委ねるかしか考えてなかった。ある種の勇気を与える、やるのは俺たちだっていう、俺たちの番が来ようとしているのを感じていました」

爆裂都市/BURST CITY

もちろん、出演者にはこだわりがあった。

「音楽ものを作りたくて、好きな人にかたっぱしから声をかけていきました。現実にバンド活動しているザ・スターリン、TH eROCKERS、ザ・ルースターズという名前じゃなくて、『バトルロッカーズ』『マッドスターリン』という架空のバンドにデフォルメして。演技指導はなかったですよ。みんな勝手にやるんで、こちらはあおるだけ。そもそも、彼らに演技をしてもらおうとは思ってなかったですし。ミュージシャンなんで、実際の当時の音楽シーンの最先端を体現させようとしましたね。それをうまく映画に落とし込んでいければいいと」

しかし、監督自身は映画の出来栄えに満足していなかった。編集と仕上げ期間が以前に比べて短く、本人の中では未完成での上映となってしまった。

「きちんとやりきれていない。間に合わなかったんですよね、締め切りに。すごく中途半端な。みんな仲間も限界まで追い込まれてボロボロになってしまって。公開日もギリギリで私もそれ以上作り込むことはできなかった。それでも作品は永遠の未完成への残骸として残っている。自分の作品の創作力、構成力とか、持っているその物語を組み立てる力とかが当時は全く足りなかったんでしょう。『爆裂都市/BURST CITY』は、『戦艦ポチョムキン』がロシア革命を総括したように、時代を総括する映画を目指していました。時代の象徴として、全てを映画でやりきる。スペクタクルとしても時代の証言としても、そこに映っている人間たちの物語の重要性、映画としての完成度、すべてひっくるめて成し遂げたかったけれど、自分が妄想で勝手に突っ走っていただけだった。実力はないのに『俺はできる』って、やみくもなエネルギーだけはあったと思うんですよ」

監督自身は不完全燃焼だったと語るが、作品を今あらためて観ると、80年代初頭のアンダーグラウンドな世界の空気感が色濃く残った映像が次々と映し出される。

近未来都市の設定ではあるが、土埃や汗臭さがリアルに漂ってくるザラザラとした迫力。監督の目指していた世界観には到達していないのかもしれないが、結果的に"あの時代"を切り取った映像と音楽として今も熱く語りかけてくる。

爆裂都市/BURST CITY

■ 「本音を言うと、過去の作品なんてどうでもいい」

80年代中盤以降、日本はバブル経済となり、鬱屈した時代から、浮かれた狂乱の時代へと移りゆく。ロッカーズは82年に解散、陣内孝則はトレンディドラマなど俳優の仕事を広げ、ザ・スターリンは85年に解散。唯一残っていたルースターズもヴォーカルの大江慎也が精神的に不調をきたし、ギターの花田裕之がヴォーカルとなるが88年に活動停止に。結果的に、出演者たちの、まるで火花のような一瞬の煌きをも映像に残す結果となった。

以降、石井監督の映画作りは、やり残したこと、次に見えていること、よりその目標に近づくために自分がやれることを見据えていくようになったと語る。

「過去のことに満足できない。当たり前だと思うんですけれど、もっとできるはずだ、もっと自分と映画と世界とをつなぐ何かいい方法、いいやり方があるんじゃないかと探っています。だから本音をいうと、自分自身の創作にとっては過去の作品なんてどうでもいいんですよ。次の作品、また次の作品。今も新作、その次、さらにその次も作ってますけれど、なんとかして、自分にとっても観る人にとっても、大袈裟に言うと、人類にとっても。映画というものを通してしか表現できない何かを、見いだせるんじゃないかと模索している。もちろん観客の皆さんにとっては、旧作でも出会う時が常に新作です。仲間と刻み込んだ永遠の一瞬をできるだけ良い状態で保存して、残して、今回のような機会を作っていただいて、たくさんの方々に観ていただく努力を続けるのは私の当然の責任と義務です。自分にとっての全体性はどこにあるのか、常に何か足りない思い、何かが欠落している。その欠落とはなんなのか。自分の心と映画との関係を掘り下げて、それを突き止めていきたいです」

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最近の作品では、直接的な暴力的表現はなくなっているとは言え、これまでの作品には石井聰互/石井岳龍の描く人間の怒り、嘆き、叫びが刻み込まれ、映像の一コマ一コマから、監督の想いや葛藤が伝わってくるようにも感じられる。改めて、自身の"生き様"をどのように映像に焼きつけてきたのかを尋ねてみると――。

「生き様なんて、そんな立派なものはありません(笑)。映画の可能性って無限で、"まだまだだな、全然やりきれていない"がたくさんあって。こんなに楽しいマジック、かつ重要なものはありません。その可能性をまだまだ全然探りきれてない、と思いつつ日々やっています。作りたいもの、表現したいものは絞りきれてはいるけれども、実現するのは難しい。人間が、人類が本来持っているはず、あるいはどっかまで持っていて忘れてしまったもの、あるいはまだ気がついていないもの、どんどん進化しているけれど逆に退化している、文明が発達して忘れてしまったもの、気がついてないものなどを掘り起こす作業を映画で成し遂げたい。体も弱ってきますから、どこまでやれるか知らないし、いつ突然死ぬかわからない。体力的に映画ができなくなったら、文章のほうで表現していくことも考えています。これからも、何か伝えたいことというか、今まで自分が掴んできたものを形にしてお見せしたい。映画は1人でできるものじゃない。俳優さんやスタッフ、自分に与えられた状況と、観客や映画館も含めて作るもの。そのなかで、自分にとっての全体性はどこにあるのか、何か常に足りない思い、何かが欠落しているとすれば、その欠落とはなんなのか。自分の心を掘り下げて、内面を追求しながらも、今まで自分がしてきたことは自分だけの財産じゃないと思うので、自分の掴んできたものを社会、そして次世代に還元しないと意味がないと思っています」

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■「わがままやってきた分、返していかないとバチがあたる」

そんな石井監督作品の12プログラム(17作品)を上映する「自選シリーズ 現代日本の映画監督6 石井岳龍」が3月25日(日)まで、京橋の「東京国立近代美術館フィルムセンター」にて開催される。3月21日(水・祝)には専用音響機器を設置した「PA轟音上映」が行われる。石井監督のトークイベントは21日(水・祝)。『逆噴射家族』(1984年)、『Angel Dust エンジェル・ダスト』、『五条霊戦記 GOJOE』(2000年)、『ソレダケ/that's it』(2015年)など、石井作品の全体像を多角的に振り返る。

「石井作品を大事だって言ってくれる方がいる限り、そういう方がいる限りは、(映画を)やりたいなっていうか。見えているものを出さないとやっぱり失礼だと思うんですよ、申し訳ないというか。いろんな方の力を借りているし、本当にわがままでやってきたんで。そのわがままをどうやって、精一杯に、たくさんの方々に有意義だと信じられるものにして返すかっていう。返していかないとバチがあたると思っています。それもまた自分勝手な妄想に過ぎないかもしれないですが」

6月30日には新作『パンク侍、斬られて候 / Punk Samurai Slush Down』が公開。主演・綾野剛、脚本・宮藤官九郎、原作は町田康。石井岳龍監督の模索してきたもの、新たに掴んだものを、圧倒的なその表現方法で観せてくれるのを楽しみにしたい。

石井岳龍(いしい・がくりゅう)1957年1月15日、福岡生まれ。日本大学芸術学部在学中に映画制作集団「狂映舎」を設立し、8mm映画『高校大パニック』(1976年)『突撃!博多愚連隊』(1978年)などで一躍注目される。その後の『狂い咲きサンダーロード —Crazy Thunder Road−』(1980年)、『爆裂都市/BURST CITY』(1982年)ではパンクロックの衝動を映像にまで昇華させるかのような独自の作風で多くの熱狂的ファンを生んだ。海外でも高い評価を得た『逆噴射家族』(1984年)の後は、ミュージックビデオや実験的短篇作品も数多く製作。劇場映画に限らず、「体験的な映画」を目指し、常に新たな表現を追い求め続けている。その他の主な劇場用監督作品には、『Angel Dust エンジェル・ダスト』(1994年、バーミンガム映画祭グランプリ)、『水の中の八月』(1995年)、『ユメノ銀河』(1997年、オスロ映画祭グランプリ)、『五条霊戦記 GOJOE』(2000年)、『ELECTRIC DRAGON 80000V』(2001年)、『生きてるものはいないのか』(2012年)、『シャニダールの花 The flower of Shanidar』(2013年)、『ソレダケ/that's it』(2015年)、『蜜のあわれ』(2016年)がある。2006年からは神戸芸術工科大学教授として映像教育にも従事している。

「自選シリーズ 現代日本の映画監督6 石井岳龍」

期間:2018年3月13日(火)〜25(日)

会場:東京国立近代美術館フィルムセンター 2階大ホール

住所:東京都中央区京橋3-7-6

電話:03-5777-8600(ハローダイヤル 8:00~22:00)

料金:当日券一般520円、高校・大学生・シニア310円、小・中学生100円

※PA轟音上映の回当日券一般1,050円、高校・大学生・シニア840円、小・中学生600円

前売り券はチケットぴあにて販売

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