シーランド公国の“建国”から51年。史上初めてイギリスへの遠泳に成功

テニスコートと同じ広さ、自称「世界最小の国家」。知られざる歴史に迫る

2018年9月2日、「世界最小の独立国家」を自称するシーランド公国が独立宣言をしてから51年目を迎えた。

シーランド公国の雄姿(同国のFacebookより)
シーランド公国の雄姿(同国のFacebookより)
Facebook/PrincipalityOfSealand

幅は9メートル、長さ23メートル。テニスコートと同サイズで、バチカン市国よりも小さな「国家」だ。法廷闘争、クーデター、国土の半分が焼失する火災といった困難を乗り越えて、イギリス沖に健在だ。国連には加盟しておらず、世界中で承認している国は一つとしてないが、8月20日は水泳選手が史上初めて対岸のイギリス本土への遠泳に成功したことで注目を集めた。

「建国51周年」を機に、シーランド公国の知られざる歴史を紐解いてみよう。

海賊放送の拠点に。イギリスは裁判に出たが...

時は第二次大戦中にさかのぼる。ドイツ軍の侵攻を食い止めるためにイギリス軍は、ドーバー海峡の近くに複数の海上要塞を建設した。これらはマンセル要塞と呼ばれ兵士が常駐していたが、戦後になって無人化していた。

そこに目をつけたのが、「海賊放送」たちだった。1960年代当時、イギリスには民放のラジオ局はなく、公営放送のBBCでは、ポップミュージックの放送は1日に45分しか流さず、人々の不満がたまっていた。そこで公海上の船舶から電波を流す、政府非公認のラジオ局が次々と開設された。やがて、マンセル要塞も「ラジオ局」として利用されるようになっていた

テムズ川河口のマンセル要塞「ノック・ジョン・タワー」。戦時中の様子(現在のシーランド公国とは別の要塞)
テムズ川河口のマンセル要塞「ノック・ジョン・タワー」。戦時中の様子(現在のシーランド公国とは別の要塞)
Wikimedia

そんな海賊放送の一つに「ラジオ・エセックス」があった。運営者は、元イギリス陸軍少佐で漁師のパディ・ロイ・ベーツだった。1965年から、テムズ川河口にあるマンセル要塞「ノック・ジョン・タワー」(上写真)を占拠して放送開始。しかし、この要塞はイギリスの領海内にあるという政府の訴えを裁判所が認めたことで、ロイ・ベーツは罰金刑をくらった

しかし、彼は諦めなかった。1966年のクリスマスイブ、領海外にあるラフス・タワーに上陸して占拠。ここで海賊放送を始めた。これが現在の「シーランド公国」だ。サフォーク州の海岸から11キロ離れたところに建設されたこの要塞には、戦時中は150〜300人もの兵隊が駐留していたという。

イギリス政府も手をこまねていたわけではない。当時20局はあると言われた海賊放送を一掃するため1967年8月14日に「海洋放送法」を施行した。領海外からの放送も取り締まることになった。またしても危機。そこでロイ・ベーツは弁護士と相談して妙案を編みだした。

「シーランド公国」の国旗を掲揚して建国(公式サイトより)

法律施行19日後の9月2日、自らロイ・ベーツ公と名乗った上で彼は、「シーランド公国」の建国を宣言したのだ。この日は一緒に上陸した妻ジョアンの誕生日であり、彼女には「プリンセス(公女)」の称号がプレゼントされた

イギリスは強制的立ち退きのために裁判に訴えたが、1968年11月25日の判決では、シーランド公国がイギリスの領海外に存在することから、司法の管轄外とされた。ロイ・ベーツ公はこれを「シーランド公国が事実上国家として承認された」と喜び、7年以内には独自の憲法や国歌を制定した。

「シーランド公国」の位置。1987年以前はイギリスの領海外(Wikimediaより)

クーデターの勃発

1978年に、ロイ・ベーツ公はカジノの運営を計画し、西ドイツの投資家アレクサンダー・アッヘンバッハを首相に任命した。7000万ドルのホテルとギャンブルの複合施設を建設しようという壮大な計画だった

ところが、アッヘンバッハは利益を独占するためにクーデターを画策。仲間たちとともに、モーターボートやヘリコプターでシーランドを急襲した。ロイ・ベーツ公を国外追放、息子のマイケル・ベーツ公子(現在の公)を人質に取った。マイケル公は当時の様子を「4日間、食糧も水もない状態で私を閉じ込めた。彼らはテロリストだった」と振り返っている

イギリスへと渡ったロイ・ベーツ公は、元軍人のツテを生かして約20人の同志を募ってヘリコプターを使った奪還作戦を実行。シーランド公国を取り戻したという。

彼は戦争捕虜としてアッヘンバッハらを拘束した。ドイツ政府はシーランド公国に直接外交官を送った結果、囚人は解放された。この外交交渉についてロイ・ベーツ公は「ドイツがシーランド公国を、事実上承認した」と主張したという。

データ・ヘイブンとして活動

ロイ・ベーツ公(左)と、妻のジョアン公女
ロイ・ベーツ公(左)と、妻のジョアン公女
sealandgov.org

建国から30年が経過した2000年代。インターネット時代になって、シーランド公国は、にわかに注目を集めることになる。同国にサーバーを置くことで、国家による検閲を受けない「データ・ヘイブン」として利用しようというのだ。

アメリカ人のライアン・ラッキーがシーランド公国に移住してサーバーを設置。 政府と共同で、ヘイブンコー社を2000年に設立した。

同社は、児童ポルノ、スパム、悪意を持ったハッキング目的でのサーバーの使用は禁止していたが、その他のあらゆるコンテンツを許容すると告知した。シーランド公国は世界貿易機関(WTO) などに加盟していないため、国際的な知的財産法は適用されないと主張していた

アンチウイルスソフト「ノートン」の取材によると、コンテンツのホスティングの件で議論となり、ラッキーとシーランド政府は衝突して物別れになった。2008年にヘイブンコー社は業務を終了した。

その後、ラッキーはセキュリティ企業に転職したが、ここも論争の的になった。この企業が、イスラム過激派「IS」のサイトをホストして保護しているとして、ハッカー集団「アノニマス」から非難されているという。

国土の半分が焼失

炎上するシーランド公国
炎上するシーランド公国
sealandgov.org

ヘイブンコー社と訣別する2年前、シーランド公国では国土の半分が焼失する火災が起きていた。

2006年6月23日、老朽化した発電機から火災が発生し公国が半焼。ロイ・ベーツはこのとき国外に住んでいたため無事だったが、国土は壊滅状態に陥った。2日後にはベーツ夫妻が国土に戻り、私財を投じて国土の再整備をした。7月末には発電機や焼失した配線系統の復旧が完了し、公国が存続することができたという。

資金不足に陥ったシーランド公国は2007年1月、6500万ポンド(当時のレートで約148億円)で国全体を売りに出したと報じられた。なお、あくまでも国家の主権は「売り物」ではないため、シーランド公国側では売却ではなく、譲渡という表現が用いられた。

これを受けて、BitTorrentの検索サイトを運営するスウェーデンの「パイレート・ベイ」が買収に名乗りを上げたが、シーランド公国側に拒絶され断念したという。

「ジョークではなく、100%真剣です」

シーランド公国はネット通販も手がけており、人気商品は同国の貴族の称号だ。「卿」は30ポンド(約4000円)、「伯爵」は200ポンド(約3万円)、「公爵」は500ポンド(約7万円)で販売している

2006年11月にフジテレビ系のバラエティ番組「ザ・ベストハウス123」でも取り上げられた際には、西川きよし爵位を購入し、「西川卿」になっている

このように注目を集めていたシーランド公国だが、アルツハイマー病だった創設者のロイ・ベーツ公は、2012年10月9日に91歳で死去した。同日、「摂政」を務めていたマイケル・ベーツ公太子が父の後を継ぎ、2代目シーランド公に即位した。

普段は沿岸のエセックスで漁業を営んでいるマイケル公。彼は2016年、NBCニュースのインタビューで次のように話した。

「世界最小の独立国家です。過去50年間、イギリスからの完全独立と自由を得ています。ジョークということは全然なく、100%真剣です」

イギリスまで遠泳に成功

2018年8月20日に水泳選手のリチャード・ロイヤルさんが初めて、シーランド公国から対岸のイギリス本土まで泳ぎぎった。約12キロの距離を3時間29分かかったという。

地元紙の「ハル・デイリーメール」によると、ロイヤルさんは「シーランド公国から対岸まで泳いだ最初の人間になれて、うれしい。公国に興味を持って数十年、遠泳プランを2年かけて考えました」と話している。

遠泳を成功させてシーランド公国の国旗を掲げるリチャード・ロイヤルさん(中央)
遠泳を成功させてシーランド公国の国旗を掲げるリチャード・ロイヤルさん(中央)
Facebook/sealandswim

【参考文献】

吉田一郎「国マニア―世界の珍国、奇妙な地域へ! 」(交通新聞社)

武田知弘「ワケありな国境―教科書には載っていない! 」(彩図社)

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