アート&カルチャー
2018年10月18日 10時11分 JST | 更新 2018年10月18日 10時15分 JST

謎のストリート・アーティスト、バンクシーがシュレッダー事件に秘めた真の狙いとは?

どんなメッセージを送っているのか。バンクシーの過去の作品もみながら、考えてみたい。

<シュレッダー事件>

カーン! 1億円で落札!その途端、 あれよあれよと中の絵が ずれ落ち、シュレッダーにかけられたように、短冊状になった。ロンドンの老舗のオークションハウス、サザビーズでの出来事だ。 会場の人々は口をあんぐり。ニュースは世界中に広がった。ポップアート作品がはまった額縁には、予め機械が仕組まれていたという。

この作品を作ったのは、イギリスの著名なストリートアーティスト、バンクシーだ。 彼は素性を隠し、ゲリラ的な手法で社会を皮肉る作品をつくり、世間を騒がせる。批判や嘲笑の対象は、警察・王室・軍事国家・商業主義など社会的権威や現代社会の負の部分だ。実は、オークションハウスや美術館も彼の標的になる。でなきゃあ、こんな人をバカにした作品を創ったりしないだろう。でも、いったい、なぜ美術館やオークションハウスが批判対象になるのだろう?どんなメッセージを送っているのか。バンクシーの過去の作品もみながら、考えてみたい。

INSTRAGRAM/BANKSY
落札の瞬間、シュレッダーで裁断されるバンクシーの作品

<愛に投票しよう>

2018年夏、伝統と権威ある英国王立芸術院(Royal Academy of Arts)で、恒例の「夏の展覧会(Summer Exhibition)」が開かれた。ここでは当院の会員である世界的に有名なアーティストから日曜画家の作品までが隣り合わせに展示され、市民も気軽に 作品を購入することができ、その開放性が人気の的でもある。設立250周年でもあるこの年は、いつにもまして祝祭的な雰囲気で満ちていた。

鮮やかな黄色の展示壁に、天井から床まで壁一面に平面作品が所狭しと並ぶ。そこに、ひときわ目をひく作品がある。赤の地に「Vote to L ○ve」という白文字がデカデカと書かれている。その○の位置にある文字を隠し読めなくしているのは、遊園地などで売っているようなハート型の風船だ。エンターティンメントの楽しいイメージとは裏腹に、風船は薄汚れ、絆創膏がベタベタ貼られ、痛々しい。

謎のストリート・アーティスト、バンクシーがシュレッダー事件に秘めた真の狙いとは?

「夏の展覧会」が一般的な美術館展示と違う点は、作品の脇に添えられる解説ラベルがないことだ。だから、タイトルもアーティスト名もわからない。商業的な画廊のように、売れた作品の横には赤丸の印がつく。傷ついたハートの作品にもラベルがない。

もう少し作品を注意深くみてみると、 下部に「EU Referendum(EU 国民投票)」とある。イギリス人なら、すぐに、2016年に実施されたEU 離脱を巡る国民投票を思いおこすだろう。投票結果は国内外を大いに震撼させたし、現在もイギリス社会の行く末が案じられている。 この作品は 、「離脱」の旗を振ったUKIP(イギリス独立党)のキャンペーン・ポスターをリサイクルしたものなのだ。

つまり、ハート型の風船が隠している文字をつなげれば、「Vote to Leave (離脱に投票しよう)」と読めるはず。それを、ハート型風船を加えることで、Loveと読み替えさせ、「愛に投票しよう」と謳っているわけだ。あの国民投票はイギリス社会を分断させた。同士が傷つけあう出来事ではあったけれど、愛でもって社会を癒そうとのメッセージなのかもしれない。なんとユーモラスな言葉遊びだろう。

ウィットの効いたこの作者はいったい誰? 周囲から声がもれる。

「バンクシーっぽくない?」「え? まさか? でも、美術館の中で?」

人々は何を戸惑っているのか? 覆面で神出鬼没のアーティストがこの美術館に現れた? 街を活動の舞台にする過激なストリート・アーティストが、伝統的な美術館の中でちんまりと自分の作品を展示するだろうか?というのが、 彼らのリアクションなのである。

作者名を確認する手がひとつある。美術館の入り口で手に入る作者名・タイトル・素材・価格が表示されたリストを手にとって、参照番号と照らし合わせればよい。

「作品番号221、、、あ、やっぱり!バンクシー!」「え?本物?」「 これポスターのリサイクルだから、あんまり"ホンモノ"とか意味ないんじゃないの?」「だいたいバンクシー自身が覆面なんだから、本人かどうか特定しようがないし」「タイトルはVote to Loveだって。彼らしい政治的なメッセージね」「価格がついてるよ。£350M(約525億円)? 冗談じゃない!こんなリサイクルに! 」「何言ってるの。それこそがバンクシーじゃない!」

そんな 反応からも、「バンクシー」というアーティストと「美術館」という社会文化施設の奇妙な関係が見えてくる。

吉荒ゆうき
2018年 ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ 「夏の展覧会」会場:著者撮影

舞台を別の美術館に移そう。イギリスを代表する美術館「テート・ブリテン」。2003年、浮浪者に扮したバンクシーが現れ、勝手に展示壁に自分の作品を掛けて、そのまま退出した。 数時間、誰も気付かなかった。バンクシーの仕業だとわかったのは、作品の横にあるラベルに「Banksy」とあったからだ。 この時もテレビや新聞のニュースになった。

テート・ブリテンに掛けられた当の作品は ジャンクショップで売っているような安物の風景画の上に、直接、 警察が事故現場などに利用する「立ち入り禁止」のテープを貼ったものだ。まず、美術館にゲリラ的に自分の作品を展示するという行為自体が、公的な場の秩序を乱すタブーに違いない。

だが、その作品がいわんとしている視点から彼の行為を読み直すと、両方とも「秩序の境界線」をテーマにしている事がわかる。美術館 に自分の作品をかけることが、社会的ルール を超えていると非難されるならば、人間社会が自然に対して身勝手に「ヴァンダリズム=破壊行為」をしている現状はどうなのよと、つきつけてくる。

同じ土俵で議論できることでは、もちろんない。だが、ショッキングな事件を起こして、社会の注目を引き寄せ、最終的に自分のメッセージを社会に伝え、人々を喚起させるというのが、バンクシーの手口なのである。だが、美術館側からすれば、顔に泥を塗られたような侮辱に他ならない。バンクシーは美術館にもチクリと矛先を向けているのだ。

歴史を振り返れば、美術は王侯貴族や教会のものであり、まさにパワーと富の象徴だった。近代になって美術館というものがつくられ、一般市民が触れられるようになっても、本質は変わっていないのかもしれない。近年、ずいぶん親しみやすくなったけれど、美術館の高尚で近寄りがたいイメージは庶民にはまだまだ根強い。 美術館に行く人は高学歴で経済力のある人、行かない人はそうではない人という目に見えない壁があるようだ。美術館に入るものがアートとして社会的に認められる状況にも、この施設が纏った権威をみることができないか。

一方、ストリートアートにはそんな特権や排他性はない。作品をみるのは街に住み、街を歩く人々だ。ストリートを舞台にするバンクシーにしたら、美術館は権威の象徴以外の何者でもない。バンクシーは、隠蔽されたその パワーをアイロニカルにひっくり返して社会にみせつける。

<アートの境界線>

ここまでくると、あなたはこんな疑問をもつだろうか? 

「確かにバンクシーは人気者。でも、王立芸術院って、 イギリスを代表する伝統的な美術館でしょ? しかも、記念すべき大展覧会。そこにストリート・アーティストのはずのバンクシーが 正々堂々と展示されたってことは、バンクシーは結局その権威に取り込まれちゃったってわけ?」

いや、そうじゃない。今回だって、バンクシーの狙いに一寸の狂いもない。むしろ、「夏の展覧会」の特性を逆手にとっている。プロフェッショナルからアマチュアまで、誰でも出品できる開かれた展覧会だから、バンクシーが自分の作品を審査会に提出したのは、全うな行為だ。だが、審査を通らなければ展示されない仕組みがある。審査とはアカデミー会員による選り分けに他ならない。

当たり前の手続きだと思われるかもしれないが、実はここにもさきほどの美術館の政治的パワーが潜んでいる。ここに展示されれば、「アート」として社会に認められ、美術市場進出の切符を手にいれることができる。つまり、アカデミー会員の審査員だけが、何が「アート」かを決める特権をもち、美術市場をコントロールできるというわけだ。

バンクシーが提出した「愛に投票しよう」は、伝統的な作品のように、訓練をつんだ職人画家や美術大学の出身者が作りこんだ作品では毛頭ない。もともとは公道に設置されたポスターに少し手を加えただけのファウンド・オブジェに他ならない。

それを知りつつバンクシーが作品を審査会に送った確信的行為は、1917年にニューヨークのアンデパンダン展にマルセル・デュシャンが男性便器に架空の人物のサインをし、「泉」とタイトルをつけただけの作品を応募し、社会を騒がせた事を思い出させる。百年前、デュシャンの作品は審査に通らなかったが、センセーショナルな議論を巻き起こした。議論を起こす事、それ自体が、実はデュシャンの狙いだった。それは、他でもない「アートとは何か」という根源的な問いかけだ。あるいは、美術界がもつパワーに対する皮肉な挑戦でもあった。美術館の中に入れば、「アート」になるのかと。

Wikimedia
'泉'(1917)マルセル・デュシャン レプリカ テート・モダン所蔵

'泉'(1917) マルセル・デュシャン レプリカ テート・モダン所蔵

バンクシーによると、風船の作品は、 王立芸術院の審査会に偽名で提出したところ、落ちたのだそうだ。だが、1ヶ月後、審査会の代表のアーティスト、グレイソン・ペリーからメールが届き、何か出品してくれないかと依頼があったという。そこで、一旦は落選した当の作品を再び提出したら、展示される結果になったのだと。21世紀のストリート・アーティストが、審査する側の権威を茶番にかけ、再び、アートとは何かと根源的な問いをつきつけたのである。

振り返って、「シュレッダー事件」。オークションハウスはまさに裕福層が、値を釣り上げてモノを売買する 商業主義の象徴的な場だ。今回、最高値がついた途端、肝心の作品が短冊になった。ここでも、バンクシーは権威あるオークションハウス自体やその商業主義社会をブラックに笑い飛ばしつつ、アートの価値を 問うた。バンクシーによると、この作品には数年前から自動シュレッダー装置がとりつけられていたそうだ。サザビーズが予めそれを知っていたかどうかは明らかではないが、「オークションハウス自体がバンクシーされた」とコメントした。はじめこそ口あんぐり状態の会場からは笑いがでた。ちなみに、それを買った女性は拒絶しないで、正式に購入したそうである。