アート&カルチャー
2018年12月30日 11時28分 JST | 更新 2018年12月30日 11時29分 JST

「コミケカタログ」の40年を振り返る “ペラいち“から“鈍器“へと進化

コミックマーケットの一般参加者はここ数年で60万人に近い数を記録。そんなコミケ参加者の必須アイテムが、コミケの"通行手形"ともなっている「コミケカタログ」だ。

『コミケカタログ』の40年 "ペラいち"から"鈍器"へと進化した「コミケ通行手形」

 世界最大規模の同人誌即売会『コミックマーケット95』(C95)が29日、東京ビッグサイトで開幕した。35,000もの同人サークルが参加し、一般参加者の数はここ数年で60万人に近い数を記録。そんなコミケ参加者にとって必須アイテムとなっているのが、コミケの"通行手形"ともなっている「コミケカタログ」だ。ここには、サークルの情報はもちろん、会場のMAPやお得な情報が掲載されており、その時代々々のオタクカルチャーの流行を明確に表す貴重な資料ともなっている。今ではその分厚さ(約3cm)から"鈍器"などと形容されているが、40年以上にわたるコミケ史を紐解けば、ペラ1枚の時代もあったのだという。そこで、1979年12月23日、大田区産業会館で開催されたコミケ13のカタログを実家で発見した、東條の人(@Ayukawa_Reiji)さんに、コミケカタログとオタク文化の変遷について話を聞いた。

■時代で移ろう同人文化「化粧箱入りやダンボールのような厚紙の同人誌もあった」

 コミケ史における"歴史的資料"とも言うべき、コミケ13のカタログを見つけた経緯について東條さんは、「5年前、実家の両親の部屋へ行ったとき、たまたま床においてあったのを見つけたものなんです」と振り返った。小学3年生の時から母親に連れられてコミケに参加していたという東條さんだが、「コミケカタログ13」を見たときには新鮮な驚きがあったという。

 「個人的に一番面白いのは、コミケの開催情報が『シティロード』や『ぴあ』といった情報雑誌に載っていた(もしくはそのように予定されていた)ということですね。次回のコミケ14が3月から4月という春に行われる予定になっていることも、今の夏冬開催のコミケとは違って興味深いです」

 東條さんの母親の回想によれば、「当時は一冊に複数の違うアニメの作品をまとめた、雑誌のような同人誌もよくあった」とのこと。それを母親は"ごった煮の世界"と表現していたそう。また、当時は500円玉がまだなかったためにコミケが近づくと100円玉を貯めたとか、バブル期には"化粧箱入り"の同人誌や、ダンボールのような厚紙の薄い本もあったようだ。

■ノーマークのサークルが出す同人誌と出会えるのも"コミケの醍醐味"

 こうしたカタログの"変遷"について東條さんは、「コミケ13が開かれた1979年当時の参加サークル数は300足らずで、開催も12月23日の1日だけ。カタログは1枚のペラ紙で、サークル名だけの表示でした。ここから現在のような分厚い"鈍器"に成長していったというのは驚くべきことですし、40年という歳月の積み重ねを感じます」と説明。今では参加者から"宝の地図"と親しみを込めて呼ばれるまでになっているようだ。

 「"宝の地図"と呼ばれるのはカタログ本体より、カタログに付属しているサークル配置図ではないでしょうか」と東條さん。続けて「特に各参加者が目当てのサークルをマーキングした地図は、まさしくオリジナルの"宝の地図"と言って過言ではないでしょう」と力説した。

 参加者にもいろんな人がいるため一般化はできませんが...と前置きしつつ、「各ジャンルをまわって本を買いあさる私にとっては、この"宝の地図"はなくてはならないもの」なのだそう。何より、「事前にチェックしたサークルだけではなく、ノーチェックのサークルが出している本と出会えるのもコミケの醍醐味です!」と、コミケ愛を強調した。

■コミケカタログは、自分自身の"オタク史"でもある

 昨今はコミケカタログのROM版も販売されているが、紙ならではの触り心地や重量感、そしてページをめくりながら蛍光ペンでサークル配置図をマーキングしていくアナログな作業は、東條さんにとって毎回の楽しみになっているという。

 「コミケカタログの変遷はコミケの歴史そのもの。またある面からすればオタクの歴史であると言えるかもしれません。コミケカタログが示しているものは、横軸としてはその時々のコミケやオタクのあり方であり、縦軸としてはコミケやオタクの歴史、また参加者としての自分自身の歴史でもあるかと思います」

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