市川海老蔵が5代目團十郎と同じニックネームに。「白猿」に込めた思いとは?

2020年に「十三代目市川團十郎白猿」を襲名へ
市川海老蔵さん(左)と東洲斎写楽 が描いた市川鰕蔵(五代目市川團十郎)
市川海老蔵さん(左)と東洲斎写楽 が描いた市川鰕蔵(五代目市川團十郎)
時事通信社/Wikimedia

歌舞伎俳優の市川海老蔵さん(41)が、2020年に13代目「市川團十郎白猿」を襲名することになった。歌舞伎の興行を手がける松竹が1月13日、公式サイトで発表した

12代目が2013年に亡くなってから空席になっていた歌舞伎界を代表する名跡が、7年ぶりに復活する。

■「猿は人間に比べて頭の毛が3本足りない」という俗説から誕生

「市川團十郎」は、誰もが知っている江戸初期から続く名跡だが、末尾の「白猿」とはどういう意味だろうか。実はこれ、江戸歌舞伎の第一人者である5代目團十郎が、俳名として使っていたものだ。

俳名は、もともと俳句を詠むときのペンネームだが、歌舞伎役者が公私にわたって名乗るニックネームとして使われている。

5代目は1791年に名跡を息子の6代目に譲って、自身は市川蝦蔵(えびぞう)に改名した。このときに名乗った俳名が「市川白猿」だった。

團十郎と海老蔵」(学研新書) によると、5代目は「私が白猿と名付けたその心は、名人上手には家が三筋足らぬと申す意味でございます」と、口上(舞台挨拶)で述べたという。

祖父に当たる2代目の俳名「栢筵(はくえん)」と読みは同じだが、「猿は人間に比べて頭の毛が3本足りない」という俗説にならって、漢字は「白猿」と謙遜したのだった。

この口上は大評判となったが、5代目は「芝居ではなく口上で大入りになるというのは役者の恥」として、この項上を4日間でやめてしまったという。

■海老蔵さん「父や祖父にまだまだ足もとにも及ばぬ」

この「白猿」という俳名を、7代目と8代目の團十郎に続いて、海老蔵さんが名乗ることになった。海老蔵さんの父、12代目團十郎の俳名は「柏莚(はくえん)」だったので、読み方を合わせた格好だ。

松竹によると、海老蔵さんは「私も父や祖父にまだまだ足もとにも及ばぬ、これからもっと精進していこうという気持ちも含め、白猿を俳名として名のることにしました」と話しているという。

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