ミャンマー:障がいのある子どもたちのより良い未来を目指して

小学校への入学、何度も拒否されたけど...

AAR Japan[難民を助ける会]ミャンマー・ヤンゴン事務所では、障がいのある子どもたちが、自らの可能性を発揮してより良い人生を送ることを目指し、2001年から知的・身体的障がい児への支援 「ミャンマー子どもの未来(あした)プログラム」を実施しています。

障がい児の3人に2人が学校に通っていない

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歩行などに不自由がある、リン・タントくん(写真前列右)が通う学校の教室。この日はリン・タントくんの弟(写真前列左)も一緒に送り迎えをしました。

人口約5,028万人のミャンマーでは、障がい者は約231万人(人口の4.6%)で、そのうち障がい児は約23万人(子どもの人口の1.35%)です(国勢調査2014年)。ミャンマーの障がい児の置かれている状況については、2016年に国連児童基金(UNICEF)が報告書を発表しました。それによると、「障がい児3人のうち2人は学校へ通っていない」「ほとんどの学校はバリアフリー環境が整っていない」「医療従事者に向けた障がい児を診断するための基準がない」「障がい児のうち10人に1人は友だちがいない」「27%の障がい児は出生証明書を持っていない」と報告されています。障がい児への支援が絶対的に不足するなか、AARは障がい児へリハビリや教育などの支援を実施しています。

寄り添う支援 子どもの未来プログラムの2つの特徴

AARのヤンゴン事務所では、ヤンゴンに住む知的・身体障がい児約40名を対象に、定期的な家庭訪問を通した支援を行っています。この活動には、2つの大きな特徴があります。1つ目は、子どもたちの障がいや能力に合わせた支援を行うこと、2つ目は、20歳になるまで支援を継続することです。

障がい児といっても、手や足、飲み込む機能などの身体障がいや、知的障がい、発達障がいと、その症状はさまざまです。また、寝たきりの子や伝い歩きができる子、学校へ通うことができる子など、障がいの程度も一人ひとり大きく異なります。障がいのある子の可能性をより引き出すためには、一人ひとりの障がいの種別や程度、能力、家庭環境も考慮して支援を行うことが不可欠です。

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AARがリハビリ支援を提供する、アウン・チェー・ジン・チョーくん(写真前列中央)と家族。前列左端が中川善雄、前列右端はリハビリ専門家の大室和也氏(2018年3月13日)

障がい児への必要な支援は、その子の成長に応じて変わります。たとえば教育に関する支援では、学齢期に達する子どもには、入学を認めてもらうために、校長先生や市の教育担当者へ障がいについて繰り返し説明します。学校へ通い始めると、教室の座席の位置やトイレの利用に問題がないか確認して、手に障がいのある子には、筆記試験の時間を延長してもらえるように校長先生と話し合います。せっかく支援を受けて入学できても、新しく赴任した校長先生の理解を得られず、退学せざるを得なくなることもあります。そうした場合には、家族と話し合い、ほかの学校への入学や学校外で教育を受ける機会を模索します。

ミャンマーでは、障がい児のように社会的に脆弱な立場にあるほど、周囲の環境に大きく左右されます。子どもたちの成長を支えるには、1~3年間といった一時的な支援では限界があり、家族とともに成長を見守るような、きめ細やかで長期的な支援が求められています。

物をつかむ練習から 家族の懸命な介助

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理学療法士の現地スタッフ2名(写真前列右端、左端)と物をつかむリハビリをする、アウン・チェー・ジン・チョーくん(写真前列中央)。(2018年3月13日)

アウン・チェー・ジン・チョーくんは、先天性の障がいがあり、物をつかむことや支えなしで座ること、固いものを飲み込むことが難しく、普段はお母さんが介助しています。理学療法士の現地スタッフが、家庭訪問時にアウン・チェー・ジン・チョーくんにリハビリを行うほか、普段からリハビリを続けてもらうため、お父さんとお母さんへ自宅でできるリハビリを教えています。リハビリを重ね、日常生活のなかで一人でできることを増やすことが目標です。現在は、一人でご飯を食べることができるよう、手や指を使ったり、座った姿勢を保つ訓練を続けています。

小学校への入学、何度も拒否されたけど...

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学校へ通うリン・タントくん(写真左)とお母さん(2017年6月15日)

リン・タントくんは先天性の障がいにより、文字を書くのに時間がかかり、支えなしで歩くことはできません。AARが支援する前に、お母さんは3つの小学校を訪ねてリン・タントくんの入学について話し合いましたが、板書が難しいことを理由に断られました。お父さんもリン・タントくんの入学を諦めかけていたそうです。AARの職員がお母さんに同行し、校長先生や市の教育担当者と話し合いを重ねた結果、以前断られた学校のうち1校に入学することができました。リン・タントくんは、友だちができたこと、ほかの子どもたちと同じように詩を朗読できたことなど、その日のできごとをお母さんに話します。そのなかでも、授業で描いた絵を先生から皆の前で褒められたことがとても嬉しかったそうです。

お母さんは「リン・タントには、将来できるだけ自立して、もし何かあっても自分で乗り越えられるようになってほしい。そのために、学校教育を受けてほしい」と願っています。 2017年度、AARが支援した子どもたち33名全員が学校、障がい児デイケアセンター、自宅学習などを通して、教育の機会を得られるようになりました。

社会性を高めるとともに、親の孤立を防ぐ

教育やリハビリ支援のほかにも、子どもたちが少しでも社会経験を積む機会を得られるように、年に1回、日帰り遠足に出かけています。また、障がいについて学び、家族同士で経験を共有する機会を作ることを目的に、家族を対象とした講習会も行っています。ミャンマーではスマートフォンが普及し始めていますが、インターネットなどでも障がいに関する情報を得ることは難しく、障がい者や家族によるグループなどもありません。特に障がい児の母親は、悩みを相談できる相手もいなく、一人で悩みを抱えがちです。子どもの成長に大きく影響する、母親や家族への支えも不可欠です。2017年度は、遠足や保護者を対象とした介助講習会と衛生啓発講習会を1回ずつ開催しました。

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子どもたちや家族と一緒に日帰り遠足へ。左端は東京事務局員の梶野杏奈。(2018年1月7日)

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子どもたちや家族と一緒に、動物園や蘭園、湖があるテーマパークへ日帰り遠足にいってきました。バリアフリー環境が整っていないため、移動に苦労するときもあります。(2018年1月7日)

「お母さん、読んで」ター・オンマー・ワイちゃんの宝物

支援者の皆さまからお手紙をいただくことがあります。障がいがあると、同年代の子どもたちと比べて多くの人と関わる機会も限られがちです。子どもたちは、遠く日本に住む支援者の皆さまからの手紙をもらうと、とても喜びます。ダウン症のター・オンマー・ワイちゃん(12歳)は、手紙をもらったことを誇らしくしています。宝物のように、大切に机にしまっています。

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支援者の皆さまからのクリスマスカードを受け取った、ター・オンマー・ワイちゃん。お母さんへ何度も手紙を読んでほしいとお願いしたそうです。(2017年12月26)

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2016年度、クリスマスと新年に合わせて、支援者の皆さまから写真と手紙をいただきました。駐在員が現地へ持ち帰り、ター・オンマー・ワイちゃんへ渡しました。(2017年2月16日)

子どもたち一人ひとりに合わせた支援を継続する一方で、課題もあります。AARの現地スタッフが3人(理学療法士2名、ソーシャルワーカー1名)と少ないこともあり、一度に支援できる障がい児の人数が限られてしまいます。また、地域で障がい児を受け入れていくための働きかけは実施できていないのが現状です。ミャンマーでは障がい児を支える環境が整っていないため、子どもたちがより良い選択ができるようにと思っても、選択肢そのものがないことも多くあります。

AARだけでできることは限られていますが、ほかの障がい者支援団体と連携しながら、障がい児一人ひとりが可能性を発揮していけるように、これからも子どもたちやその家族に寄り添った支援を続けてまいります。

*1 国勢調査で把握できている限りの数値です。実態としては、数値はもう少し高い可能性があります。

【報告者】

ミャンマー・ヤンゴン事務所 中川 善雄

AAR Japan[難民を助ける会]

大学卒業後、国内の人道援助団体に約5年勤務。その後、国際協力の現場を希望しAARへ。2011年3月より2013年9月までタジキスタン駐在。2013年10月よりミャンマー・パアン事務所駐在。趣味はジョギング。神奈川県出身。

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