私が料理のうまい人を尊敬する理由

こんな風に料理を作れる人が、私が思う「料理のうまい人」だ。そして、そういう人は「仕事もできる」ことが多いように感じる。なぜか。それは、「ありもので何とかする」ということができるからだ。
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SSC via Getty Images

世の中には、料理のうまい人がたくさんいる。

ホームパーティをひらき、客人をもてなすための豪華な料理を出す。工夫をこらした創作料理を振る舞う。そういったものを作れる人は、本当にすごいと思う。

でも、私が個人的に「本当に料理がうまいなあ」と思う人は、そういった豪華な料理を作ったり、創作料理を生み出したりする人ではない。

私がイメージする人はこういう人だ。

「なんか、お腹が減ったなあ」

「そうだね、ちょっと冷蔵庫を見てみる。えーと、卵とご飯、あとほうれん草とレモンが少し、ハムの切れ端が少ししかないね」

「えー、それじゃ何も作れないね」

「まあ、とりあえずなにか作ってみる」

そして、出てきた料理は「ご飯の上にほうれん草とハムのオムレツが乗っていて、レモンの皮がちらしてあり、醤油がかかっている料理」だ。特に何というわけでもないが、温かく、素朴でちょっと気が利いていてオイシイ。

「これ、何の料理?」

「適当。とりあえず作ってみた」

「いやー、美味しいねこれ。」

こんな風に料理を作れる人が、私が思う「料理のうまい人」だ。そして、そういう人は「仕事もできる」ことが多いように感じる。

なぜか。それは、「ありもので何とかする」ということができるからだ。

仕事において十分なリソースが与えられることはまずない。大抵はデータも足りない、事例もない。やったこともない。人もいない。といった具合だ。

お恥ずかしながら、私はかつてそういう状況の時、あれが足りない、これが足りないと文句ばかり言っていた。

料理で言えば、エビフライが食べたいのに、パン粉がないといった状況にたいして、「パン粉がないから、エビフライは出来ないね」と勝手にあきらめているイメージだ。

でも、料理のうまい人はその辺りにあるコーンフレークを持ってきて、「これを衣にしよう」とか、ご飯を持ってきて、「潰して、衣代わりにできるかな」とか、工夫することを諦めない。リソース不足を理由にしない。

もちろん、そうやって出来た料理はいつも美味しいとは限らない。時には大失敗もあるだろう。しかし、そうやって工夫を積み重ねた経験は、確実に腕前を向上させる。

以前の仕事をしていた時、私が尊敬していた方は、「ありもので何とかする」ことに長けていた。営業のリソースが足りなければ、営業をしなくて済むように「問い合わせをもらうこと」に注力する。

社内に設計の経験者がいなければ、「以前の優れた設計」をお客さんに指摘していただいてカスタマイズする。

そうやって、「手持ちで何とかできる」ように工夫することは、「料理のうまい人」と重なる部分が数多くあった。

だから、私は「料理のうまい人」を尊敬するのだ。

・2014年5月7日 Books&Appsに加筆・修正

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