環境が変わったら鬱になった。だから考えるのをやめてみた。①

それは自分が想定していたよりも遥かに過酷だった。

I. 言葉とコミュニケーションについて

私は高校まで温室育ちだった。しかしその自覚はずっとあったので、自らのために環境を変えようと思い、一気に国から出た。今考えれば動きが大きすぎた。

高校を出るまで、狙ったポジションを外さなかった私は、それが当たり前だと思っていた。進学したアメリカの大学でも、人並みにやることやって大学生活を過ごすと思っていた。ところがどうだろう。一年の時にはひどいコミュニケーションカルチャーショックにやられた。(記事参照:https://www.huffingtonpost.jp/yuri-shinoda/texas_life_b_17699170.html

今の時代ネットで何でも見られるが、"コミュニケーションの流れや雰囲気"のような抽象的なものは、現地に行って感じないと分からない。また、アメリカの大学とそのコミュニティーは、外の社会とは違った枠組みの中に存在している。いくらアメリカのポップカルチャーや政治に精通していても、いざキャンパスの環境に入ると、さっぱりわからない部分が沢山出てくる。

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Yuri Shinoda

言語と文化は切っても切り離せない関係にある。

その土地の文化を理解するフレームが頭にないといつまでたっても"外国語を話せる"傍観者であり、"言語を操る"参加者にはなれない。いくら言葉が口から出ていても、その言葉が自分とはかけ離れたところで走り回っているような感覚を、私はずっと持っていた。表面上の話はできるけど、結局自分の思っていることは言えない、そんなもどかしさに悩まされた。

もちろん、コミュニケーションというものは、その土地に長くいればいるほど様々な面が見えてきて、経験を積むほど自分の進歩も感じられて面白い。しかし、"傍観者"であった自分は、その状態で自分の短所と向き合い続け、2年間足掻く事になった。それは自分が想定していたよりも遥かに過酷だった。

(次の記事へ続く)

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