ゲイの僕が、恋人と一緒にパルコの広告モデルになるまでの15年。何が変わり、何が変わらなかったのか。

「愛の多様性」を表現するために僕と恋人が選ばれたことに、どんな意味があるのだろうか。
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LOVEPARCO広告に出演したリードさん(左)と齊藤 聖さん(右)

はじめに

「名古屋パルコの広告で、モデルになる気はない?ゲイカップルとして」と彼氏のリードに聞かれた時はまだよく分かっていなかった。「それって脱いだ方がいいのかな?」なんて返事するほど現実味がない程に。よくよく話を聞いてみるとどうやら冗談でもないようで、結局、気の多い僕たちは簡単に乗り気になって話は進んでいった。

「愛の多様性」をテーマにした名古屋パルコの広告。確かに男同士の恋愛は、愛の多様性を表すのにぴったりかもしれないけど、企業の広告に現実のゲイカップルが出演するとは…。

15年前、自分がゲイであることにうっすら気づきはじめたとき、まさかこんな「公」の場所で、ゲイとして愛を表現するとは想像すらしていなかった。正直、いまだによく掴めていない。

一体世の中の人にとってゲイという存在はどう映るのだろう。ファンタジーのような風変わりな選択をした得体のしれないものなのか?ただ流行として囃し立てられ、通り過ぎゆく存在なのか?

少年期の僕

今から15年前、中学2年生の時にある男の子と仲良くなった。彼といると楽しすぎて細胞が熱くなる。離れていても彼からメールの着信が来るたび心臓が弾け飛ぶ。彼からの着信音を水戸黄門のテーマソングに変えていたので、着信して2秒ぐらいで彼からのメールだとわかって僕は気をおかしくしていた。そうこうしている内に自分の溢れんばかりの強烈にときめく心に違和感を覚え始める。

もしかして彼の事が好きなんじゃないのか。そんな疑念が生まれては恐ろしくなって追い払う事を繰り返し、自分を騙しながら霧の中に気持ちを隠し始めた。3年生になって彼とはクラスが離れて寂しくなったけど、それより前から自分の気持ちに蓋をしているうちに、彼に声も掛けづらくなり疎遠となった。

それからは女の子を好きになれるように必死になる。色んな女の子に声をかけて付き合おうと迫ったり、無理にエロ本を見てみたりしたが、どの努力も自分が男を好きであることの裏付けにしかならなかった。どの女の子とも友達以上の感情は生まれなかった。エロ本は男の体にしか興味が生まれなかった。その度に自分の感情を呪っては振り出しに戻る。治らないものだと諦めると、親父のパソコンで「ゲイ」というワードをコソコソと調べては履歴を消していた。

当時、同性愛の情報は僕を納得させたり安心させたりするようなものではなく、きっとどこかに僕と同じような人がいて声を出せないでいるのだろうと想像できる程度だったように思う。そして着々と自分が他の人とは違うだと認識していった。まず自分は男が好きであることは間違いなかったが、自分の性別が男なのか女なのかどちらともしっくりこない。当時のテレビ番組や社会ではゲイというものは笑いの種か、差別の対象。オカマと見下したり笑ったりしてもほとんど誰も心を痛めていなかった。そんななか誰にも相談できずに自分の性別や特性を受け入れるのにはまだまだ長い道のりが続いた。

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(左から中2の頃の僕、父、兄)

カミングアウト

初恋から4年後、18歳。「ヴァージン・スーサイズ」という10代の5人姉妹が次々に自殺を図るというストーリーのとても美しい青春映画を見たとき、彼女達の孤独や葛藤に自分が重なって見えた。誰にも自分の寂しさや痛み、本心を伝えられない苦しみ。このまま卒業とともにどこかへ逃げ出そうかとも思ったけれど、家族は理由もわからないまま、お互いの心が離れてしまうぐらいならカミングアウトした方がいいのではないか。たとえ愛されなくてもいいから、このまま暗闇で生きていくよりも打ち明けて楽になりたい。

最初は兄弟から始めて最後に両親に伝えよう。僕の兄弟は兄、姉、姉、僕の順番で4人兄弟だ。

兄弟から理解してもらえば最終的に親にサポートをしてもらいやすいだろう。なにより親に伝えるのは一番気が引けた。

兄は9歳上で、建設的な考えをもっている。家族で一番最初に伝えても取り乱したりしないだろうと思った。

話がある、といって兄を仏間に呼んだ僕。とてつもなく緊張したのを覚えている。「僕、ゲイなんだ」と伝えると兄は「おぉ、そうか。何か辛いことがあったら教えろよ」と言った。それで終わった。拍子抜けした。ほんの2分で終わってしまった。体の痺れが少しずつ取れたのがわかったように記憶している。あとから聞いたが当時、兄は腰を抜かしていたらしい。あまりに緊張していた僕は何も気づけなかった。

次は上の姉。実家のキッチンで二人きりになったときを見計らって僕がカミングアウトすると、姉は泣きはじめた。今まで僕が隠して生きてきた苦しみを想って温かい言葉をくれた。

最後の下の姉の反応は全く違って、彼女が運転する車の中でカミングアウトすると、黄色い声をあげてどんな男がタイプなのか聞いてくる顛末だった。

三人三様の反応はどれも僕の強い自信となった。

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(変顔する18歳の僕と長女)

両親と僕

それから一週間も経たないうちに、実家で両親に話があると伝えた。両親は真剣な僕の雰囲気を察して、それを壊すように笑ってみせたり、そして神妙な面持ちになったりと空気は一瞬で張り詰めたように思う。初めて兄に言った時よりも体はこわばり、心臓の音が体を打つのがわかる。そして意を決してこう伝えた。

「僕は将来結婚することも子供を持つこともない」。

これほどゲイという言葉が口から出るのを恐れたのは最初で最後だと思う。

「僕、ゲイなんだ」と告白すると母は訳が分からず取り乱して泣きはじめた。女性になりたいのかとも混乱していた。親父は落ち着いているようでいて涙ぐんでもいた。僕も説明するのに感情的になり、両親が泣いている姿と自分の張り詰めた心が揺れ動いて涙が流れたけれど、自分がゲイだから不幸だとは決して思ってもらいたくはなくて、なんとか涙を抑えようとしていた。あのとき全員が心をとりみだしたが、最後に両親はゲイであっても息子に変わりはなく愛していると伝えてくれた。

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齊藤 聖さんのインスタグラム投稿

僕の両親は世の中がどれだけ差別的で変える事のできないものであっても、それに合わせて僕を変えようとはしなかった。いつでもありのままの僕を愛してくれた。今では、僕がInstagramでゲイとして社会で生きていく難しさを投稿すると、すぐに両親が「自慢の息子です」という温かいコメントをくれるほどだ。距離をとってお互いに尊重しあうのではなく、コミュニケーションによってお互いを理解し説得しあうことが今の関係では重要であったように思う。

彼氏リードとの馴れ初め

もし子供の頃から自分の周りに堂々としたゲイの知人がいればどれだけ僕は助かっただろうか。僕は自分が子供の頃にいて欲しかったような大人でありたい。たとえ人が認めなくても積極的に説得できる大人でありたい。LGBTQIA+のことを広め、差別意識を改善したい。そんな強い意識を持ち始めた頃、リードと出会った。

ある夜、映画館に行くと外国人の男の人がポップコーンを買おうと列に並んでいた。柔らかそうな髪の毛、神経質そうな目の動き、知的な佇まい。彼から醸し出される変わった雰囲気と彼の外見をどうしてか気にいって、ひたすら見つめていた。すると彼も僕の方を何度かキョロキョロと見てくる。

「彼はきっと、“この男の人と会ったことがあるだろうか?”とか考えているに違いない。もし万が一声をかけられたら“知人と間違えました”と言おう」と心の準備をして、さらにずっと見つめていた。そろそろ映画が始まる頃、彼の姿を見送って館内に入った。すると相手も同じ館内に入ってそれも同じレーンの先に座ったのだ。そうこうする内に映画は始まり、そして映画が終わってトイレに行くともう彼はどこにもいなかった。

それから1ヵ月後、あるSNSでメッセージが届いた。顔をみると映画館の彼だと思い出し、面白くなってしまった。まさか彼がストレートではなかったとは。「会ったことがありますよね」と送ると「映画館で会ったね」と返ってきた。

初めてのデートはタイ料理店。英語でうまく喋れない中、相手の言っていることも殆どわからない。緊張もあってお互い気まずかった。それでもターコイズブルーに彩られた彼の爪が妙に可愛らしく、自分らしさを隠さない彼に憧れたのを覚えている。その後公園を散歩することになり、なんだか慣れてきたのか会話が少しずつ弾み緊張も緩む。夜風も心地よく結局は地下鉄終電ぎりぎりまで喋っていた。そして僕たちは、出会って3ヵ月目で付き合い始めた。

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齊藤 聖さんご家族とリードさん

彼とは今でもよく映画館に行く。街中をデートする時は、人目は大して気にならない。今では家族にも紹介できて心より幸せに感じている。僕に恋人ができて幸せな様子を一度でも両親に見せることができて本当に良かったと思う。僕たち家族にとって僕がゲイであることを幸福に実感できる初めての出来事だったから。

LOVE PARCO

15年前のあの時、自分が他の人とは違うとわかった日から確実に日本は変わり始めている。ドラマ、映画、小説、ニュース、すこしずつ性的マイノリティーに対して焦点が当たるようになってきた。それでも実際に現実のセクシャルマイノリティーの人と出くわすことはまだまだ少ない。その理由は、社会に存在するセクシャルマイノリティーに対する偏見、差別意識や不条理な法律に起因している。セクシャルマイノリティーだと社会で公言することによる不利益は計り知れない。自分らしさを表現できずに生きることの苦しみも、とてつもなく大きいと僕は思う。どちらを選んでも苦しみに対する戦いは免れ得ない。

名古屋PARCOが挑戦するLOVE PARCOのメッセージは『愛の多様性』。多種多様な愛の形を応援するもの。冒頭で「簡単に乗り気になって」と書いたけれど、やっぱりこのメッセージに強く共感したからこそ、僕とリードは出演を決めた。

ドラマでも映画でも小説でもない、現実にいるカップルとして、リードと僕が公の場で一つの愛を提示したことは、セクシャルマイノリティーであることの難しさ、不条理、孤独、偏見や差別と闘う全ての人を応援しているということを、どうか感じ取ってほしい。

セクシャルマイノリティーの存在が「当たり前」になることへの助けになれば、と夢見ている。 

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LOVEPARCO 広告

あとがき 

僕はこの世界に何億人といる中のセクシャルマイノリティーの一人であり、彼らの代弁者ではありません。僕がこのような経験や考え、感覚を有したからといって他のセクシャルマイノリティーの方も同じでは全くありません。僕たちを知る方法は他の異性愛者同様、個人個人と会話などの触れ合いを深く交わす方法以外にはないのです。

また僕のカミングアウトはとても幸運でした。今の社会では僕のような経済的にも精神的にも環境的にも整っていないような中でのカミングアウトは相当な危険をはらんでいます。僕の自伝を好例とはみなさず、励みとして受け取っていただけると幸いです。