イタリアで自主隔離中の僕が今、世界のみんなに伝えたいこと

自分の生活の自由や健康を大切に思うならば、今こそ感染を防ぐために、人と距離を保つこと(ソーシャルディスタンス)が必要だ。

イタリア政府が新型コロナウイルスの感染拡大を緩和するためにロックダウン(都市封鎖)を発表し、ここボローニャのアパートに1人でこもる暮らしが始まって11日が経つ。

僕の健康と精神状態を気にかけて、僕の出身地であるカナダに住む友人や家族がここ数日は連絡をくれるようになった。その心遣いや心配には感謝しているけれど、僕自身は自分の健康やイタリアの現況にあまり頭を抱えているわけでもない。祖父母の祖国であり、僕が今や「ホーム」と呼ぶこの地で気掛かりなのは、世界の他の地域のことだ。

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LUCAS BOZZO
受け入れ難い状況ではあるが、1人になることで地球のみんなと団結している。

イタリアの状況は劇的で、他の国で起こり得ることの予見でもある。ウイルスの陽性反応が確認された人数は急激に伸びて合計47021人にまで上り、死者数は現時点で4032人(3月21日時点)になる。かつて繁栄していた街は今、世界の終焉を思わせる気味の悪いシャッター通りとなり、病院の稼働が追いつかず、多くの命を失っている。

どんなに言葉を尽くしてもこの事態の重大性を十分に伝えることは出来ないが、状況に適した正しい行動を取らなければ、これを読んでいるあなたの周りでも、このような状況が現実になってしまうことは確かだ。

イタリアは今、これまでとはまるで違う現実を生きている。活気ある自由の国は一夜にして突然に独裁的な国へと姿を変えてしまった。お葬式や結婚式、誕生日パーティーは禁止され、国民の自由な移動も禁止された。こんなことを痛切に語るのは、この息苦しい現況に置かれているからだけでなく、世界のリーダーたちが腰を抜かし国民のための素早い決断を渋ったのちに、このウイルスの危険性をようやく認めるさまを見てきたからだ。

カナダ、アメリカ、ヨーロッパ諸国、南米、そして中東でも国境が閉鎖されているが、ウイルスが一度その地域に入り込んでしまった今、そのような政策は後の祭りに過ぎない。爆発的な感染の複雑化は、政府だけでは対処のしようがない。国家がいくら緊急事態宣言を出したところで、人々が積極的にソーシャルディスタンス(感染を防ぐために、人と距離を保つこと)の維持に尽力していかなくては、まるで意味がないことだ。

馴染みがなく、不安を覚える響きのある言葉だが、ソーシャルディスタンスは取り分け苦渋を強いるようなものではなく、単に他人との距離を普段より極端に取る必要があるということだ。

ロックダウンされた空間で暮らすことは、精神的にかなり痛烈なものになると初めは思っていた。政府により社交を禁止された生活に耐えられないのではないか、と。孤独を感じることは頻繁にあるし、ボローニャ大学で歴史を勉強しながら過ごしたこの数カ月は、今までで最も孤独を感じる時間だった。

政府の出した過酷な法令は余りにも恐ろしく、受け入れ難くて、不安定な日々が続くボローニャから、ロックダウン開始前に”逃亡”して、故郷のトロントに帰国することを考えたくらいだ。

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LUCAS BOZZO
静まり返ったボローニャの住宅地

しかし、自主隔離中の生活が何もかも不愉快というわけでもない。大学院の授業にオンラインで参加したり、自分のためにゆっくりと料理をしたり、バルコニーで地中海の日の光を浴びて、孤独を感じた時にはいつでもメッセージのやり取りや電話、ビデオ通話を友達や家族とできる。外出も2度しており、住宅地のボローニャ近郊を通って自転車でスーパーマーケットへ買い出しに出かけ、税務署で家賃の支払いもした。

イタリアが着せられている扇情的なイメージと統計数字によって、差し迫った破滅への不安を想起させられるが、その猛威から全く影響を受けていない一面もあるし、回復やほぼ平常通りな一面もある。1人でのんびりと散歩をしている中年の人やお年寄りもいれば、バルコニー越しに会話をしている人もいるし、限られた空間ではあるが中庭で遊ぶ愛らしい子どもの姿もある。そして友達と、この予期せぬ波乱に満ちた時間を街や国、海を越えて励まし合い、互いを思い合っている。

危機を乗り越えるために身を寄せ合うことは人間の常だが、今回の団結では愛を持ってそれぞれが互いに物理的な距離をとる必要がある。他人との接触を必要最低限に留めることが、思いやりや同情を示すのだ。自分を隔離することで、この危機の中で力をつけ、自らを振り返ることにもなる。あなたの不在は、何千という体の弱い人やその家族のためになるのだ。

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LUCAS BOZZO
静かさ故に、鳥の唄う声がアパートから聞こえる

地球規模でその猛威をふるうコロナウイルスに対して、これを読んでくれている人にはどうか冷静かつ積極的な姿勢でいて欲しい。 

政府の提唱する公共での健康管理は、私たちが無関心なままでは結果は得られない。混み合った公共交通機関は避け、社交行事は延期し、周りにそういう場所へ行こうとする人がいたら説得を試みて欲しい。絶対に必要な旅行以外はキャンセルしてほしい。もしも、旅行から帰ってきたばかりであったり、体調が優れなかったり、体調の優れない人と接触した後には自主隔離をして欲しい。

職場には在宅勤務の導入や、ソーシャルディスタンスの規定化を願い出て欲しい。人が密集して感染にはうってつけの環境と化したスーパーで、食料品を大量購入することを控えて欲しい。もし安全に実現できるならば、お年寄りや体の弱い人の代わりに買い物に行ってあげて欲しい。

新型コロナウイルスの感染による多くの症状が軽度だからといって、「自分の健康は心配していなくても平気だろう」と考えている人にも、そのような立ち振る舞いの連鎖の先には命を落とす人や、緊急入院をせざるを得なくなった人たちがいることを考えてほしい。人工呼吸器を口に当てて、酷く苦しみながら生きながらえようとする人たちの姿を見て、あなたはどう感じるだろうか? 

イタリアの医療専門家たちは今、激増する公共医療への需要に対して、組織的に誰を救い誰を見捨てるのかという決断を迫られている。しかし、イタリアでは患者1000人に対して3.2床という医療用ベッド数に対し、カナダとイギリスではいずれも2.5床、アメリカでは2.8床となっている。

自分の生活の自由や健康を大切に思うならば、政府が数カ月に渡る厳格な検疫を施行または強制しなくても済むよう、ソーシャルディスタンスをしっかりと取るのが賢明だ。公共の場に出ることを自粛することで、イタリアで起きているような悲劇をあなたの周りにいる人たちが経験せずに済むのだ。

ソーシャルディスタンスは面倒でも難しいことでもない。親友や家族と、実際に、もしくはオンラインで一緒に過ごすことができる。楽しいことをやってもいいし、だらだら過ごしてもいい。ずっと放置していたプロジェクトに生産的に取り組んでもいいだろう。どんな過ごし方をするにせよ、誠実に、愛と思いやりの心を持って過ごしてほしい。

ハフポストUS版の記事を翻訳、編集しました。