私たちの生活のなかには、いい匂いから不快な臭いまで、実にさまざまなにおいがあふれています。体からもさまざまなにおいが出ていますが、現代ではこれを不快と感じる人が増えているようです。
夏のはじめの、静かな休日を思い浮かべてください。いまあなたは、青畳を敷き詰めた風通しのよい庵に招かれています。どこからともなく清楚に漂ってくるのはお香でしょうか。静かに目を閉じていると、お盆が運ばれてきました。新茶。初夏はやっぱりこれですね。ああ、いい香りだ。
さて、いかがでしたか?
さしずめ映画なら数カットの風景でも、私たちの周りには、実にさまざまなにおい、香りがあふれているのですね。
ところでいま私は、快い香りばかりを取り上げましたが、実際の生活の中のにおいには「快」と感じるより「不快」と感じるものも多くあります。動物ではにおいを感じる「嗅細胞」が発達していて、異性の放つフェロモンを感じて「やや、いい匂いだクンクン」と春が来るわけです。しかし人間の嗅細胞は動物より退化しているため、嗅覚の出番となるのは、なにか腐ったものを食べそうになったときや、ガス漏れのときなど、危機管理の役割が多くなってしまっています。
さて体臭の話です。
現代人は、体から出るにおいを快と感じるよりは、不快と感じることの方が多いようです。しかし、ヒトは誰しも生きていく限り、食べては出し、おならをし、息を吸って吐いて、げっぷをして、汗もかく、とまあ、生活の証にはどれも臭いがつきまといます。ところが現代の若者は、このあたりまえの生活臭さえ不快と感じて、無くしたがる傾向にあります。いわば無臭志向であり、過度な清潔志向です。
これは、子どもたちの遊びの変化が原因ではないかと私は考えています。ほんの二、三十年前まで、子どもの遊びといえば、泥だらけがあたりまえでした。土埃の立つ原っぱや、森や、ときには堆肥や、ありとあらゆるにおいが満ちるなかで、太陽の下で汗まみれになり、北風に青鼻をたらしながら、子どもたちは育ったものです。
ひるがえって、いまはどうでしょう? 部屋にこもって画面を見つめるゲームのように、泥にも汗にも縁のない遊びばかりです。画面にいくら鼻を近づけても、何もにおってはきません。ゲームは現実から浮き上がった仮想空間の遊びです。いきおい臭いへの反発や拒絶が強くなり、自分の体から出るほんのわずかな体臭まで嫌悪し、悩んでしまうのです。その意味で、体臭の悩みは、典型的な現代病といえるでしょう。
体臭の出所はさまざまです。それこそ頭のてっぺんから爪先まで、つまり体中の各部位がにおいと関わっているのです。しかし、そのなかでも、口臭や脇の下からのわきが臭、便や足の臭いなど、特に他人を不快にさせるものは、治療の対象になることもあります。
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