最初期のアンパンマンは「あんパンを配るおじさん」だった。「カッコワルイ!」と子どもに罵倒されるシーンも

「マンガのスーパーマンや、バットマンによく似ていました。でも、まるでちがうところはスーパーマンみたいにかっこよくなかったのです」
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アンパンマンの人形を手に持つ、やなせたかしさん(2005年2月22日撮影)
アンパンマンの人形を手に持つ、やなせたかしさん(2005年2月22日撮影)
TOSHIFUMI KITAMURA via Getty Images

子ども達のヒーロー『アンパンマン』。筆者の2歳になった娘も夢中になっていて、在宅勤務しながらパソコンで記事を書いていると椅子によじ登ってきて、「アンパンマンの写真見せて!」とねだります。

アンパンマンといえば、頭部が「あんパン」になっていて、お腹が空いた人に「僕の顔を食べなさい」と勧めるシーンが印象的です。でも、最初期の作品では、肥満体型の人間の姿をしたヒーローでした。作者自身も後に「あんパンを配るおじさん」と描写しています。

一体、どんな作品だったのでしょう。10月3日で『アンパンマン』のアニメ放送開始から35周年を迎えるのを機に振り返ってみます。

■時代は1960年代。ラジオドラマの次に大人向けの短編童話として生まれる

時代の証言者<8>』(読売新聞社)に掲載された作者のやなせたかしさん(2013年死去)のインタビューによると、一番最初にアンパンマンが登場したのは、1960年代のラジオドラマのコントでした。

当時40歳を過ぎたばかりのやなせさんは漫画の仕事が減ったため放送作家の仕事をしていましたが、5年間やっていた文化放送の5分番組の中で、1回だけアンパンマンが出てきたそうです。ただ、「どういう具合のものだったか、ほとんど覚えていない」と振り返っています。

やなせさんによると、2番目のアンパンマンは、PHP研究所の月刊誌「PHP」1969年10月号に掲載された挿絵付きの4ページの短編です。

1話完結の大人向け童話を1年間連載した中の1つで、翌年に『十二の真珠』(山梨シルクセンター)として単行本にまとめられたほか、「PHPベストセレクション」2014年11月号にも、やなせさんの追悼特集で再録されました。

前述のインタビューの中で、やなせさんはこの最初期のアンパンマンについて「自分の顔を食べさせるのでなく、あんパンを配るおじさんだったんです」と振り返っています。そのお話は以下のような内容でした。

■「カッコワルイ!」と子どもに罵倒される「おじさんアンパンマン」の悲哀

「アンパンマン。あんまり聞いたことのないなまえですが、たしかにある日、アンパンマンは空をとんでいました」と物語は始まります。

その容貌について「マンガのスーパーマンや、バットマンによく似ていました。でも、まるでちがうところはスーパーマンみたいにかっこよくなかったのです」と断言します。

「全身こげ茶色で、それにひどくふとっていました。顔はまるくて、目はちいさく、はなはだんごばなで、ふくれたほっぺたはピカピカ光っていました」

なんだか重そうにヨタヨタ飛んでいたというアンパンマン。挿絵にも全身タイツのような姿でマントを着た男性が住宅地の上空を飛ぶ姿が描かれています。

疲れ切ったアンパンマンが、ある町の屋根で体を休ませていると、一人の少年が近づいてきます。

「私はアンパンマンだ」と名乗るも、少年はその名前を知りません。テレビやマンガに出てるのかと少年が聞かれるも、アンパンマンは否定します。「それよりきみにアンパンをあげようか」と、膨らんだ腹からあんパンを取り出しました。しかし、少年は「いらないよ」と拒否。「アンパンより、ソフト・クリームのほうがいい」と言われる始末です。ヨタヨタと飛び去る姿を見た少年からは「カッコワルイ!あんなのダメだなあ」と罵倒されました。

その後、場所は「戦争が続いて、野も山もすっかりやけただれた国」に変わります。砂漠のような土地で数人の子どもたちが飢えて死にそうになっていると、空からアンパンマンがやって来て、焼きたてのアンパンを落として、言いました。

「しっかりするんだ。死んじゃいけない。私は何度でもアンパンをはこんでくるぞ」

そのとき「ドヒューン」と音がして、アンパンマンの胸のあたりに白い煙が上がります。飛行機と間違えられて大砲で撃たれたのです。アンパンマンがどうなったのかは分からないけど、「決しては死にはしないでしょう」と書かれています。

「世界じゅうのおなかのすいた子どもたちのために、アンパンマンは今も飛びつづけているはずです」

悲しいながらも、希望を持たせる言葉で物語は幕を閉じます。

■哀愁あふれる「おじさんアンパンマン」が生まれた背景とは?

何とも哀愁漂う「おじさん」アンパンマン。このお話は、どんな思いから生まれたのでしょうか。前述の『時代の証言者<8>』のインタビューで、やなせさんは「非常に格好の悪い正義の味方を書こうと思った」と振り返った上で、次のように話しています。

「そのころ、スーパーマンのようなキャラクターはずいぶんたくさんあったんですね。そういう話を自分なりに書いてみたいという気持ちが何となくあった。僕はスーパーマンも大好きなんだけど、どうも強すぎる、日本でもいろんな“スーパーマン”が出たけど、怪獣と戦ったり、とんでもなく強いわけです」

「でも、それは果たして本当に正義の戦いなのかなという気持ちがずうっとあったんですよ。自分の生活を守ってくれる人が正義の味方ではないかと思っていた。子供からみれば、おなかをすかして泣いているときに助けてくれる、地味な正義の味方を書きたかった」

日本では1966年に特撮ヒーロー番組「ウルトラマン」の放送がスタート。怪獣とのバトルが子どもたちの間で爆発的な人気を呼んでいた。こうした「正義」のために戦うヒーロー物への違和感から生まれたのが、格好悪い地味なヒーロー「アンパンマン」だったようです。

■「パンそのものが飛んでいってしまう方が面白い」1973年の絵本で現在のアンパンマンがデビューするも、当初は酷評の嵐だった

『キンダーおはなしえほん』1973年10月号の「あんぱんまん」
『キンダーおはなしえほん』1973年10月号の「あんぱんまん」
フレーベル館

「おじさん」のアンパンマンがPHP誌上で大砲に撃たれた4年後の1973年。フレーベル館の絵本シリーズ「キンダーおはなしえほん」1973年10月号として、「あんぱんまん」が出版。3年後の1976年に独立した絵本として再版されます。

前述のインタビューによると「あんパンを配るよりも、パンそのものが飛んでいってしまう方が面白いなと思って、自分の顔を食べさせる話」にしたそうです。

しかし、評判は最悪。2009年の著書『わたしが正義について語るなら』(ポプラ社)の中で、やなせさんは次のように振り返っています。

「本は大悪評でした。特に大人にはダメだった。出版社の人には『やなせさん、こんな本はこれ一冊にしてください』と言われるし、幼稚園の先生からは、顔を食べさせるなんて残酷だと苦情がきました。絵本の評論家には、こんなくだらない絵本は図書館に置くべきではない。現代の子どもはちっとも面白がらないはずだ、と酷評される」

「これはダメだ」と意気消沈していたやなせさんですが、最初の出版から5年ほどたってから幼稚園や保育園では人気で、図書館では『あんぱんまん』がいつも貸し出し中になっていると知り、「えらいことになった』と思ったそうです。

■「アンパンマンがテレビの人気物になるなんて、予想もしなかった」

『あんぱんまん』では、砂漠で死にそうな人、森の中で迷子の子どもに顔を食べさせます。すっかり顔がなくなったあんぱんまんは、雷雨の中で墜落しますが、「ぱんつくりのおじさん」に新しい顔を作ってもらって復活します。

この本のあとがきの中で、やなせさんは「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのために自分も深く傷つくものです」というメッセージを込めたと明かしました。その上で、読者にこんな風に問いかけています。

「こんな、あんぱんまんを子どもたちは、好きになってくれるでしょうか。それとも、やはり、テレビの人気者のほうがいいですか」

ヒーロー番組への対抗心から生まれた「あんぱんまん」は、やがてアンパンマンとカタカナ表記になり、1988年10月3日にTVアニメ化。2022年現在も放送が続く長寿作品になりました。

『時代の証言者<8>』で、やなせさんは「アンパンマンがテレビの人気者になるなんて、そんなことは予想もしなかった」と振り返っています。