外出自粛はツライ。でも、他人への批判は役には立たない。

新型コロナで緊張が高まる今、要請に従わない人を批判するのはしょうがない。でも、それをポジティブに変換するにはどうすれば良いのだろうか?
イメージ画像
FEODORA CHIOSEA VIA GETTY IMAGES
イメージ画像

新型コロナウイルスの感染が世界に拡大する中、多くの国や都市で外出禁止令が出ている。日本でも緊急事態宣言が発令され、対象地域では外出自粛が要請されている。

しかし、一部にはその要請を無視している人たちもいる。要請に従い外出禁止や自粛を続ける人たちは自身や家族の健康を心配し、その結果、従わない人々に怒りを感じている。

他人の行動は脅威になる、とセラピストであるパム・カスター氏は話す。「象徴的に言うと、彼らは赤信号を無視しようとしているのです」。私たちは、外出自粛やソーシャル・ディスタンスの要請に応じない人たちによる、医療体制への危険や負担を認識しており、本能で彼らを批判してしまうのだ。

テレビやSNSでは、相変わらず多くの人が行き交う一部の商店街や公園の様子が映し出される。

同時に、多くの人々が#StayHomeのハッシュタグで庭やバルコニー付きの自宅(セレブの場合はすごい豪邸)を投稿し、そうした環境がない人たちの反感をかっている。

テレビやSNS、窓から見える人々を批判するのはしょうがないことだ。しかしそれが、あなたの1日を台無しにしていないだろうか?それとも、その気持ちをポジティブに変換できているだろうか?もしポジティブな道を進みたいならば、どこからスタートすれば良いのか?イギリスの状況も踏まえて考えてみよう。

私たちは日々、人々を批判している

私たち人間は、悪い状況にある時に批判的になりやすいが、外出禁止や自粛などの際は、それが悪化する。

ハーバード大学の心理学者、エイミー・カディ氏は、批判をするのは「防御本能」だという。現状では、自分もしくは他の誰かの健康への脅威となり得る行動をしている人たちがおり、批判するのは自然なことだ。脳が私たちに、「後ろに下がれ、信用するな」と言っているのだ。

人々は本能的に、安心し、受け入れられるグループの一員でいたいもの。「しかし、西洋文化はそのように構築されていません」とスコットランドでメンタルヘルスサービスに従事するサイモン・スチュワート氏は言う。

「西洋社会は、非常に個人主義です。人々は自分のグループを探すためにもがきます。愛する人たち、家族...ラッキーであれば、それより広い繋がりもあるでしょう。しかし、多くの人々にはそれがありません」

私たちは安全な場所やグループを探すが、特にこのような状況下では、なかなか手に入らない。すると、私たちはこうした安全な場所への近道を探し出すようになる、とスチュワート氏は話す。

「1番早い近道は、自分たちを『自分たちと違うもの』と分類することです」と彼は言う。「自分のグループにに安心感を得られない場合は、批判できる『違う』人々のグループを見つけるのです」

「『不安ではあるけど、せめて私は彼らみたいではない』と言うことで、自分の気分を良くさせているのです。状況が悪い時にそういった行動が出ますが、特に先が見えない時、不安で怖い時、自分たちや自らの行動を、その時少しでも良く捉えられることなら何でもするのです」

「思い込み」をやめよう

「私たちはみんな、様々な認知の輪を潜り抜け、自分の行動を正当化するのが得意です。しかし、それは自分にはするけれど、他人への許容力はかなり低い、という大きな証拠が出ています。自分たちの行動は正当化するけれど、他人の場合は許容が減り、他人の悪意を思い込んでしまうのです」

他人を批判する前に全ての事実を得ることが重要だが、実際私たちはなかなかそれをしない。「批判や非難が役に立つことはありません」とカスター氏は話す。「外出禁止時に、誰かが芝生の上に座っているのを見たとしましょう。もしかしたら散歩の後、腰を痛めていたのかもしれませんが、その背景を知らず、その写真はSNSに拡散されてしまいます。どんな状況でも、私たちは全ての事実を知りません。間違った情報によって、人々が不公平に非難されていて、それはとても危険です」

その上、私たちが住む社会は一般的に過酷だ。これは、すぐに批判をする一部のメディアにも見られる、とスチュワート氏は話す。

「私たちはとても細分化された社会に住んでおり、常に他人を疑い、信用するな、というメッセージを受けています。もちろん今、危険なことをやっている人たちがいないとは言いませんが、彼ら自身も、自らの偏見や近道を使って自分の行動を正当化しているのです」

「その多くの人たちはおそらく、自分がやっていることに問題があると認識していません。何が許容され、何がダメなのかという明確なメッセージを得られていないのです」

明確さの欠如

スチュワート氏とカスター氏両氏とも、政府からの不明確なメッセージが、こういった批判に火をつける可能性がある、と指摘する。

「私たちは明確な指示が必要ですが、それを得られていません」

ルールに従う人たちに集中しよう

人々を批判することは自分に利益がなく、ただ苛立つだけ。そのかわりに、社会として、この困難な状況の中、できる限りのことを行っている多くの人々に集中するべきだ、とスチュワート氏は話す。

批判の問題点は、人々を「彼ら」と「私たち」とさらに分断化することだ。「人々が外出したいのは十分に理解できます。もし彼らが批判や非難されたら、この分断化の問題が起こります。人々はそこで、『私のグループはどこ?』と考えます。批判している人たちを見て、『あなたは私と違う。なぜあなたの言う事を聞く必要があるのか?』となります」

社会的に、促したい行動を強化し、報酬を与えることが重要だ、と話す。「これにより、一員でいられることで気分が良くなるような大きなグループができるのです。また、促したい行いをポジティブなメッセージとともに推奨すれば、それが一般化されるのです」と話す。

「人との距離を保つことを推奨すれば、あなたは国民保険サービスや、高齢者や免疫不全の人など、リスクの高い人々を助けていることになり、それはとても重要なことです」

「その行動に理由を与えることになり、人々は大きな動きの一部であると感じることができるのです。そしてそれは、ただ人々に叫んでいるよりもずっと効果があります」

常に人に優しくあれ

個人レベルにおいて、優しさは重要だ。それは他人にだけでなく、自分に対しても。

「私は常に、人に対して厳しく、批判的です」とスチュワート氏は話す。「心理学者としての自分は、それに対して自分を叱るのではなく、落ち着いて、批判的なマインドがまたやってきた、と認識することです。この考えは正常で、出てくる考えや込み上げてくる怒りはコントロールできない。でも、どう反応するかはコントロールできるのです」

自分に問いかけてみよう。何かを思い込む前に、周りの人々が経験していることを十分知っているだろうか? 彼らの立場になって考えられるだろうか?

「私たちが自らの偏見に気づくと、他人に少し優しくなれます」とスチュワート氏は話し、自らの反応によって自分について何が学べるかを考えることを提案する。その反応は、自分にとって何が本当に重要だと教えてくれているのだろうか?

「それは、興味深いこと、私たちにとって何が重要かを教えてくれます。それは、私たちにとって社会は重要で、また自分や愛する人たちの健康が重要だということです。もし私たちが少し落ち着き、その事に気付けば、その難しい考えを受け止められるでしょう。そこで自問するのです。その重要な価値を追求するためには、何ができるのだろう?と」

ハフポストUK版の記事を翻訳・編集しました。