
終戦から50年を迎えた1995年8月15日、当時の村山富市首相は、「戦後50周年の終戦記念日にあたって」と題する談話(村山談話)を発表した。
談話は、自民党、社会党、新党さきがけの3党連立政権で首相に選ばれた村山氏(社会党委員長)が、閣議決定に基づいて出したもの。政府の歴史認識の公式見解となっている。
村山氏は談話の中で、日本が「国策を誤り」戦争を道を進んだことや、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」ことに言及。日本の植民地支配を公式に認めた上で、「痛切な反省の意」と「心からのお詫びの気持ち」を表明し、謝罪した。
戦後60年に当時の小泉純一郎首相が発表した「小泉談話」にも、村山談話が述べた「植民地支配と侵略」への「痛切な反省と心からのお詫び」という表現は引き継がれた。
また、安倍晋三首相(当時)による戦後70年の「安倍談話」でも、「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」を表明した過去の首相談話を踏まえ、「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」と述べている。
石破首相は8月4日の衆院予算委員会で、戦後80年に合わせた見解の表明について問われた際、戦後50〜70年の3つの談話に言及し「そこにおける積み重ねは大事にしていきたい」と発言。その上で、「日本国として出すべきことは、二度と戦争を起こさないためにどうするのかということを単なる思いの発出だけではなく、何を誤ったのかということ」だと述べ、見解発表に意欲を示した。
石破首相も言及した戦後50年の村山談話とは、どんな内容だったのか。全文を掲載する。
【村山談話・全文】
先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。
