フィリピンの最高額紙幣千ペソ札に描かれていた、3人の「英雄」の肖像について知っている日本人は多くないかもしれない。
太平洋戦争中にフィリピンを占領していた旧日本軍に処刑された、最高裁長官と女性活動家、軍司令官だ。
フィリピン政府は2022年、千ペソ札の紙幣デザインを刷新し、3人の肖像の代わりにフィリピン鷲のデザインに変更。現在は、新紙幣の流通が増えつつあるが、旧紙幣も同時に使われている状態だ。
紙幣デザインの変更により、「さらに戦争の記憶や犠牲が忘れさられてしまう」と危機感を募らせる人たちがいる。
フィリピンの人々が「日本人にも知ってほしい」と語る、3人の「英雄」とは。
(初出:BuzzFeed Japan News 2022年12月8日)
日本軍のフィリピン侵攻に抵抗し、処刑された3人の人物

フィリピン中央銀行は2021年12月、千ペソ札を合成樹脂を使ったポリマー紙幣に変え、デザインも刷新すると発表した。
旧デザインの千ペソ札に描かれていたのは
・大統領代行も務めたホセ・アバドサントス最高裁長官
・ビセンテ・リム陸軍司令官
・フィリピンガールスカウト創設者で女性の参政権運動で知られた活動家のホセファ・リャネス・エスコダ氏
の3人だ。いずれも日本軍のフィリピン侵攻に抵抗し、のちに処刑された。フィリピンでは「抗日の英雄」と評価されている。
日本軍は1941年12月、アメリカ、ハワイ海軍の真珠湾基地を攻撃した数時間後、フィリピンでもミンダナオ島のダバオや、北部ルソンのバギオ、クラークなどを空襲。
翌1942年1月から軍政統治を開始し、45年8月の終戦まで、3年半以上にわたりフィリピンを占領した。

最高裁判所の長官だったホセ・アバドサントス氏は、日本軍がフィリピンに侵攻すると、マニュエル・ケソン大統領と米軍のダグラス・マッカーサー司令官(いずれも当時)と共に、コレヒドール島に籠城。脱出する際、ケソン氏から大統領代行を託された。
その後、セブ島で日本軍に捕らえられ、協力を拒んだことからミンダナオ島で銃殺刑となった。
ホセファ・リャネス・エスコダ氏は女性の参政権運動などで知られた活動家。戦中、日本の統治下でアメリカ人やフィリピン人の捕虜たちに食品や医薬品などを届ける活動を続けた。
日本軍に捕らえられてからはマニラのサンチャゴ要塞に収容され、処刑された。
ビセンテ・リム陸軍司令官は、アメリカの陸軍士官学校に留学した経歴を持つ軍人。フィリピンに設置されたアメリカ極東陸軍の第41歩兵師団司令官として指揮をとっていた。
終戦のおよそ1年前に日本軍に捕まり、サンチャゴ要塞に収容された。リム氏は死刑判決を受け、斬首刑となった。

フィリピン中央銀行は、デザイン刷新にあたり、絶滅危惧種であり国鳥のフィリピン鷲は、フィリピン人のユニークさや強さ、国の将来への鋭い視線を表すと説明している。
アバカ(マニラ麻)でできていた紙幣をポリマー製に変更する理由やその長所については、耐久性、偽装の難しさなどをあげた。
「日本人にも知ってほしい」歴史。紙幣の肖像は「犠牲者に思いを馳せる、きっかけ」だった
紙幣のデザイン変更が報道された際には、変更に反対するオンライン署名も立ち上がった。
署名を呼びかけた「フィリピン第二次世界大戦記念財団」副代表のデズリー・ベニパヨさんは、紙幣の肖像の一人であるホセ・アバドサントス最高裁長官の親族にあたる。
マニラ首都圏ケソン市の財団事務所で取材に応じ、こう語った。
「英雄3人の肖像は、日々千ペソ札を目にするたびに戦争中の出来事と犠牲者に思いを馳せる『きっかけ』でもあったんです」
「デザイン変更の報道を目にした時は『なぜ』という思いでした。紙幣から3人の肖像を消すことは、大きな間違いだと感じました」

ベニパヨさんは3人の英雄の歴史的背景について、そしてそのデザインが変更されたことについては「日本人にも知ってほしい」とし、こう語った。
「平和を追い求めていくためには、過去に起こった過ちを知ることが大切だと思っています。この英雄3人については、もちろん日本人だけではありませんが、フィリピン人以外の各国の人たちにも知ってほしいです」
「それぞれの国が、自分たちの歴史上の間違いを学び、繰り返さないこと、自らの人生を犠牲にしても闘った英雄を知ることはとても大切です」
紙幣に肖像があることは、フィリピン人だけでなく、日本人を含む外国人の目にも止まることを意味する。
外務省によると、2023年10月時点で在留届を出してフィリピンで暮らす日本人は1万2千人を超え、フィリピンへは英語留学やダイビングなどの旅行でも多くの日本人が訪れている。
「残虐行為を人々が忘れ去る『後押し』になるかもしれない」
現地のウェブメディア「ラップラー」は、紙幣デザインの変更について、こう報じた。
「一見、シンプルなデザイン刷新のように見える変更が、日本の占領下でフィリピン人たちに起きた残虐行為を人々が忘れ去る『後押し』になるかもしれない」
ラップラーは、女性活動家ホセファ・リャネス・エスコダ氏の甥にあたる、ホセ・マリア・ボニファシオ・エスコダ氏を取材し、取材でエスコダ氏は「デザイン変更は、英雄3人を再び『殺す』ような行為です」と語った。
旧デザインの千ペソ札は、小学校の歴史の授業でもよく用いられているとベニパヨさんは話す。
「小学校の歴史の授業では第二次世界大戦の単元になると、教師が千ペソ札を見せて、この3人の人たちを知っていますか?と聞くこともよくありました」
「小学校高学年で歴史を学び始める時に、教科書上だけの話でなく、子どもたちに現実に起こったことだという考え方を持ってもらうために、千ペソが使われていたんです」
フィリピンでの「戦争の記憶」の継承に思うこと
日本では、8月の終戦記念日や広島と長崎への原爆投下日などには、太平洋戦争に関する報道がされ、各地で追悼式典も開かれる。
しかし、フィリピンでは太平洋戦争の語り継ぎや、報道をめぐる状況は異なる。
フィリピンの平均寿命は日本より大幅に低く、男性が67.4歳、女性が73.6歳であることからも、実際に戦争を経験した人たちが、本当に少なくなっているのだ。
現地メディアでも、戦争証言を伝えるような記事や番組はほとんど見ない。
そのような状況の中で、ベニパヨさんは戦争の記憶を継承していく必要性を感じ、2017年、夫のマリオ・アバドサントス・ベニパヨさんと共にフィリピン第二次世界大戦記念財団を立ち上げた。
夫のマリオさんは、ホセ・アバドサントス最高裁長官の子孫に当たる。
ベニパヨさんは2018年に、ホセ・アバドサントスの伝記を執筆し、映画「オナー(名誉)」も制作した。
「国民の戦争の記憶がどんどん薄れていっていると気付き、第二次世界大戦の歴史について書くことを決めました」
学校などを回って制作した映画を上映し、出張授業をする中で、子どもたちに歴史を伝える重要性を再確認したという。
出張授業では、生徒たちに必ず「おうちに帰ったら、お母さんやお父さんに、おばあちゃんやおじいちゃんが戦中にどんな経験をしたか聞いてみてください」と呼びかける。
千ペソ紙幣のデザインはフィリピン鷲へと変わってしまったが、フィリピン人や日本人をはじめとする多くの人に、3人の英雄や戦中の出来事について「知ってほしい」と語った。
どの国でも、「戦争という過ちを繰り返さないように歴史について知るべき」という思いだ。
(取材・文=冨田すみれ子)
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