PRESENTED BY 特定非営利活動法人Art's Embrace

アートは不要不急か?日比野克彦「非日常で大事な生きる力になる」【アートプロジェクトTURN】

「アートは不要不急なのか?」という問いが、コロナ禍において浮上してきたが、TURNに関わるアーティストたちは、この約2年、何を考え、感じ、見つけたのだろうか?そして、人との出会いや交流が制限されたり、衝突が生じたりしがちな今、TURNが大切にしてきた「多様性」はどう育むことができるのだろうか? TURNの監修を務めてきた日比野克彦さんと、今回はじめてTURNフェスに参加したアーティストの山本千愛さんに話を聞いた。
右から、日比野克彦さん、山本千愛さん。
右から、日比野克彦さん、山本千愛さん。

2015年にスタートしたアートプロジェクト「TURN」は、障がいの有無、世代、性、国籍、住環境などが異なる多様な人たちとの出会いから生まれる表現の可能性を、アートを通じて探究し、発信し続けてきた。

TURNでは年間を通じて様々な活動が展開されているが、それらが一堂に会す「お披露目会」が年に一度の「TURNフェス」だ。コロナ禍で昨年は中止となかったが、今年は8月17日〜19日の3日間、東京都美術館で開催することができた。「フェス」という言葉のとおり、静かに作品を鑑賞する従来型の美術展とは異なり、音楽やパフォーマンス、映画上映やトークイベントなども交え、「人を中心にした参加型のフェスティバル」として開催されてきた。

岩田とも子さんの作品「遠くの地面を歩く」の様子
岩田とも子さんの作品「遠くの地面を歩く」の様子

新型コロナウィルス感染症拡大防止対策のため、これまでのフェスらしい形ではなく、展覧会に近い形での開催となったが、障がいがある人も一緒に展覧会を楽しめる「アクセシビリティ」にはこれまで通り力を入れたほか、オンラインでの参加型ワークショップの開催や、一部作品のオンライン公開など、より多くの人にアクセスしてもらいやすくもなった。また、糸電話や手旗信号を用いて、他の参加者と気持ちをシェアするなど、ソーシャルディスタンスを敢えて楽しむような新しいアイディアも数々散りばめられた「新たな挑戦」の形となった。

アクセシビリティカウンター
アクセシビリティカウンター

この2年、アーティストは変化に対応する力を得た

TURNのなかには「TURN交流プログラム」といって、アーティストが福祉施設や高齢者施設、インターナショナルスクールなどに通って交流する取り組みがある。交流は長期に及ぶこともあり、一番長い人は2015年から交流を継続している。

しかし、2020年、コロナの影響で突如「会えない」事態となってしまった。それでもアーティストたちは交流先の人たちとの「対話」を諦めなかった。

たとえば、ダンサーの大西健太郎さんは、知的障がいのある方たちの福祉施設である板橋区立小茂根福祉園と共に施設を地域に開く活動を続けてきた。そこでは、施設の外から人が来た時に、利用者の人たちがいつもと違う表情や姿勢を見せ、それに気づいた職員の人がそのことを施設の外の人に伝えることで、また魅力が伝わっていく「円環」が生まれていたという。コロナ禍で外との交流が途絶えることによって、その円環も止まってしまうことに危機感を覚えた大西さんは、「二つの衣装が一つにつながった衣装」を施設に送り、利用者さんや職員さんたちに着てもらい、つながったまま行動する様子を映像作品にした。外の人と会えないなかでも「普段とは違う自分」と出会える時間を育もうとしたという。

大西さんと板橋区立小茂根福祉園の活動紹介エリアの様子
大西さんと板橋区立小茂根福祉園の活動紹介エリアの様子

日比野克彦さん(以下、日比野)「コロナ禍でできなかったこともあるけど、今までの常識とは違う発想によってできたこともたくさんあったと思う。

一つの方法しかもっていないと、変化に対応できないから生き物として弱くなる。この2年ぐらい、これまでとは違うやり方を考えたり挑戦したりすることで、アーティストたちは変化に対応する力を得たんじゃないかな。その時間は決して無駄ではないはず」

支援する側/される側の一方通行ではない、アートの新たな可能性

「出会いと対話」を求め続けたのはアーティスト側だけではなく、施設側もだったという。

TURNを始めた当初は、どの施設も、アーティストと一緒に何かをする時間的な隙間もなければ、取り組みの意義を積極的に理解してもらえるところも少なく、いわば「門を叩く」形でスタートした。

しかしコロナ禍で感染対策のために施設が社会から「隔離」された状態となった時、施設側からアーティストとの交流を切望する声があがった。「はじめましての稀人」が「よくいる人」になり、ついには「いないと寂しい人」になれた。長期的な交流を通じて、信頼関係を育んできた証であり、アートがもつ新たな可能性を示す出来事とも言えるだろう。

もう一つ、TURNが当初から目指してきたことが「アーティストも“受け取る側”になる双方向の関係性」だ。先述の大西さんの作品もそうだが、アーティストたちが、利用者さんとの出会いから新たな作品のインスピレーションを受け取っている。

2019年から渋谷区障害者福祉センター「はぁとぴあ原宿」と交流してきたアーティストの永岡大輔さんは、ある利用者さんと原宿の街を歩いた時に、周囲の人がその人の存在を見えないかのような、不在の扱いをすることに違和感を覚えた。どうしたら利用者さんと地域の人たちとの出会いの場を作れるか考えた末に出てきたアイディアが「似顔絵を描き合う」ことだった。お互いに“眼差す”ことで、より深く、ゆっくり出会うことができる。言葉とは違った心の通わせ方ができる。本展では、テントの下で、参加者が似顔絵を描き合うという、いつか「はぁとぴあ」の近隣で開催したい形を実演した。

参加者同士で似顔絵を描き合う様子
参加者同士で似顔絵を描き合う様子

福祉領域は、支援する側とされる側、与える側と与えられる側が一方通行の関係性になりやすい。そうではなく、お互いにリスペクトを持ち、影響を受け合う形をTURNは目指し続けてきた。それが、コロナ禍という非日常に際してたしかな実を結んだと言えそうだ。

コロナの時代だからこそ強くなる作品のメッセージ

一方、今回はじめてTURNに参加したアーティストの山本千愛さんの作品は、コロナ禍の今だからこそメッセージが強くなる作品と言えるかもしれない。

山本さんは「12フィート(約366cm)の木材を持って歩く」様子を映像やテキストで記録する作品を作ってきた。山本さん自身は、「TURNは福祉施設などと協創するイメージが強かったので、参加させてもらえるなんて驚きました」と声がかかった時の印象を語る。

山本さんに2019年のあいちトリエンナーレで出会ったという日比野さんは、山本さんにTURNへ参加してもらった理由をこう話す。

日比野「普通は、時間の経過とともに増えていくものだが、山本さんの作品は、時間が経つほどに棒がすり減っていく。時間が磨耗していく。そこにTURN的なおもしろさを感じた。違う時代であれば、なんだこれ、意味がわからないって言われたかもしれない。でもコロナ禍以降、何が不要不急なのかを問われる状況で、山本さんの、動けば動くほどなくなっていくという行為が語りかけるメッセージは大きくなっていると思いますね」

これからの時代は一層、非日常を得意とするアートの出番

さて、山本さんはコロナ前から「棒を持って歩く」作品づくりを続けているが、「移動する」ことが制限されたコロナ禍で難しさはなかったのだろうか。

山本千愛さん(以下、山本)「もともと、愛知から北九州に引っ越す予定で、2020年の3月に歩き始めたんです。でも、途中で緊急事態宣言が発令されたことで、福岡県で居候する予定だったお家から断られ、行き先も帰る場所もなくなってしまった。

そんなどうにもならない状況に直面して、改めて自分の原点を振り返ったら、そもそも、もっと日常にエラーや理不尽さを増やしたくて歩き始めたんだって気づいたんです。望んだ結果が、今、目の前にあるんだなって。

愛知に戻る選択肢もありえたのですが、たどり着いた山口県での想定外の暮らしのほうが、予測不能で絶対面白いはずだと思ったので、山口の知り合いをあたり、住まわせてもらいました。

理不尽なこととか、自業自得な部分もあると思いますが、それを飲み込んだ先の、自分でも予想できない新しい局面をおもしろいと感じますね」

日常にエラーを誘発し、予測できないその先を楽しむ姿勢は、他のアーティストたちにも共通するかもしれない。日比野さんは、そうした「非日常を得意とするアート」の出番がこれから一層増えるだろうと話す。

日比野「電気・水道・ガスといった物理的なインフラだけでなくて、精神的なインフラも非日常においては大事な生きる力になる。アートもその一つ。ここでいう『アート』は、「今、ここ」とは違う時間を想像しながらも、日常に近い距離感のアート。それが非日常的なときに機能する。残念ながらこれからの時代、災害は非日常のことではなくなってくる。そのとき、ますますアートの出番になると思うし、日常にもっとアートが存在するようになってほしい」

自分だけが「答え」を持っているわけではない。衝突や不安定さも含めて成り立つ社会へ

最後に、日比野さんと山本さんに、TURNのキーワードである「多様性」について話を聞いた。

「多様性」という言葉は近年よく見聞きするが、その「多様」が指すものが、障がいやセクシュアルマイノリティなどの限られたもので、どこか多様ではなくなっているようにも感じられる。二人に「多様性」を言い換えるとしたら、どんな表現をするか聞いてみた。

日比野「『ひとりひとり』だね。究極の多様性はひとりひとりだし、その『ひとり』も、その日の気分や、出会った人によって変わる。絶対的なものなんてない。今の時代は特にそのことを感じやすいんじゃないかな。メディアも、SNSも、政府も絶対じゃない。変わることは当たり前になっている。だから、『地球上に生きている人×その日・その時の気持ち』の数だけ、多様性はあるのだと思う」

山本「日比野さんの話を聞いていたら、多様性って『今日を生きる』ことなのかなと思いました。多様性って、他者だけを指すんじゃなくて、そのなかに自分もいるのだと思います。だから、今日を1日生きてみましょう、ってことなのかなと」

「ひとりひとり違う」社会のなかで、時には自分が苦手だと思う人と出会うことや、誰かと衝突することもある。二人はそんな時に、どんなことを意識し、大切にしているのだろうか。

山本「以前は、木材を持って歩いている時、『何やっているんですか?何のためにやっているんですか?』って聞かれたら、言葉でなんとか説明しようとがんばってきたんです。

でも最近は『お時間があれば、一緒に持って歩きませんか?』って誘います。一緒に体感してもらうと、言葉では表せない『分かる』を共有できることがあるし、その人の生の感想が、私にはない視点だったりするんです。一度、日比野さんも一緒に歩いてくれた時があったんですが、そのとき日比野さんが『地球と歩いているみたい』って言ったのも、私にとっては新鮮でした。そんなふうに、『私が“答え”を持っていて、それを一方的に開示する』というより、『一緒に体験し、相互作用をお互いに楽しむ』コミュニケーションにシフトしてきていますね」

日比野「不得手なものを受け入れなさいというのは無理だと思う。それを続けると、受け入れられない自分に嫌悪感が湧いたり、否定的になったりして心が折れてしまう。嫌いなものは嫌いであっていい。ただ、それを『私の前からいなくなって』ではなく、『苦手だけどそこにあっていい』と考えてていくといいんじゃないかな。今は過渡期だと思う。これまでは、なるべく他者とぶつからないことが良しとされてきた。でも衝突がない世界を突き詰めると、誰とも接することなく、自分の個性も出せなくなってしまう。みんなAIみたいになっちゃうよ。これからは、摩擦や不安定さがあるからこそ感じられるものに価値を見出していく時代なんじゃないかな。そのためにも、不安定さを含めて成り立つ社会を築く知恵が必要になると思う」

今後、ますます不確実になっていくであろう未来を生きるうえで、「アート×多様性」の可能性を探究するTURNの取り組みは、きっと多くのヒントを私たちに届けてくれるだろう。そして、そのヒントを受け取ったあとに、あなたはどんな「今日の自分を生きる」だろうか。

◇◇◇

「TURN フェス6」2021年

主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京・東京都美術館、特定非営利活動法人Art’s Embrace、国立大学法人東京芸術大学

共催:東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会

写真提供:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京

撮影:冨田了平

◇◇◇

東京都美術館での展示は終了したが、各プログラムの見所を紹介する「TURN TV」、音で楽しむ「TURN Tunes」などのオンラインプログラムは9月30日までアーカイブにて鑑賞可能だ。山本さんが今春、山口と北九州の間を棒を持って往復した時の「日記」も公開されているほか、ラッパーのマチーデフさんが、吃音の人たちと取り組んだオリジナルラップの制作プロセスなど、様々なコンテンツを味わえる。https://fes2021.turn-project.com/online/

(文:アーヤ藍)

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