広島と長崎の「原爆の日」と終戦記念日の式典。今年も、戦後日本の在り方を考えさせられた。例年と違うのは、約2カ月半前にオバマ米大統領が広島を訪問したことだった。
公式の場では、両市の市長らはオバマ氏の広島訪問を高く評価し、日米両国民の心の傷を癒やしたかに見えた。しかし実は、一部の被爆者たちは大統領のスピーチに強い拒否反応を示していた。彼らの主張で、長崎の「平和宣言」案文の一部は修正を加えられていた。
事実、広島で大統領が発表した「所感」は被爆地でのスピーチとしては、全く異例の内容だった。ホワイトハウスの「スピンドクター(世論操作の達人)」らが舞台裏で心理戦略、地政学的な戦略を駆使し、一見日本人の心を引きつけたかに見えた。
戦後、アメリカの対日心理戦略は成功を重ねてきた。1953年1月アイゼンハワー政権が、情報機関も関与した心理戦略委員会(PSB)で策定した「日本に対する心理戦略計画(D-27)」は「アジアにおける米国の目標達成に日本を最大限貢献させる」ため、日本の安保・独立の維持、日米同盟、日本の経済繁栄など9項目の目標を掲げた。在日米大使館内にラジオ部を作ってラジオ番組を制作、民放各局に無料で完全パッケージ番組を配布したりして、日本人の「アメリカ好き」を促進した。
しかし、終戦から70年を過ぎた今年は転機を記したように見える。
日ロ接近を懸念したオバマ
そもそもオバマ大統領はなぜ、広島を訪問したのだろうか。大統領の広島訪問計画は、そのタイミングからみて、今年5月の安倍晋三首相のロシア・ソチ訪問と並行して具体化していったのは明らかだ。
首相の訪ロ計画に関し、米側は外交ルートを通じて再三自制を要請。2月上旬、林肇外務省欧州局長が訪米して、米側に理解を求めた。これに対してオバマ大統領は2月9日、日米首脳電話会談で「今はそのタイミングではない」と首相の訪ロ自粛を求めたが、首相はプーチン・ロシア大統領との対話の重要性を強調し、オバマ氏の要請を退けたと伝えられる。
大統領は首相の「対ロ接近」に強い不満を抱いており、ウクライナ情勢やシリア内戦をめぐって対立するロシアの動きを批判したという。
5月6日のソチでの日ロ首脳会談で、両首脳は、北方領土問題についてこれまでにない「新たな発想」で交渉を進め、現在の首脳同士で解決することで一致。さらに首相は極東地方の振興など8項目の経済協力案を提示し、9月のウラジオストクでの「東方経済フォーラム」で再会談することでも合意した。
特に、西側諸国が対ロ制裁を維持する中で、日本が対ロ経済協力を提案したことは米国にとっては刺激的だったに違いない。
その前日の5月5日、プーチン大統領に近く、欧米から渡航禁止の制裁を受けているナルイシキン下院議長の6月訪日が発表された。同議長はオバマ訪日の約3週間後の6月16日来日したが、その際安倍首相とも会談し、原爆投下直後の広島、長崎の様子を記録したDVDを渡した。明らかに、日本をめぐって米ロが競い合う図式となった。このようにして、オバマ氏は広島訪問で日本の国民感情を引き付ける必要に迫られていった。
ホワイトハウスの2条件は心理戦略
こうした異例の動きが続く中、4月9日付ワシントン・ポスト紙に、日系人のデービッド・ナカムラ記者は、米大統領が「広島訪問を検討」とのスクープ記事(電子版)を広島から送稿。オバマ広島訪問へ事態は動き始めた。
「核なき世界」を掲げる米大統領の被爆地訪問は日本国内では期待感が強かったが、ホワイトハウス側の姿勢はそれまで、非常に消極的だった。昨年8月6日の定例会見でも、アーネスト大統領報道官は「過去3、4回の訪日で大統領が広島、長崎に行かなかった事実には一定の示唆がある」と述べた。具体的な理由に言及しなかったものの、米大統領の被爆地訪問は実現しそうにない印象を残した。
ところが今年、状況は大きく変わった。
ケリー米国務長官を含むG7外相が広島で会談し、原爆死没者記念碑に献花した翌日、4月12日の定例会見では、アーネスト報道官は、広島訪問の意義を強調した。さらに、ワシントン・ポスト紙とニューヨーク・タイムズの2大米有力紙が大統領の広島訪問を支持する社説を掲載して、ムードを高めた。
これらの動きを通じて、米側から(1)大統領は謝罪しない(2)オバマ大統領は原爆投下決定の是非などは論議せず、「核なき世界」への政策課題を追求する――という重要なポイントが指摘された。この2点は事実上、ホワイトハウスが日本側に出した大統領の広島訪問の条件と受け取られた。
それ自体が米側の心理戦略だった。日本国内では、大統領がせっかく来てくれるのだから、謝罪を求めたり、歴史的な責任を追及したりするのはやめよう、といった雰囲気が醸成されていった。
「広島訪問反対」を軽視
そもそも、米現職大統領の被爆地訪問に対する米国内の反対論は大きく後退していた。米世論調査機関ピュー・リサーチ・センターが2015年8月4日発表した原爆投下に関する米国民の意識調査によると、米国民の意見は過去70年間で次のように大きく変化していた。
戦争直後の1945年の時点で、米国では原爆投下を承認する意見は85%だったが、2005年には57%に減少。「原爆投下は正当か」との質問に対して、「正当だ」と答えた人は1991年には63%(「正当ではない」29%)だったが、2015年には56%(「正当ではない」34%)と、原爆投下を正当視する意見が弱まった。
1995年、スミソニアン博物館の原爆展の一部が米在郷軍人連盟の猛反対で中止になったいきさつがあるが、今回は在郷軍人連盟は動いていなかった。フィリピンのバターン半島で「死の行進」を経験した元米兵らが中心の「全米バターン・コレヒドール防衛兵記念協会」が4月14日付でオバマ大統領に対して広島訪問を取りやめるよう求める書簡を送付したことが伝えられた程度だった。
これに対して、ホワイトハウス担当者は5月21日、同協会に対して、大統領の広島訪問への同行を打診した。しかし3日後、ホワイトハウスから「同行はなくなった」と連絡があり、取りやめとなった。恐らく、何らかの計画変更があったためだとみられるが、ホワイトハウス自体、大統領の広島訪問への反対運動など軽視していたことがうかがえる。
折り紙は100円ショップで調達
スピーチに約17分間、原爆資料館内の見学に約10分間と簡潔に済ませ、平和記念公園訪問に合計わずか約50分間、とする計画自体がまさに、スピンドクターの腕の見せ所だった。
むごたらしい遺物を展示する原爆資料館をつぶさに見て回ることは避けた。アジア諸国から強い批判を受ける安倍首相と行動をともにする風景を避けるため、安倍氏とは同時に献花せず、両者の献花に時間差を設けるなどの小細工もした。
原爆資料館の見学が短かすぎるとの批判も予測してか、プレゼントに手作りの鶴の折り紙4個を持参する気配りも見せた。
こうした準備にはドタバタの作業もあったとみられる。スピーチは17分間と日本政府側に通告したのは直前のことだった。
梅の花や麻の葉をあしらったデザインの折り紙を選択して気を利かせた、とも評価されたが、TBSテレビの取材で、関東一円に販売網を持つ100円ショップで買った折り紙セットの4枚だと分かった。広島に向かう直前に急ぎ在日大使館員らに折り紙を準備させたのではないか。
「大統領のハグ」の仕掛け
日米間の打ち合わせで双方が最も神経質にやりとりしたのは、大統領と被爆者の交流の場面とみられる。最終的には、オバマ大統領が被爆者の森重昭さん(79)を抱きしめたシーンが、大統領の広島訪問を象徴する「絵」になった。恐らく、歴史的にも今後繰り返し使われるシーンになるだろう。
だが、この場面には演出があった。大統領と交流する被爆者に選ばれたのは、森さんと日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の坪井直代表委員(91)だった。米側は事前に、森さんを「親米」、坪井さんを「反米の可能性も」と色分けしていた可能性がある。それが証拠に、森さんには米側、坪井さんには日本側の通訳、と別々に通訳が付いていた。
最初に話した坪井さんの言葉を聞いて、大統領は体をくねらせ、笑顔を見せた。来たばかりなのに「大統領退任後も広島に来てください」と注文を付けられ、笑ってごまかしたのではないだろうか。
だが、被爆死した米兵捕虜12人の遺族を取材した森さんには優しくねぎらい、抱き寄せた。最初から親しく話そうとしたようだ。米側はこれで成功、と考えたのではないか。
物語を作るスピーチライター
スピーチをまとめるなどの中心的な役割を担ったのは、オバマ・ホワイトハウスのスピンドクター、ベン・ローズ国家安全保障問題担当副補佐官だった。彼の公式の任務は、「戦略広報兼スピーチライター」だ。
この人物、実はオバマ広島訪問発表の直前に、深刻なスキャンダルに見舞われていた。5月5日付『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』に掲載された「オバマ外交政策の権威と化した、上昇中の小説家」と題する記事で、昨年のイランとの核合意をめぐる広報で、合意に至った経緯を作り話をまじえた「物語」に仕立て上げ、反核団体を使って合意を宣伝した事実を自慢げに明らかにした。インタビューでは「ワシントンの記者たちは何も知らない」と彼自身、記者たちを小バカにしていた。
今年39歳。小説家を志望し、ニューヨーク大で文学を学んだ後、ハミルトン元下院外交委員長補佐官として米同時中枢テロ独立調査委員会などの調査と報告書作成に携わった経験を経て2008年大統領選以来、オバマ氏のスピーチライターを務めてきた。
彼は広島スピーチでも創作した。通例の手続きに従って、ローズ氏が大統領の意見を聞いて第1稿を書き、国務・国防・エネルギーの関連各省、中央情報局(CIA)などに回覧して、問題箇所を削除してもらい、最終稿をまとめたと伝えられている。
このスピーチの中で多くの被爆者が違和感を覚えたのは最初の部分だった。「空から死が降ってきて世界は変わった」と、アメリカが原爆を投下した事実さえ認めなかったことだ。
ロシアと張り合って大統領の広島訪問を実現し、スピーチで米世論を刺激しなければ及第点。そんな表現を入れ、抽象論で終始しても日本人は喜ぶ――とでも考えたのだろうか。
平和宣言から「感動」を削除
共同通信の報道によると、長崎の2016年平和宣言起草委員会では、「原爆投下を自然現象のように語り、過ちを認めていない」などとする批判が出た。当初の宣言案では、大統領が森さんと抱き合った姿を「人々に感動を与えた」としていたが、反対の意見が出て、「感動」の表現は削除されたという。やや場違いな表現だが、日本人として一矢を報いたと言えるかもしれない。
帰国後、ローズ補佐官は自分のブログに、大統領が自ら直前までスピーチ原稿を推敲していた、として手書きの書き込みが入ったペーパーをアップした。ローズ補佐官の狙い通り「大統領が自ら関与」、とほとんどのメディアが報道したが、別にヒューマンな内容に変わったわけではなかった。
オバマ大統領は、特に人道主義者ではない。反戦を掲げて就任しながら、2期8年の最初から最後まで戦争を続けた唯一の大統領として来年1月退任する。
春名幹男
1946年京都市生れ。大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒業。共同通信社に入社し、大阪社会部、本社外信部、ニューヨーク支局、ワシントン支局を経て93年ワシントン支局長。2004年特別編集委員。07年退社。名古屋大学大学院教授を経て、現在、早稲田大学客員教授。95年ボーン・上田記念国際記者賞、04年日本記者クラブ賞受賞。著書に『核地政学入門』(日刊工業新聞社)、『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書)、『スクリュー音が消えた』(新潮社)、『秘密のファイル』(新潮文庫)、『スパイはなんでも知っている』(新潮社)などがある。
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(2016年8月19日フォーサイトより転載)