2017年5月7日、フランスで行われた大統領選挙の第2回投票では、超党派「前進!」のエマヌエル・マクロン候補が66%を獲得して圧勝した。ヨーロッパ諸国と世界は、安堵の胸をなでおろした。
極右の「国民戦線」(FN)党首・ルペン候補が45%を超えるかもしれない、という予測もあった。そんな中、投票日4日前の最後のTV討論会で、ルペンは粗暴で中身のない議論を繰り返して相手を挑発するばかりで、視聴者の嫌気を買ってしまった。
とはいえ、2002年の大統領選で、社会党のジョスパン候補が支持者の動員に失敗し、思いがけずも父親のジャン・マリ・ルペンが第2回投票に残ったときの18%という得票率からすると、完敗であったとはいえ、2倍近く支持率を上げることには成功した。その意味で、極右勢力の伸長が著しいことに変わりはなかった。
マクロンは、開票速報を知らされてから2時間半後、ルーブル宮殿前の広場で勝利の演説を行った。数千人の支持者が集まる中、EUの公式賛歌であるベートーヴェンの「喜びの歌」をBGMに、ブリジット夫人の手を携えて現れ、
「私たちがやってきたこと、みんなが私たちに、そんなことは不可能だ、と言いました。しかし彼らの方がフランスを知らなかったのです(私は大統領になりました)」
と、不可能を可能にした自分たちの偉業を自画自賛した。
フランス第5共和制では、マクロンはドゴール以来8代目の、しかも最年少の大統領である。いや1848年、第2共和制で大統領になった40歳のルイ・ボナパルトより1つ若い、フランス史上最も若い25代大統領の誕生となった。ルーブル宮からカルーゼル門のあるチュイルリー公園に向かうと、左側には馬上の太陽王ルイ14世の像が見える。そして右には革命直前の大政治家テュルゴー財相の館があった。文学青年でもあるマクロンは、フランスへの人文的愛国主義の強い保持者だ。ナポレオンについてもよく言及した。いままさに権力の頂点にあって、マクロンはフランスの歴史の偉大さと自分を重ねているのだろうか。彼はさらに、
「ヨーロッパと世界は私たちが啓蒙精神を守ることを待ち望んでいます......任務は途方もなく大きい。......私は皆さんのために奉仕します」
と、マクロン一流の美文調の言葉を並べた。
選挙期間中のマクロンの演説は、共和国の理念と民主主義擁護のための連帯をうたった美辞麗句にちりばめられていた。そんなマクロンの言葉が、若い人を中心に、人々に届いたのは確かだった。しかしそれは実現するのだろうか。
既成大政党への拒絶
本欄ですでに述べてきたように、今回の選挙は終始ルペンが主役だった。フランス大統領選挙は2回投票制で、過半数を取った候補者がいない場合には上位2者で決選投票が行われる(過去に1回で決まった例はない)。世論調査では、ルペンが確実に第2回投票に残る、というのが今回の選挙戦の大前提だった。これ自体がすでに、フランス政治の大変革を意味した。
そうした中で、他党はいかにして第2回投票に候補者を残すのか、という狭い範囲での選択に腐心した。極右勢力の躍進によって保守派が動揺し、フィヨン候補が架空雇用金銭スキャンダルで沈む一方で、オランド大統領の人気低迷を加速化させるかのように、社会党は内部分裂した。
こうした間隙を縫って、独立系中道左派のマクロンが社会党右派と共和党左派を糾合し、さらに中道派「MoDem(民主運動))のバイル代表の後押しもあって急浮上、短期間に勢いを得て押し切った形となった。
その背景にあった有権者の政治意識はどうだったか。それは、第5共和制発足以来の既成大政党の統治に対する拒絶だった。社会・治安・経済問題で袋小路に陥っている政治への不信と反発が、そこにあった。今回の大統領選挙では極右・極左が勢力を伸ばしたが、それはこうした苦境の中で一般民衆に人気取り政策を掲げるという、ポピュリズム現象の高揚があったからだ。
驚くべき現象
しかし、結果としてフランス国民が選んだのはルペンではなく、マクロンという39歳の、国際的には無名の青年政治家だった。このことはフランス国民が、排外主義・ナショナリストの政権を拒否したことを意味する。
そのためには有権者は、第1回投票から、ルペンに勝つことができて、無難な政策を掲げた候補を選ばねばならなかった。第1回投票後の調査 (4月30日~5月1日・対象者1万3742人、『ル・モンド』紙)では、第2回投票でマクロンに投票するとした人のうち60%が「他にいないから」という理由をあげ、ルペンに投票するとした人のうち59%が、「この人だから投票する」と答えている。好感度で見ると、ルペンを「嫌い」とした人は51%だが、マクロンを「好き」と答えた人も7%であった。これは、ルペンを忌避する人がマクロンをやむなく選択する、という結果だ。
だから国民には、フラストレーションがたまる「消極的な選択」「負の選択」となった。棄権が歴代3番目の高さに及んだことも、それを表している。そして6月に控えている国民議会選挙を前に、フランス国民の61%が、マクロン派が絶対過半数を得ることを望まないと答えている。これはある意味で驚くべき現象だ。
というのは、第5共和制で大統領と国民議会議員の任期をそれぞれ5年にして、同じ時期に選挙を行うようにした理由は、大統領の多数派がその勢いで議会でも多数派になり、実行力のある政権を作ることにあったからだ。ところが今回マクロン大統領の誕生に当たっては、国民はそれを望まない、ということだ。第5共和制の論理が否定されたのである。極右ルペン・シンドロームは、第5共和制の根幹を揺らしているのである。
「エリート」への「庶民」の抵抗
また、決戦投票に残った2人の候補の対立は、エリートと庶民・人民の対立構造ともなっていた。マクロンの支持者は、大都会や青年層、高収入・富裕層に多いことが指摘されている。逆にルペン支持者は、農村の生活苦に直面する人たちや、労働者・下級事務職員・失業者などに多いという統計も多数出ている。ルペンが「フランス人民の大統領」を目指す、と豪語したのも根拠なしとはしない。
"世界はグローバリゼーションという名の国際金融資本が労働者階級を搾取している"という100年も前のマルクス・レーニン主義テーゼを力説し、「反EU」を掲げた極左のメランション候補が19%以上の支持率を第1回投票で得たことにも、それは明らかだった。思想は右と左で違っていても、エリート資本への庶民の抵抗の一翼を担うという点では、ルペンとメランションは一致していたのである。
国民戦線が急成長した大きな要因は、社会不満を吸収するために社会福祉政策重視を掲げたからだった。しかしそれはフランス第1主義に支えられていた。「福祉排外主義」と呼ばれるポピュリズムに共通の点である。
政界再編は不可避
大統領に当選はしたものの、基盤の脆弱なマクロン政権の道は平坦ではない。経済・雇用、社会保護、教育改革、テロ対策など難題は山積みだ。
経済リベラリズム、左派的社会保障政策重視を掲げるマクロン政権は、社会党右派の意見であり、オランド政権と実は立ち位置が良く似ている。女性スキャンダルで失脚した社会党リベラル派のシュトラス・カーン元国際通貨基金専務理事の下で活動していた青年たちの多くが、マクロンのもとに集まっている。また「もっと働き、もっと稼ぎましょう」というスローガンを掲げ、柔軟な対応と安全を意味する「フレクセキュリティー」を強調したサルコジ元大統領の発想を、マクロンは共有する。
ならば当面の政府・議会運営は、どうしていくのだろうか。
まず首相には、刷新をイメージでき、同時にマクロンの議会経験のなさを補う、議会政治に熟達した人物が望まれる。先に挙げたバイル、保守派ジュペ元首相の系列のエドアール・フィリップ、社会党のルドリアン元国防相、サルコジ時代に次期首相候補ともいわれた中道派のボルロー元環境・エネルギー相、マクロンの側近のリシャール・フェランのほか、様々な名前が挙がっている。ただ、6月の国民議会選挙で「マクロン与党」がどれだけの議席を取れるのかが、未知数だ。
いずれにせよ、フランスの政界再編成は不可避である。そこでマクロン派がどのような役割を果たし、どのような政界構造となるのか。
従来の政党とは異なったマクロンの政治グループ「前進!」は、「共和国前進」という旗のもとで議会選挙を戦うことになっている。この政治勢力の行く末は、「ポスト政党政治」の新しいあり方のきっかけになる可能性もある。
「ポスト・トゥルース」の時代
既成政党の否定は、ルペンやマクロンというアウトサイダーが飛び出した背景である。いずれもトランプ現象と呼ばれる状況に似ている。
この現象は欧州や世界に拡大していくのだろうか。第2回投票でこれまで最高の34%近くの支持票を得た国民戦線の大躍進は明らかだったが、大統領の椅子は逃した。一気に大統領誕生の姿を夢見た熱烈な支持者には大きな挫折感がある。マリーヌ・ルペン現党首の下、「脱悪魔化(ソフト路線)」を目指したこの政党の、今後の路線闘争をめぐる議論がかまびすしくなる可能性は高く、内部分裂の危機さえはらんでいる。フランス国民は、ポピュリズムという形での社会不満の表出は認めたが、彼らに政権を取ることまでは許さなかった。ポピュリズムの拡大は、現時点では限界がある。
しかしその温床が断たれたわけではない。インターネットをはじめとする情報氾濫の時代、「ポスト・トゥルース」と呼ばれる現象が拡大している。結果が真実を捏造する。そこでは、民主主義の原点である信頼関係と誠実さは問題とされない。つまり説明責任の欠如であり、ポピュリズムがもたらす民主主義の破壊である。これらは「トランプ現象」が投げかけた今日の世界的課題ではあるが、大統領になるために巧みに言説を弄し、その場しのぎの発言を繰り返したルペン候補が決選投票に残ったことの、真の危険はそこにあったのである。(敬称略)
渡邊啓貴
東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。1954年生れ。パリ第一大学大学院博士課程修了、パリ高等研究大学院・リヨン高等師範大学校客員教授、シグール研究センター(ジョージ・ワシントン大学)客員研究員、在仏日本大使館広報文化担当公使(2008-10)を経て現在に至る。著書に『ミッテラン時代のフランス』(芦書房)、『フランス現代史』(中公新書)、『ポスト帝国』(駿河台出版社)、『米欧同盟の協調と対立』『ヨーロッパ国際関係史』(ともに有斐閣)『シャルル・ドゴ-ル』(慶應義塾大学出版会)『フランス文化外交戦略に学ぶ』(大修館書店)『現代フランス 「栄光の時代」の終焉 欧州への活路』(岩波書店)など。
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(2017年5月9日フォーサイトより転載)