「敗北は勝利の始まり」ジャスティン・トーマス物語--舩越園子

だからこそ「どんなときもチャンピオンのようにプレーする」

昨季は「全米プロゴルフ選手権」を制し、メジャー1勝を含むシーズン5勝を達成。米ツアーの年間王者の座を獲得した上に、選手投票で選ばれるプレーヤー・オブ・ザ・イヤーにも輝いたジャスティン・トーマス(24)。今季も開幕早々に韓国で初開催された米ツアーの新大会「ザ・CJカップ@ナインブリッジ」を制して通算7勝目を達成し、世界ランクは現在3位(10月23日時点)。

文字通り、世界のトッププレーヤーとしての揺るぎない地位を確立したトーマスだが、私の記憶の中で最も印象に残っているのは、彼が挙げた数々の勝利のシーンではなく、米ツアーで初めて優勝争いに絡んで負けた敗北のシーンだ。

トーマスが米ツアーにデビューしたばかりの2015年の春。カリフォルニア州のパーム・スプリングスで開催された「ヒューマナ・チャレンジ」で、彼はルーキーにして最終日を最終組で迎え、初優勝に迫っていた。

だが、終盤16番で池に落としてダブルボギーを喫し、残り2ホールで立て直せず、7位で終わった。敗北した新人にレコーダーを向ける米メディアは1人もおらず、ポツンと立っていた彼に外国人メディアの私が声をかけた。

池ポチャ後も「奇跡だって起こるから、あらゆる可能性を信じて、最後まで諦めなかった」と毅然と答えたトーマス。「負けたことはとても悔しいけど、そのぶん燃え上がる」と彼は力を込めた。

悔しいからこそ闘志が沸く。そう、キャリアの出だしで喫したあの敗北が、その後の勝利につながった。あの日があったからこそ、今の彼がある。敗北は勝利の始まり。失敗は成功の始まり。

だからこそ「どんなときもチャンピオンのようにプレーする」。それがトーマスの座右の銘だ。

「努力と想い」

「僕がプロゴルファーになったのは血だ」

トーマスは父親も祖父もPGAオブ・アメリカ所属のクラブプロというゴルフ一家で生まれ育ったサラブレッドだ。

物心ついたときにはゴルフクラブを握っており、初めて試合に出たのは8歳、初めて勝利の味を知ったのは12歳。ジュニア、アマチュア、アラバマ大学ゴルフ部時代を経て、2013年にプロ転向。2014年は下部ツアーで1勝を挙げ、2015年から米ツアー参戦を開始した。

そのときまでにトーマスが挙げた勝利数は通算125勝と知って驚かされた。だが、その出発点となったのは、悔しさと羨望の念だった。

「8歳で初めて試合に出たとき、プレーオフで負けた。僕はまだ体が小さくて、優勝したチャンピオンが大きく見えた。自分も早く大きなチャンピオンになりたいと闘志が沸いた。それがすべての始まりだった」

ジュニア時代、ともに腕を競い合ったジョーダン・スピース(24)は昔も今も最大最高のライバルであり、親友でもある。

米ツアーデビュー早々に味わった2015年ヒューマナ・チャレンジでの悔しい敗北からほぼ1カ月後、トーマスはスピースとスピースの妹エリーと3人、テキサス州内の小さなレストランでひっそりと夕食を共にしていた。

前年のマスターズで優勝争いに絡みながらバッバ・ワトソンに惜敗したスピースを「今年こそ、勝ってこい!」と激励し、オーガスタへ送り出すための壮行ディナー。そのとき新人トーマスはまだマスターズ出場権を持っておらず、親友を激励する気持ちにウソはなかったが、ライバルを送り出して自分は帰宅することは、アスリートとしては悔しい現実だった。

だが翌週、スピースがグリーンジャケットを羽織った姿を目にしたトーマスは、敗北を勝利に変えた親友に自分を重ね、「努力と想いがあれば、必ず雪辱は果たせる」と自分自身に言い聞かせた。

その年の秋、マレーシアで開催された「CIMBクラシック」でトーマスはついに米ツアー初優勝を遂げた。またしても最終日は終盤14番で池に落としてダブルボギーを喫したが、その後の3連続バーディーで巻き返し、見事に勝利。「初優勝したことより、池ポチャからの3連続バーディーが誇らしい」と自ら発信したトーマスのコミカルなツイートに彼の大物ぶりが垣間見えた。

勝利への渇望

翌年、CIMBクラシック2連覇を成し遂げ、2017年シーズンを好発進したトーマスは、年が明けると今度はハワイで2週連続優勝を達成。2016年の秋冬に快進撃を続けていた松山英樹(25)に取って代わり、「今、地球上で最もホットなゴルファー」と呼ばれた。

6月の「全米オープン選手権」では3日目に大会記録を塗り替える9アンダー63をマークして一気に2位へ浮上。メジャー初優勝に迫ったが、浮き足立った様子は見せず、「目指すは優勝のみ」と淡々と語った。しかし、最終日はメンタル面から崩れ、75を叩いて9位に甘んじた。

その後は2試合連続予選落ちを喫し、「全英オープン」でも予選落ち。出場3試合連続予選落ちはトーマスの心に突き刺さった。だが、それでも彼はロイヤル・バークデールにとどまり、最終日の18番グリーンの奥に立って、親友スピースがメジャー3勝目を挙げる瞬間を、あえて自分の目に焼き付けた。

「僕らはみんな勝ちたいと思っている。でも自分が勝てなかったときは少なくとも仲間の勝利を讃え、楽しむ。それに、そうやって仲間の勝利を見て祝うことは、僕らをより一層ハングリーにしてくれる。全英オープンを制したジョーダンの勝利の姿が僕の勝利への渇望を掻き立ててくれる」

「クェイルホロー・クラブ」で単独首位に立った松山を逆転し、トーマスが全米プロを制してメジャー初優勝を遂げたのは、その翌月のことだった。

「WIN-WIN-WIN」

昨季はじめに「最もホットな選手」の異名を松山から奪い、全米プロでは松山を倒して優勝したトーマスを「松山の天敵」と見る向きもある。だが、松山は「みんなそう言うんですけど、僕は全然、そんなこと思ってない」と首を横に振る。トーマスも、そんなふうにはまったく感じていない。

そもそも、全米プロで優勝争いをしていた真っ最中でさえ、トーマスは松山を相手に戦っているとは思っていなかった。

「ヒデキはヒデキ、僕は僕の世界でプレーしていた。ヒデキはとても素晴らしいプレーヤーだという以外に、僕が彼に関して言うことはない。そして、僕は僕以外の選手全員を倒すに十分なゴルフをすることができた。そんな自分に自信を抱くことができた」

8歳のときから、数々の敗北を勝利につなげてきたトーマスは、ようやく手に入れたビッグな勝利を次なる勝利へつなげていく新しいステップに立った。

昨季のシーズンエンドのプレーオフ第2戦「デル・テクノロジーズ選手権」でも優勝し、シーズン5勝目を達成。最終戦の「ツアー選手権」ではあと一歩で勝利を逃がし、2位に甘んじたが、年間王者の座と1000万ドルのビッグボーナスを獲得。プレーヤー・オブ・ザ・イヤーにも選ばれた。

そして先週は、米ツアーの新シーズン開幕第3戦、CJカップでマーク・リーシュマン(豪州)とのプレーオフを制し、通算7勝目を達成した。

膨らんだ自信が次なる勝利へ、さらなる自信へ、さらなる勝利へと、「WIN-WIN」に留まらない「WIN-WIN-WIN」状態になりつつある。

それでもなお感謝の気持ちを忘れず、謙虚であり続けるところに、ゴルフ一家で生まれ育ったサラブレッド性が感じられる。

優勝インタビューでは自分を支えてくれた誰かを"主人公"にして感謝の気持ちを言葉にする。父母、祖父、ガールフレンド、親友、仲間。CJカップの表彰式では「すべてはジミーのおかげだ」と相棒キャディのジミー・ジョンソンを讃えた。

敗北を糧にする。勝利も糧にする。ライバルもチームも家族も、誰もが助けになり、何もかもがトーマスの味方になる。

そんな彼は、どこまで大きくなっていくのだろうか。トーマス物語のこれからが楽しみでたまらない。

舩越園子 在米ゴルフジャーナリスト。1993年に渡米し、米ツアー選手や関係者たちと直に接しながらの取材を重ねてきた唯一の日本人ゴルフジャーナリスト。長年の取材実績と独特の表現力で、ユニークなアングルから米国ゴルフの本質を語る。ツアー選手たちからの信頼も厚く、人間模様や心情から選手像を浮かび上がらせる人物の取材、独特の表現方法に定評がある。『 がんと命とセックスと医者』(幻冬舎ルネッサンス)、『タイガー・ウッズの不可能を可能にする「5ステップ・ドリル.』(講談社)、『転身!―デパガからゴルフジャーナリストへ』(文芸社)、『ペイン!―20世紀最後のプロゴルファー』(ゴルフダイジェスト社)、『ザ・タイガーマジック』(同)、『ザ タイガー・ウッズ ウェイ』(同)など著書多数。

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(2017年10月26日
より転載)

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